シェリ、強くなるもん!
商店街より南。
そこは常に砂嵐が吹き荒れる、過酷な環境だった。
「はぁ…はぁ…ダメ…風が…強すぎる…」
風に争う様に突き進んできたシェリィだったが、とうとう力尽き、その場に跪いてしまう。
もう長い間うまく呼吸が出来ておらず、苛烈な状況とは裏腹に頭はぼんやりとしていた。
「もうダメ…動けない…」
砂嵐でシェリィの視界は遮られ、最早どっちが前かも分からなくなっていた。
帰り道などは無いし、帰る場所も無かった。
「うう…」
自身がどれだけ無力で孤独な存在かを分からされたシェリは、一人荒野の真ん中で途方に暮れる。
ここの夜は、凍死してしまう程冷えるらしい。
「…痛!?」
突如、シェリィの頰に細い切り傷が入る。
次いで右腕、それからスカートも細く切り裂かれる。
「嫌…何…?」
風がシェリィの目の前で渦状に集結し、その中心に一つの赤い光が灯る。
『邪悪なる魔族の手下よ。我が創造主の名に従い、この先には行かせぬ。』
「…渦巻きが…喋った?」
『これより先は人間の領域。魔の者よ、早々に引き返せ。』
「こんにちわ。風さん。シェリも人間なんだけど、ダメ?」
『嘘を付くな。魔の者よ。貴様の身に宿る邪悪な魔力、嫌でも感じ取れるぞ。』
「そっか…そうだよね。シェリはもう、人間じゃないんだもんね。」
剣を握るシェリィの手のひらから、ブラックフラックスが溢れ出る。
剣は黒く染まり巨大化し、その反面重量は軽くなる。
『ほう…我と戦うと言うのか。良いだろう。』
竜巻の奥から、土色の肌をした筋骨隆々の大男の姿が現れる。
頭にはターバンを巻き、耳は尖っており、その瞳は赤くギラギラと輝いている。
『我が名は砂塵の大精霊ウーダロス!偉大なる創造主により、人類を守護すべく現世に降臨せし神性であるぞ!』
「シェリは…シェリ。」
風がシェリィを取り囲む。
高速で風に乗る砂は刃物の様だ。
『邪悪なる魔の者よ!骨のみとなるまで切り刻んでくれる!』
シェリィの右の二の腕に、大きな切り傷ができる。
次いで胴体、頰、そして首。
みるみるうちに、シェリィは自身の血で濡れていった。
「うひぐ…ふぐ…」
頭部からの流血で目が真っ赤に染まっても、シェリィはその場から動かなかった。
開いた傷口から砂が入り込み、内側から身が引き裂かれるような痛みを感じようとも、シェリィは戦おうとはしなかった。
「何で…なんで動けないの!」
否、風に身を縛られ、抵抗できずにいた。
『ふはははは!哀れだな!矮小なる魔族よ!』
ウーダロスの右腕に風が集まり、一振りの風の刃を形作る。
「ごめんなさい…謝るから。もう帰るから!お願い許して!」
『もう遅い!さらばだ魔族よ!人の領域に足を踏み入れた事、地獄で後悔するがよい!はああああ!』
風の刃が放たれる。
最早今のシェリィには、躱すすべも防ぐすべも無かった。
"ザシュリ!"
剣を持ったシェリィの腕は宙に舞い、本人は仰向けに倒れる。
『ふん。正真正銘の雑魚だったな。』
ウーダロスはそう言って、シェリィに背を向けその場を立ち去ろうとする。
「シェリは…」
『ん?まだ生きていたのか。』
ウーダロスは振り返り、再びその腕に風の刃を形成する。
「シェリはただ…生きていたいだけなのに…」
『はぁ?』
「本当は戦いたくなんて無いのに…痛いのも…辛いのも…苦しいのも…悲しいのも…全部嫌なのに…」
右腕を失ったシェリィは、なおも立ち上がる。
いつしか傷口からは、血と砂とブラックフラックスが混じった、どろどろとした濁液が流れていた。
「なんでみんなシェリの事いじめるの!なんでみんな…シェリのこと放っておいてくれないの…」
ブラックフラックスが凝結し、シェリィの傷口を覆う。
「シェリはただ…生きていたいだけなのに…シェリ…何も悪い事してないのに…」
最早、シェリィは痛みを感じていなかった。
体の感覚を、失っていた。
『ほう?貴様はそのご主人様とやらから、酷く虐げられているのだな。』
「そんな事は!無い…と思う…多分…」
『がーっはっはっはっはっは!実に滑稽だな!自らが平穏を得られぬ理由が本気で判らんか!』
「え…?」
『貴様は先ほど、自分は何も悪く無いといっていたな!それは大きな間違いだ!』
ウーダロスは風の刃を解除し、力こぶを作る様なポーズをとる。
『この世では強さこそが全てだ!この世界で平穏を得るには、戦って勝ち取るしか無い!これこそが、神により世界が創造された日より今日まで続く絶対の掟だ!』
「………」
シェリィは、いつしか屋敷に入ってきたドラゴニュートにも同じ事を言われたのを思い出す。
「…やっぱり、そうなんだ。」
『解ったか?ならば今度こそ大人しく、自身の弱さを嘆きながら荒野の土へと還れ!』
ウーダロスの腕に再度風の刃が形成され、今度は間髪入れずに放たれる。
「分かったよ。教えてくれてありがとう、大精霊さん。」
シェリィの頭が、斜めに切断される。
しかし切られた瞬間にシェリィの傷口はフラックスに覆われ、瞬く間に再生した。
『何?』
「《魂操化身:迦枯レの王》」
シェリィの背より大量のブラックフラックスが湧き出でくる。
フラックスの塊は肥大化しながら、ぐちゃぐちゃと一つの形を形成していく。
『何だ?』
黒色の泥上の物で出来た巨大なネズミの上半身が現れる。
後ろ足があるべき場所はシェリィの背と繋がっており、そこからネズミに向けてフラックスが流れ続けている。
「じゃあシェリ、強くなるもん。」
巨大ネズミには右目と右手が存在せず、代わりにフラックスで出来た獣の様な腕が、シェリィにできていた。
シェリィの右目はフラックスに覆われ、そこには代わりに、ネズミの物と同じ紅い瞳が輝いている。
『召喚術か?いや、これは…』
シェリィの体が、泥濘の中に沈んで行く。
巨大ネズミの空だった右目にも光が灯り、腕と下半身も生えてくる。
シェリィの体は完全に、王冠を被ったフラックスネズミに、【迦枯レの王】に飲み込まれた。
『変身だと!?まずい、これは…』
いつか邂逅した巨大ネズミに姿を変えたシェリィは、這う様な高速移動によって、一瞬でウーダロスの背後まで回り込む。
『く…』
一瞬で爪が振り下ろされ、ウーダロスの背に、フラックスで汚れた3本線の引っかき傷ができる。
傷口を中心にウーダロスの皮膚は濁った黒色に変色していく。
『毒だと!?神性にそんな物が効くわけが…いや、これはもっと邪悪な物か。』
ウーダロスの背が、変色していった所からボロボロと崩れていき、傷口から漏れたフラックスと共に地面に流れていく。
『久々に楽しめそうな相手だな!来い!』
ウーダロスは、5枚の風の刃を放つ。
そのうちの4つはカサカサと躱されるが、最後の一枚は頭部に直撃する。
ネズミの頭には鈍い切れ込みが入ったが、直ぐにフラックスの流れによって元に戻ってしまった。
それが再生能力なのか、はたまた膨大な体力が見せる事象なのか、そもそも変身中は無敵なのか、ウーダロスには判断が付かなかった。
『く…流石に時間切れを待っている余裕は無いか…』
ウーダロスは既に背中側の殆どが崩れてしまい、とても薄っぺらい状態になっていた。
『斯くなる上は!』
ウーダロスの残りの身体が光を放ち、膨張し始める。
全ての風がウーダロスに向けて流れ始め、膨張の原因は、その風に乗って集まってきた砂だった。
『今回はお前の勝ちだ!我に豚血入りの土と言う最底辺の依り代しか与えなかったケチ供の事は好きにするが良い!だが次会った時は、今度は全力で相手をしてやろう!』
一瞬、風が止む。
『さらばだ!シェリィとやら!次会う日を楽しみにしているぞ!』
次の瞬間、ウーダロスは風属性の大爆発と共に、千の風となって散っていった。
それは、そこに巨大なクレーターを残す程の大爆発だった。




