26:暴走
見開いた視界に透明な盾が立っていた。それは私が作り出す盾よりも大きくて分厚かった。
盾は、ルカさんが放った風を操る魔法を受けてもびくともせず、ヒビが入ることもなかった。
その光景に、ルカさん自身が狼狽えた時だった。
「やっとたどり着きました」
聞き慣れた声が鼓膜を揺らした。それは疲労を隠すことなく、途切れ途切れだった。
慌てて振り返る。そこに立っていたのは案の定、ツバキ寮長だった。
しかし、いつもと違い眉間にシワを寄せ、汗をかいていた。
「ツバキ寮長!」
「ごめんなさい。遅くなってしまいましたね。この目で、一度も歩いたことのない森の中を進むのはとても困難で…」
ツバキ寮長はルカさんに視線を送りながら、そう謝罪した。
私は湧き上がってくる安心感に身を震わせながら、首を左右に振った。
「いいえ、いいえ…! 助かりました!」
先程、私は確かに死を感じた。ツバキ寮長がいなかったら、上半身と下半身が二つに分かれてしまっていただろう。
その事実にじわりと涙が溢れた。
まだ、何も終わってはいないのに。
「カイルさん、無駄な抵抗はやめてください。今、ヒナタが先生方を呼んでいます。すぐにここに集まるでしょう」
ツバキ寮長は息をつくと、構えていた魔法の杖に魔力を込め始めた。
ルカさんに降伏を求めながら、楽観視もしていない徹底さが伝わってきた。
ルカさんはよろけて後退した。けれど、堪えるかのように、靴底で地面を抉った。
「…アメジスト生が増えたところで何ができる」
低い声で発せられた言葉に、ルカさんにはもう現実が見えていないんだとわかった。
消したかったはずの目撃者が増えた。それだけで、彼女がしたかったことはもう実現不可能だった。
それでも、抵抗するために、彼女はまた杖に魔力を込めた。
そんな彼女に、ツバキ寮長は抑揚のない淡々とした声で告げた。
「盲目の私が、本当に一人でここまでたどり着けたと思うんですか?」
「は…?」
ルカさんが間の抜けた声を零した時だった。彼女の背後から、赤い光が生まれた。
「蔦よ、カイルを拘束せよ。“プラント”!」
魔力が宿った蔦はまるでヘビのように地面を這い回り、そして、ルカさんの体を拘束した。
強い力で絞め上げられ、彼女は顔を歪ませ、うめき声を上げた。
力の入らなくなった彼女の左手から、魔法の杖が落ちていく瞬間が、やけにゆっくりと目に映った。
「何があったのかはわからないけれど、女嫌いもそのぐらいにしなさい」
ルカさんの背後に立っていたのはマティスさんだった。
自由の利かない体で、首だけを動かし、ルカさんはマティスさんを睨みつけた。
「お前…!」
「お前じゃないわ。マティス・イグナートよ」
マティスさんもルカさんに負けじと、目元に力を入れた。
突然の展開に呆気にとられる私の肩をポンッと叩き、ツバキ寮長は指示を出した。
「カイルさんのことは、私たちが見ています。ノエルさんを探してきてください」
「わ、わかりました…!」
彼女たちがいれば大丈夫だろう。
そんな安心感に背中を押され、私はよろけながらも足を動かした。そして、水を操る魔法のせいで草木が濡れている方角を辿った。
「ノエルー! 返事してー!」
今までで一番声を張った。慣れてないせいもあってか、声は震えて不安定だった。
(あぁ、もっと声を出す練習をしておけばよかった)
そんなよくわからない後悔を抱きながら、ノエルに向かって呼びかけ続けた。
きょろきょろと辺りを見渡した時、赤い光がチカチカと点滅している箇所を見つけた。
それはここ数分で何度も見たガーネットの光だった。
「ノエル…!」
あの光の元にノエルがいる。
そう確信して駆け寄ると、背中を丸めてノエルが倒れていた。
目は開いている。そして、視線は私を追いかけている。
でも、苦しそうに咳き込み続け、声は聞けなかった。
「ノエル、大丈夫? どこか打った?」
ノエルのすぐ近くに跪き、頬にそっと触れた。濡れたせいもあってか、とても冷たかった。
「腹…打った…」
ノエルは苦しそうにしながらも、何とか容態を教えてくれた。
「ごめん、防ぎきれなくって…!」
自分の不甲斐なさにまた視界が涙で滲み始めた。
そんなぼやけた世界の中で、ノエルは首を横に振った。
「生きてるの…エンネのおかげ…」
そう言って、私を安心させるために、彼は弱々しく笑った。
その姿に、私は杖を掴む手に力を入れた。泣いてる場合じゃなかった。
「ノエル、浮遊魔法で移動させていい? ツバキ寮長の所に行こう。ツバキ寮長なら回復魔法が使えるから」
私がそう提案すると、彼は頷いてくれた。
杖に魔力を込め、ノエルのローブに浮遊魔法をかけた。そして、あまり揺らさないことを意識しながら、来た道を戻った。
「ツバキ寮長…! ノエルを助けてください!」
凛としたツバキ寮長の横顔にすがるように駆け寄った。
振り返ったツバキ寮長にノエルを見てもらうため、彼の体をゆっくりと地面に下ろした。
「吹き飛ばされた時にお腹をぶつけたみたいなんです。すごく苦しそうで…」
ノエルは横たわりながら、いまだに腹部を押さえていた。小さな唸り声が僅かにだが聞こえてきた。
ツバキ寮長は跪くと、じっと彼を観察した。
「わかりました。エンネさん、少し離れてください」
「はい…!」
すぐに返事を返し、邪魔にならないように、ノエルとツバキ寮長から距離を取った。
ツバキ寮長の持つ杖が薄紫色の光を放ち始めた。それはとても大きく、この場を包み込んでしまうほどだった。
「かの者を癒せ、白き光。“ヒール”」
ツバキ寮長が呪文を唱えると、薄紫色の光が白色へと変わり、ノエルを包み込んだ。
温かく、優しい光だった。眩しくて何も見えないのに、もう大丈夫だと思えるほどに。
ツバキ寮長が回復魔法を使い始めてすぐ、周囲が賑やかになっていくのを感じた。
話し声に足音、草花をかき分ける音。森の中でいくつもの光が、ポツリポツリと浮かんでいた。
「あれは、光の魔法…?」
「ようやく、他の生徒や先生たちが来たようね」
マティスさんは咎めるかのように、ため息交じりで言うと、顔にかかる自身の髪を払った。
「この状態なら、さすがのカイルもお咎めなしとはいかないわね」
マティスさんの言葉に、蔦に拘束されながらぐったりとしていたルカさんの体がピクリと動いた。
「ダメだ…」
小さな声が呟いた。
「ダメだダメだダメだ」
ルカさんはまるで壊れた機械のように呟き続けると、焦点の合わない瞳をカッと見開いた。
赤い瞳が内側から光り始める。
「落ちよ…赤き怒り…」
確かに、詠唱が聞こえてきた。けれど、彼女の手に魔法の杖はなかった。
ゾワリと嫌な予感が背筋を走り、私は声を張り上げた。
「 ── 逃げて!!」
私の声が響いたのと、火を操る魔法が放たれたのはほぼ同時だった。
「“インフェルノ”…!」
ルカさんの体から強烈な赤い光がまるで爆発するかのように生まれた。そして、赤い光に染まるように、周囲が火の海と化していった。
「な…っ!」
地面を覆っていた草花が燃え上がり、火の塊となった木の葉が降り注ぐ。夜空は赤く染まり、そびえ立つ炎の柱を、泉の水面だけが変わらぬ穏やかさで見つめていた。
いくつもの悲鳴が鼓膜を揺らした。集まっていた生徒たちのものだろう。それに重なるように低い大人の声が、「水を操る魔法を使って消火活動を行う」と指示を出した。
どれもこれも、すぐ近くで起こっていることなのに、私は身動き一つとれなかった。
「ルカさん…! カイル副寮長…!」
何故、彼らに呼びかけたのか、自分でもわからなかった。
でも、ただただ、呼び続けた。意味がないとわかりながらも。
「エンネ! とりあえず離れましょう!」
動けないでいる私の体を持ち上げたのは、燃え広がる火を避けて来たマティスさんだった。
目の端で、ヒナタさんに担がれて避難するノエルの姿も見えた。
きっと、私たちは助かる。
そんな未来がチラつくと、燃え上がる炎の柱の中で揺れる影を確かに見つけた。
その影の正体はわからない。知りたくもないし、理解したくもなかった。
けれど、気がつけば涙が溢れてきて、私はその影さえもとらえることができなくなってしまった。
火事が完全に鎮火したのは、翌日のお昼のことだった。




