27:終幕
「こんな形でまた会うことになるとはなぁ」
ため息交じりの低い声が頭上から降ってきて、はっと我に返って顔を上げた。
腰に手を当てたクロガネさんが呆れたような困ったような表情で立っていた。
「クロガネさん…」
「おぅ、覚えてくれていて嬉しいぜ」
クロガネさんは膝を曲げると、私と視線を合わせて、笑顔を浮かべた。
「どうして、ここに」
「警察だからなぁ。事件があれば呼ばれるんだ」
事件。その単語を心の中で繰り返し、クロガネさんの背後にある森を見つめた。
少し前まで紅葉した葉で覆い尽くされていた鮮やかな森はスカスカとなり、灰まみれになっていた。
たった半日の間に、火が奪っていったものの多さを痛感した。
「相棒はどうした?」
「ノエルは治療を受けてます」
ノエルが火傷を負うことはなかった。火の手が届く前に森から脱出したからだ。
けれど、ルカさんが放った水を操る魔法で受けた傷は酷く、今もまだ治療は続いている。
「アメジスト寮の寮長が見てくれているので、大丈夫だと思います」
「そうか。それはよかった」
クロガネさんはまた笑みを浮かべると、ポンッと私の頭を撫でた。そして、労るようにこめかみに触れた。
「お前も怪我してるな」
「これは…もう大丈夫です。痛くないです」
「…そうか。無理はするなよ」
「はい」
殴られて腫れたこめかみの痛みは時間の経過と共に和らいでいった。
無理はしていないつもりだ。でも、現状に心がついていけてないのは自覚していた。
もしかしたら後で急に痛みだすかもしれない。そんなことを考えて、視線を落とした。
「クロガネさん…ルカさ…カイル副寮長は見つかりましたか?」
今回の火事で、何人もの生徒や先生が負傷した。死者が出たという話が聞こえてこないのは不幸中の幸いだった。
けれど、一人だけ、安否どころか行方すら不明な生徒がいる。それがカイル副寮長だった。
「………」
クロガネさんは悩むように押し黙った。けれど、悩んだ末に教えてくれた。
「まだ見つかってねぇ。火種だったこともあって、跡形もなく燃え尽きたのかもしれねぇし、逃げたのかもしれない。ただ ──」
クロガネさんはぐるりと天を仰ぎ、学院を覆っている結界を見つめた。
「結界が壊されたっていう報告も、誰かが校門から外に出たって話も聞いてない」
死んでるのか、生きてるのかもわからない。クロガネさんの話をまとめるとそういうことだった。
今更ながら体が震え出し、私は自分の両膝を抱え込んだ。
追い詰めてしまったという罪悪感に、また襲撃されるかもしれないという恐怖。そんな色んな感情と考えが頭の中をぐるぐると回っていた。
(死ななくてよかった…)
でも ──。
(私はこの罪悪感と恐怖に、一生苛まれそう)
小さな箱に閉じ込められたかのように、体が冷たく強張っていくのを感じた。
そんな私に、クロガネさんはそっと顔を近づけた。そして、私にしか聞こえない小さな声で教えてくれた。
「お前の不安を取り除けるかはわからないが、国が責任をもって調査するらしい。麓の街まで火が見えたぐらいの大事件だからな。それに伴って、学院内に警備が配置される」
まるでそれは一筋の希望のようで、私は慌てて顔を上げた。
クロガネさんの背後から差し込む光は、細いけれども、確かに私の視界を明るくした。
「俺とフェルナもしばらくここに滞在する。ノエルも交えて、一緒に昼飯でも食おうぜ。色々と聞きたいこともあるからな」
「…また事情聴取ですか?」
ウィンクをしたクロガネさんに、小さく笑みを浮かべて、そんな冗談を言った。
彼はガハハハと豪快に笑い声を響かせた。
「そういう理由がないと、セクハラになっちゃうからな!」
彼につられて笑うと、ほんの少しだけ体の強張りが解けていった。
「クロガネさん! 少しいいですか?」
少し離れた所にいるフェルナさんが大きな声でクロガネさんを呼んだ。それに振り返り、「わかった」とクロガネさんは答えた。そして、ゆっくりと曲げていた膝を伸ばしていった。
「エンネ、体冷やすなよ。冷えるとどうしても暗くなっちまうからな」
クロガネさんはそんな言葉を残して、フェルナさんの元へと向かった。その大きくて頼もしい背中を見送っていると、フェルナさんと目があった。
彼は、私をじっと見つめた後、深々と頭を下げた。
まるで、感謝の言葉を伝えるかのように、敬意を示すかのように。
(…少しは警察の役に立てたのかな)
誰かの役に立てたのだろうか。
そう目を細めた時、背後から足音が近づいてきた。
「エンネ、ノエルが起きたよ」
優しい声でそう教えてくれたのはヒナタ副寮長だった。振り返ると、言葉の真意を証明するかのように、彼は柔らかく笑っていた。
「会いに行かない?」
じわりと涙で視界が滲んだ。
そして、迷うことなく頷いた。
シャンデリアが照らす廊下はいつも通り厳かな雰囲気を醸し出していた。外で起きていた騒動なんて、全く知らないかのような顔つきだった。
医務室の扉を開けると、薬品の匂いが鼻先を掠めた。負傷した人たちが押し寄せており、外よりも熱気があり、騒がしい。
すすり泣く声が聞こえてきて、誰かを励ます優しい声も聞こえてきた。
そんな中を歩き、カーテンで仕切られているベッドに向かった。
「ここだよ」
後ろからついてきていたヒナタ副寮長が教えてくれた。
「ツバキが寝てるからそっと入って」
その言葉に頷き、私は音を立てないように注意しながらカーテンを開けた。
窓から光が差し込む一角だった。白いベッド、白い布団、白いカーテン。色の少ないその空間の中で、ノエルはベッドの端で顔を埋めて眠っているツバキ寮長に視線を注いでいた。
「あ、エンネ」
ノエルは私に気がつくと、明かりが灯ったかのような笑みを見せてくれた。そして、ひらりと片手を振った。
どうやら動いても痛みはないらしい。その様子に、胸を撫で下ろした。
「ノエル、無事でよかったよ…」
喜びを噛み締めながら伝えると、ノエルは照れくさそうに、後頭部に手を当てた。
「ツバキ寮長のおかげだよ。俺は運がよかった」
ノエルの言葉を聞いて、ツバキ寮長に視線を向けた。
無防備に眠っている。どうやら魔力を使い果たしてしまったらしい。
おそらく、それほどにノエルは重症だったのだろう。
彼女が近くにいなければ。そう考えると、ゾッとした。
「…ねぇ、俺、吹き飛ばされてからあんまり記憶がないんだけど、どうなったの?」
穏やかな空気を切り替えるように、ノエルは笑みを消した。そして、いつもよりも低い声で尋ねてきた。
私は胸の前で両手を合わせた。無意識に指先に力が入っていた。その力を抜くために息を吐き、順序立てて説明していった。
「 ── カイル副寮長、行方不明なんだ」
ノエルが引っかかったのは、やっぱりそこだった。
きっと、私と同じように罪悪感と恐怖を抱いているのかもしれない。
それにクロガネさんが教えてくれたことも、続けて伝えた。それでも、ノエルの顔は晴れなかった。
「ちゃんと…説得したかったなぁ」
小さく呟かれた言葉は、間違いなく彼の本音だった。それに私も頷いた。
「うん。そうだね…」
私たちはこんな結末を望んではいなかった。
じゃあ、どんな結末ならよかったのか。そう問われても、すぐに答えは出てこないけれど、誰かを不幸にしたいわけじゃなかった。
「…よくわかんないけど、カイルはまともに話せる状態じゃなかったんでしょ」
暗くなる私とノエルに、そう声をかけたのはヒナタ副寮長だった。
揃って振り返ると、彼は居心地が悪そうに視線を泳がせた。
「いや、だって、二つも年下の後輩をこんなに痛めつけるなんて普通じゃないよ。君たちはできることを精一杯やったんじゃないのかな」
頼りなさげに渡された励ましの言葉は、それでもじんわりと胸に染み込んだ。
やれることはやった。確かにそうだった。
「…ヒナタにしては珍しく良いことを言いますね」
自然と生まれた沈黙を破ったのは、ゆっくりと体を持ち上げたツバキ寮長だった。
彼女は大きな欠伸を一つした後、ふらつく体の感覚を起こすように背筋を伸ばした。
「珍しくってなんだよ…」
「本当のことを言ったまでです」
遠慮なく言い合う二人に、私とノエルは呆気に取られて口を開けた。
たぶん、ツバキ寮長にそんな口をきけるのはヒナタ副寮長だけだろう。
そんなことを考える私たちに、閉じた眼差しを向け、ツバキ寮長は淡々とした口調で言った。
「アレは、本来なら先生などの大人たちが解決すべき問題でした。そして、事情を聞いていたのにも関わらず、止めなかった私の責任です。あなたたちが背負う責任ではありません」
ツバキ寮長はそう言うと、私とノエルに対して深々と頭を下げた。
「エンネさんの成長が目覚ましく、もっとそれを見たいがために見誤ってしまいました。本当に申し訳ありません」
私とノエルは再び呆気に取られ、ポカンと口を開けてしまった。
ツバキ寮長に責任がある、だなんて少しも考えていなかったからだ。
「事後処理は主に私が引き受けます。あなたたちは回復を第一に考えてください」
頭が真っ白になると同時に肩の力が抜けて、私はその場にしゃがみ込んでしまった。
後ろに立っていたヒナタ副寮長が慌てて支えてくれたけれど、涙は零れた後だった。
事件はまだ解決していない。何も終わっていない。でも、もう ──。
(日常が戻ってくる)
そう、確信した。




