06:憧憬
授業が終わってすぐに、私は教室から廊下に出た。
人の通りがまばらだった廊下は時間が経過するたびに、賑やかになっていく。
放課後に胸を躍らせる生徒たちの楽しそうな声が何度も鼓膜を揺らした。けれどそれに混じることなく、逃げるように遠ざかった。
そして、たどり着いたのは校舎裏だった。
壁に寄りかかり、校舎から降り注ぐ影の中で真正面にある訓練場を見つめた。
砂埃が舞うそこに人の気配はなかった。
(あそこで、アッシュ寮長とカイル副寮長が訓練してたんだよね)
昨夜、ユイカから聞いた話を思い出した。
そもそも訓練場は授業以外では、正式な許可を貰わないと使用することができない。決闘形式のような危険が伴うものは尚のことそう。
だから滅多に私用で使われることはないのだが、先生たちも、優秀で優等生な二人の申し出だからこそ許可を下ろしたんだろう。
(どんな感じだったのかな)
笑いあって、楽しんで、魔法をぶつけ合っていたのか。お互いに真剣な表情で策略を練っていたのか。
二人のことを全く知らない私には想像することすらも難しかった。
そんなことを考えながら、時間が過ぎるのを待っていると、一人分の足音が聞こえてきた。
それは力強く、地面を踏みしめている。なんとなく、運動をよくしている人のものだと思った。
「エンネ、お待たせ!」
明るい声に振り返ると、ノエルの金色の髪が風で揺れていた。
それはまるで駆け寄ってきたゴールデンレトリバーを思わせる光景で、無意識に口角が上がった。
「まだ来たばかりだよ」
そう返して、ノエルと向き合った。
おそらく彼は、すんなりとここに来た私とは違い、多くの人に呼び止められたことだろう。
それを振り切って来てくれたと思うだけで、十分に嬉しかった。
(これが、友だちがいるってことなのかな)
人知れず胸を躍らせながら、私はいつものメモ帳を取り出した。
そして、さっそく本題に入った。
「アッシュ寮長について、色々と話を聞いてきたよ」
昨日得た情報の羅列に視線を走らせながら、ノエルに伝えていく。
アッシュ寮長にはファンクラブ的なものがあったということ、アメジスト生の中ではツバキ寮長が一番関わりが深かったということ。
そして、ツバキ寮長がアッシュ寮長を嫌っていたことも除外しなかった。
ノエルはテンポよく相槌を打ちながら、懸命に頭の中に情報を溜めていった。
「…そっか。ツバキ寮長が」
ノエルは難しい顔をして呟いた。そんな彼に、更に情報を補足した。
「いつでも質問していいって。調査に協力的ではあった」
「うーん…」
ツバキ寮長の言葉を付け足すと、ノエルは腕を組んで、首を捻った。
確かに引っかかる部分ではあった。
アッシュ寮長と同等の魔法使いで、嫌っていたという動機がある。それなのに、犯人を暴くのに協力的なのには違和感がある。
私はノエルを見上げ、彼が抱いているであろう疑問を形にした。
「…犯人だったら、協力しないよね?」
ノエルは間を置かずに頷いた。
「普通はそうだと思う。でも、撹乱の可能性もあるっちゃある」
「わかる」
ノエルの意見を受け入れ、改めてメモ帳を眺めた。すると、自然とツバキ寮長とのやり取りを思い出した。
ツバキ寮長は感情を面には出さない。昨日も、疑われた怒りや焦りなどは全く見られなかった。
その堂々とした立ち振る舞いから、ツバキ寮長が一枚も二枚も上手であることを痛感した。
「ツバキ寮長は、私たちより確実に上手だ。私がどんなに突いても、ボロは出ないかもしれない」
「話したことはないけど、俺もそんなイメージを持ってるなぁ」
学年だけで言えばたった二年しか変わらない。それなのに、十歳以上年上の大人のような、遥か遠い存在に思えた。
思わずため息をつき、次の話題へと切り替えた。
「ファンクラブの件だけど、その、アッシュ寮長は女癖が悪いとか…聞いたことある?」
メモ帳を口元に寄せ、顔半分を隠して尋ねた。
なんとなく尋ねにくい質問だった。おそらく、プライベートに踏み込みすぎている自覚があるからだろう。
けれど、もし、アッシュ寮長の女癖が悪いのならば恨みを買って、という線もあり得なくもなかった。
ノエルは眉間にシワを寄せて記憶を探った。
「聞いたことないなぁ。確かに人気はあったけど、本人はあんまりそういうのに興味なさそうな感じだった」
「そうなんだ」
「モテる余裕、みたいな?」
「なるほど…」
モテる余裕。それを詳しく説明することはできないが、なんとなく理解できた。そして、その情報も一応追記した。
「あ、もしかしたら、婚約者とかいたのかも! 伝統ある家系の人だったし」
「あー、確かにありえる」
ノエルの閃きを、逃がすことなく、書き留めた。
私の手が止まるのを確認すると、今度はノエルが得た情報を話し始めた。
「はっきり言って、同級生と後輩からは良い話しか聞かなかった。強くてかっこいいって。特に悪い話は聞かなかったよ」
「皆の憧れの的だったんだ」
「うん! アッシュ寮長派とカイル副寮長派で分かれてるんだ!」
ノエルは肩を揺らしてケラケラと笑った。
きっと、その論争が繰り広げられていた場は明るく賑やかだったんだろう。
容易に想像することができて、小さく笑った。そんな私に顔を近づけ、ノエルは人差し指を立てた。
「因みに、アッシュ寮長に憧れてる奴はあのスマートさに憧れて、カイル副寮長に憧れてる奴はあの男らしさに憧れてた」
「へぇー。戦い方は真逆って聞いたけど」
「そう! アッシュ寮長は正面突破して力でねじ伏せるタイプで、カイル副寮長は参謀的な立ち回りをするタイプなんだ!そのギャップも良いんだよね!」
ノエルの瞳がキラキラと輝いている。
人が好きなものを語っている時はこんなにも眩しいものなんだと初めて知った。
「まぁ、でも実際問題、努力してもアッシュ寮長みたいな魔力を得るのは難しいから、俺らが手本にするのはカイル副寮長だよ。あの人は努力の人だから」
ノエルは腕を組むと、訓練場を見つめた。
視線を追いかけるも、やはりそこには誰もいない。淋しげに砂ぼこりが舞っているだけだった。
けれど、彼の目にはアッシュ寮長とカイル副寮長の姿が映っているのだろうと思った。
「そんで、上級生にも、アッシュ寮長について聞いてみたんだ」
ノエルは視線を私に戻すと、次の話題へと切り替えた。
それに相槌を打ち、ペンを構える。
「だいたい同じようなことを言ってたんだけど、一部の人の反応だけちょっと引っかかった」
ノエルの青い瞳が陰った。
それと同時に漂う空気が冷たくなっていくのを感じながら、私は話を促した。
「例えば?」
「うーん、上手く表現できないんだけど、口ごもっていて、何か隠している…みたいな。でも、追及しても、気のせいだって返された」
ノエルは肩を竦めて、そう教えてくれた。
ふと、ツバキ寮長が言っていた言葉が脳裏をよぎった。
(完璧な人なんて誰もいない)
私たちからしたら、完璧に思えたアッシュ寮長もやはり完璧ではないのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、ツバキ寮長の言葉をノエルにも教えた。
「ツバキ寮長は、アッシュ寮長から優しさを感じたことがないって言ってた」
「………」
私の言葉を聞き、ノエルは足元に視線を落とした。そして、唇を噛み締めて黙り込んだ。
少しだけ沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、他の誰でもないノエルだった。
「本当はカイル副寮長に話を聞きたかったんだ。たぶん、この学園でアッシュ寮長のことを一番知ってる人だから。でも、寮長代理の仕事で忙しくて捕まらなかった」
ノエルは片足を後ろへと引いた。靴底と地面が擦れる音がズルズルと響き渡った。
それは、まるで彼のもどかしさを表しているようだった。
「ねぇ、エンネ、正直なことを言ってもいい?」
寂しそうな声がそう尋ねてきた。
戸惑いながらも、私は頷いた。
「俺は、アッシュ寮長のことを知りたいと思った。でも、今は知りたくないとも思ってる」
ノエルは一呼吸置いてから、話を続けた。
「何も知らないまま、憧れの人でいてほしい」
それはノエルの切実な願いだった。
大切なものを大切なままで残しておきたい。そう思うのは当然のことで、そのために距離を取ることは、間違ったことではない。
逃げることは悪いことだと言う人もいるけれど、アッシュ寮長のことは私の問題であって、ノエルが関わらなきゃいけない問題でもない。
だから、私は ──。
「…無理に付き合ってくれなくても良いんだよ」
メモ帳を強く握りながら、そう伝えた。
突き放すように聞こえてしまったかもしれない。それでも、ノエルに無理してほしくないし、嫌な思いをし続けてほしくなかった。
彼には笑顔が似合うから。
(まだ浅い付き合いなのに、こんなことを思うのは変なのかな)
そう疑問に思ったけれど、すぐに心の中で否定した。
(それだけ、ノエルが魅力的な人だってことだ)
現状、唯一の友だちと言える彼を大切にできないなら、私には今後も友だちができないような気がした。
だから、間違った選択だとは思わなかった。
私の反応を確認するように顔を上げたノエルは眉を寄せていた。悩んでいるのが伝わってきた。
そんな彼を安心させるために笑みを浮かべた。でも、まだ不慣れなせいで、昨日と同様に少しだけ引きつってしまった。
ノエルは声を絞り出すように、胸の内を打ち明けた。
「…正直、止めたい。でも、中途半端に足を踏み込んだ状態でやめたら、一生気になるし、後悔もすると思う」
ノエルは大きく息を吸い込むと、胸を張った。そして、勢いよく自身の両頬を叩いた。
気持ちの良い綺麗な音が、空にまで響いた。
息を吐き切った彼は、あの眩しい瞳で、目を見開いている私に笑いかけた。
「ごめん、もう迷わないよ」
それはお手本になるぐらい綺麗な笑顔だった。




