05:寮長
「アメジスト生で、アッシュ寮長と関わりが深かったのってやっぱりツバキ寮長じゃないかな?」
デザートのプリンを食べ始めた時、隣でココアを飲んでいたミラがそう教えてくれた。
「寮長会議とかあるし、一緒に仕事をすることもあるから」
確かにそうかもしれないと納得した。
ツバキ寮長に話を聞くのは、アッシュ寮長に憧れている不特定多数の女子生徒を探すよりも効率が良いし、確実性があった。
でも、すぐに行動に移す勇気はなかった。
「エンネ、ツバキ寮長に話しかけられるの?」
ユイカがテーブルに片肘をつきながら、ニヤニヤと笑った。それに返す言葉が見つからなかった。
ツバキ寮長のことが苦手なわけではない。むしろ、サポート魔法の中でも最高難易度である回復魔法が使える優秀さや、規律を重んじる性格を尊敬している。
けれど、あのしゃんと伸びた姿勢と、それに沿うような真っ直ぐな黒髪からは威圧感を感じる。
話しかけるには、それなりの覚悟が必要だった。
「ツバキ寮長って目が見えないはずなのに、何もかも見透かしてる感じがあるよね」
項垂れる私をからかうような口調で、ユイカが言った。
すがるように彼女を見上げ、首を傾げた。
「ユイカは話したことあるの?」
「あるよ。流石の私も緊張した。きっと、こうやって、エンネがアッシュ寮長の事件を調べてることも、すでに知ってるんじゃないかなぁ」
まさか、そんな。今日始めたことなのに。
そう苦笑いを浮かべながらも、心臓はすでに緊張していた。
ユイカとミラに見送られ、食堂を後にする。そして、寮長の私室がある最上階へと向かう。
いつも登っている階段の段差が妙に高く感じ、一歩一歩が重く遅い。
一つ上の階に登っただけで息切れを起こし、最上階がまるで天空にあるかのような感覚に襲われた。
(…明日でも良いんじゃないかな)
今日はもう十分に頑張った。泉の調査をしたし、ミラとユイカから話も聞いた。私にしてはかなりアクティブな一日だった。
そう、自分を納得させるも、脳裏にノエルの笑顔が過ぎり、なかなか踏ん切りがつかない。
彼からの信頼を裏切りたくなかった。
(私から、アッシュ寮長の人間関係を調査しようって言ったんだよな…)
葛藤の末、かなりの時間を使って、私は最上階にたどり着いた。
最上階には寮長と副寮長の私室しかないためか、静寂に包まれていた。
他の階よりも薄暗くて、空気すらも冷たく感じ、増していく緊張に体が冷えていった。
(もしかして、いない…?)
それならそれで構わない。むしろ、良い。
往生際が悪く、ツバキ寮長との対談を回避する未来を想像しながら、ドアの前に立った。
両開きのドアは、それだけで他の部屋との格の違いを思い知らされた。きっと、私の部屋が小屋に思えてしまうぐらい広いのだろう。
小さく息を吐き、ノックをするために利き手をあげた ── その時だった。
「何か用ですか? エンネ・ラズリさん」
ノックをするより先にドアが開いた。
利き手を中途半端な位置に浮かせたまま、硬直する。
目の前の光景が信じられなかった。
「え、なんで…」
思わずそう呟いてしまい、無作法な言葉遣いに、慌てて口を塞いだ。
チラリとツバキ寮長の様子を確認すると、瞼は硬く閉ざされたままで、表情は仮面のように動かなかった。
「見えない分、よく聞こえるんです。ずいぶんゆっくりと、階段を登っていましたね。おかげで、誰の足音なのかを判別することができました」
恐怖と緊張から喉が渇いていく。思わず喉を鳴らして唾を飲み込むと、ツバキ寮長は肩より長い黒髪を揺らして、背を向けた。
「中へ、どうぞ。話をしましょう」
しゃんと伸びた背筋に習って、姿勢を正して、後をついていった。
ツバキ寮長の部屋は想像通り広かった。
天蓋付きのベッドに、勉強机に、天井にまで届く背の高い本棚。中央には丸いテーブルと、二脚のイスが置いてあった。
備えつきの家具の可能性もあるが、そのシンプルで洗練された雰囲気がツバキ寮長にとても合っていて、私物のようにも感じられた。
そんな家具の間を、彼女は瞼を下ろしながら悠々と歩いていった。
「今、紅茶を淹れますね。消灯時間も近いですからハーブティーにしましょう」
「そんな…。気遣いは不要です」
「いいえ、今の貴女には必要です。私と、ちゃんと話をするために」
見えないはずなのに何もかも見透かしている。
ユイカが言っていた言葉を実感しながら、ツバキ寮長の好意に甘えることにした。
促されるまま椅子に座ってから数分後、真っ白な陶器のポットと揃いのカップがテーブルに置かれた。
注ぎ口からあがる白い湯気からは、ほのかにハーブの香りが漂っている。
無意識にそれを吸い込み、肩の力を抜いた。
「それで、私に何の用ですか?」
ハーブティーを注ぎながら、ツバキ寮長は尋ねてきた。
なんて切り出したら良いのか、考えた。けれど、遠回しに尋ねても、時間の無駄になるだけのような気がした。
意を決して、私は口を開いた。
「アッシュ寮長のことを調べています。お二人は交流があったと聞きました」
「えぇ、ありました。寮長同士ですから」
ツバキ寮長は淡々と頷いた。
相変わらず感情は読み取れなかった。
「あの、アッシュ寮長はどんな人でしたか?」
そう尋ねると、ツバキ寮長は間を置かずに答えた。
「とても優秀な魔法使いです。攻撃魔法の中でも最も難しいとされる“インフェルノ“まで使いこなしていた。尊敬に値します。寮長としての仕事ぶりも、完璧と言って良いほどでした」
ハーブティーを注ぎ終え、ツバキ寮長は私と向き合うように腰を下ろした。
彼女の白い指先が、カップを持ち上げた。そして、香りを楽しむかのように、鼻に近づけた。
そんな、なんの変哲もない光景を見つめながら、私は更に質問を重ねた。
「アッシュ寮長と関わりは深かったですか?」
「アメジスト生の中では深い方でしょうね。ただ、友人と呼ぶにはあまりにも遠い」
私はメモ帳を取り出し、ペンを走らせた。そして、ここまでで得られた情報を余すことなく書き記していった。
二人の間には寮長同士以上の関係はなさそうだった。
「エンネさんは、アッシュさんの死を、どうお考えですか?」
そう尋ねられ、メモ帳から顔をあげた。
ツバキ寮長は相変わらずハーブティーの香りを楽しんでいるようだった。けれど、意識はこちらに向けているのが、なんとなくわかった。
「…他殺だと考えています」
ツバキ寮長がハーブティーを飲む音が、静かに響いた。
彼女は吹き出したりはしなかったし、カップを持つ手が震えることもなかった。
驚きも、怒りも、恐怖も、焦りもない。まるで、私が返す言葉を端から知っていたみたいに。
「私もそう思います」
耳に届いた言葉に、息を呑む。
聞き間違えるはずがないほど、とてもはっきりとした音だった。
私と同じ回答ではあるが、調査をして導き出した私のものと、アッシュ寮長の人柄を知ってるツバキ寮長のものとでは大きく異なった。
心臓が煩くなり、ペンを持つ手が微かに震え始めた。
聞いてはいけないことに、見てはいけないものに、対峙しているように感じた。
「何故ですか…?」
ツバキ寮長はカップを降ろすと、右手の人差し指を立てた。
「理由の一つ目は、彼はとてもしっかりした人だったという点です。単独行動もあまり取りませんので、事故とは思えません。二つ目は、彼は希望に満ち溢れていたという点です。順風満帆で、卒業後の進路を楽しみにすらしていました。自殺とは思えません」
指を一本ずつ立てながら、ツバキ寮長は丁寧に説明していった。
「犯人を想像するのは容易い。彼と同等、あるいは彼以上の魔法使いに絞られてきます」
ツバキ寮長はゆるりと頭を傾けた。絹のような髪がその動きに合わせて流れていった。
「 ── だから、あなたは、私に話を聞きに来たのでしょ」
まるで心臓を釘で刺されたかのような衝撃に、体が飛び跳ねた。
ツバキ寮長はわかっていたんだ。私が想像する犯人像に、自分が入っていることを。
そのうえで、私を部屋の中に招き入れた。話をしようとした。
「っ……」
疑っているという罪悪感で喉が張り付いて、声が出ない。返り討ちにされてしまうかもしれないという恐怖心が、体を重くする。
逃げるように太ももを見つめると、ツバキ寮長がカップを持ち上げる音が静かに響いた。
「せっかくのハーブティーが冷めてしまいますよ」
そう促され、空気を変えるためにも、カップに手を伸ばした。
手が震えているせいで、水面がカタカタと揺れている。そんな水面に口をつけ、いまだに熱を帯びていたハーブティーを体内に流し込んだ。
「私は、疑われていることに怒ってなどいません」
淡々とした声に顔をあげた。
ツバキ寮長は微かに瞼を持ち上げ、光のない瞳でカップの水面を見つめていた。
「私を疑うことは、正しい。あなたが思慮深く、優秀なアメジスト生だという証です」
光のない瞳は、ゆっくりと私を貫いた。
「尋ねなさい。他に知りたいことはなんですか?」
空気が変わったのを確かに感じた。
重く、冷たく、そして鋭い。そんな中、ツバキ寮長に背中を押され、慌てて口を開いた。
「ア、アッシュ寮長は殺され方からして、かなり恨まれていたのではないかと考えています…! ツバキ寮長は、アッシュ寮長に対して、どんな感情を抱いていましたか?」
カップを置き、もう一度ペンを握った。強く持ちすぎて、関節部分が白く浮かび上がった。
それでも、体の力は抜けなかった。
「魔法使いとしては尊敬しています。けれど、私は彼のことが嫌いでした」
その声はあまりにもはっきりとしていた。
伝えることに迷いなど一切ないように感じた。
「それは…何故ですか?」
すかさず掘り下げた。
この話題から逃げてはいけない気がした。
「理由はありません。ただただ嫌いでした」
「何かされたりしたんですか?」
「いいえ。私は何もされていません。他のアメジスト生が彼に何か酷いことをされたという話も聞いていません。けれど、彼の発する音はいつも不愉快だった。声も、足音も、衣服の擦れも」
確かに明確な理由もなく、生理的に受け入れられない人というのは存在する。しかし、なぜか深い理由があるように思えて仕方がない。
ツバキ寮長は理由もなく人を嫌わないのだと、私とは格が違うのだと、思いたいだけなのかもしれない。
「完璧な人間などいません。彼も、私も」
それはまるで、私を諭すような言葉だった。
バツが悪くなって目線を下げると、ツバキ寮長は続けて口を開いた。
「エンネさんは、アッシュさんにどのような印象を抱いていましたか?」
「えっと、優しくて、笑顔が素敵な人でした」
「他の生徒もそう言います」
ツバキ寮長は小さく息を吐くと、背もたれに寄りかかった。
そして、いつもそうしているかのように、慣れた仕草で足を組んだ。
「確かにアッシュさんが口にする言葉は優しかった。けれど、私は、彼が奏でる音から優しさを感じたことがありません。その不一致が、私を不愉快にさせるのでしょう」
優しい言葉を多用するけれど優しさを感じない。
その言葉の真意はわからなかった。
けれど、ツバキ寮長が嘘をついているとも、誤魔化しているとも思えなかった。
(嫌っていたということは動機になるかもしれないけど、そこまでの感情とは思えない。でも、ツバキ寮長なら、おそらくアッシュ寮長を殺せる)
ぐるぐると巡る思考回路は、いつまで経っても答えを出してくれない。出口も見つからない。
まだパズルのピースが集っていないということなんだろうか。
眉間にシワを寄せると、ツバキ寮長が頭を傾けた。
「消灯時間も近いですし、一度部屋に戻って、情報を整理してみてはどうですか?」
ツバキ寮長の背後に置かれている柱時計の針は、確かに消灯時間が迫っていることを教えてくれている。
観念し、私は脱力するように息を吐いた。
「…そう、させていただきます」
「はい。何か聞きたいことがあれば、いつでも声をかけてください」
残っていたハーブティーを飲み、椅子から立ち上がった。
部屋を去る間際に、改めてツバキ寮長に頭を下げた。
「お時間をくださり、ありがとうございました」
「いいえ。あなたという逸材がいることを知れて、とても有意義でした。おやすみなさい、エンネさん」
ひらりと品良く手を振ったツバキ寮長に、見えていないと思いつつも同じように振り返した。
そして、私は階段を降りていった。




