21:境目
私たちは談話室に移動して、改めて自己紹介から始めた。そして、お互いを理解するために様々なことを話した。
日々のルーティン、最近読んだ本、勉強方法に特訓方法。
マティスさんの声は楽しそうに弾んでいて、私の声もいつもより高かった。
けれど、話し始めて三十分が経過しても、マティスさんがノエルに話を振ることはなかった。
男性が嫌いだと言っていたから、意図的なのかもしれない。けれど、無意識に避けているだけで悪気はないのかもしれない。
好意を真っすぐに向けられて嬉しくて楽しいはずなのに、存在感を消して黙るノエルに対する罪悪感も湧いてきて、とても複雑な気持ちだった。
(あぁ、なんか ── 教室の隅で輪に入れずに孤立してる自分を思い出す)
ノエルがこの状況をどう思っているのかは、私にはわからない。
これっぽっちも気にしていないかもしれないし、話題に入れなくて退屈な思いをしているかもしれない。
どちらにせよ、こんなにも胸が疼くのは、過去の自分と重なってしまうからだろう。
一人でも寂しくはないと本を掴む両手に力を込めた過去の自分に。
「あ、ねぇ、ノエルも、最近は特訓をしてるんでしょ?」
不安定な雰囲気に耐えきれずに話題を振ると、ノエルもマティスさんも目を見開いた。
「ノエルはどんな特訓をしてるの?」
目の端でマティスさんが眉間にシワを寄せて、嫌悪感を露わにしたのがわかった。
けれど、話題を振られたノエルはどこかほっとしたように笑みをこぼした。
その反応に、私の選択は間違いではなかったんだと知ることができた。
「俺は、覚えたばかりの風の魔法を安定して使えるように特訓してるんだ。風がある日は大丈夫なんだけど、風が全然ない日はどうにも不安定で…」
「攻撃魔法って、近くにその要素があると成功率上がるらしいね」
「そう! だから、セインさんとかマティスさんみたいに雨が降ってない日に水を操る魔法を使えるのはすごいんだよ!」
ノエルの明るい声が談話室に響いた。
まさか褒められると思っていなかったのか、マティスさんは眉間のシワを和らげて硬直した。そして、すぐに顔を横に向けた。
「…五年生になればそのぐらいはできて当たり前なのよ」
「いやいや、当たり前じゃないですよ! 特訓してないと、いつまでもできないままなのは俺にだってわかります!」
ノエルが前のめりに発言すると、マティスさんはまた眉間にシワを寄せた。
ぱっと見、その表情は嫌悪感に満ちていた。けれど、徐々に赤く染まっていった頬が、そうではないと教えてくれた。
(ノエルは他人を素直に褒めることができるから好かれるんだろうなぁ)
他意のない、下心のない褒め言葉。
歳を重ねれば重ねるほど、それは希少な存在になっていく。
(すぐにじゃなくても、マティスさんもいつかはノエルを受け入れられるんじゃないかな)
二人を見つめて、そんな未来を想像した。
「やっぱり、マティスさんもイメージトレーニングとかしてるんですか?」
「当たり前よ。どれだけ明確にイメージできるかでも、成功率は変わるんだから」
「そうですよね。俺は、どうにもイメージするのが苦手なんです…」
いつもの調子が戻ったノエルが話題を振り続けると、マティスさんは観念したように相手をするようになった。
横を向いていた彼女の顔が、ゆっくりとノエルに向き合い始めた。
「“私はできる”という自信も大切よ。アッシュなんて、まさに自信という力で魔法を使いこなしていたんだから」
一休みして、二人の会話に耳を傾けていた私は唐突に登場したアッシュ寮長の名前に目を丸くした。それは、ノエルも同じだった。
そんな私たちの反応に、マティスさんは気がついたように顎先に手を当てた。
「そういえば、ノエルは以前、私にアッシュについて聞いてきたわね」
マティスさんの眼差しがゆっくりと私へと移動した。
「そして、エンネはアッシュの事件の第一発見者」
時が止まったかのような静寂を挟み、マティスさんは目を細めた。
「あなたたち、あの事件に首を突っ込んでいるの?」
私とノエルは思わず顔を見合わせた。そして、どちらともなく頷きを返した。
マティスさんが小さく唸った。
「まぁ、気持ちはわかるわ。私も、気になるもの。本当にあれは事故だったのかしらって」
「…調べようとは思わなかったんですか?」
ノエルが尋ねると、マティスさんは静かに頷いた。
「気にはなったけれどしなかったわ。躍起になるほどアッシュに思い入れがあったわけではなかったし、もうすぐ進路が決まるから。今さら内申点を下げたくはないの」
とても現実的な答えだった。
おそらく私も、自分が直接関わっていなければ、その立ち位置にいたのだろう。
けれど、周囲がそうさせてくれなかった。いじめという行為が、私をこの事件に巻き込んだ。
「…アッシュねぇ。入学してすぐの頃に容姿を馬鹿にされたのよ。黒すぎてどこが顔かわからないって。それ以来、まともに話してないから彼のことは何も知らないわ」
マティスさんはため息交じりで答えた。
耳に届いた言葉が信じられなくて、あんぐりと口を開いた。
そして、徐々に怒りがこみ上げてきた。
(なんて失礼な…!)
確かに彼女は肌も髪も黒い。まるで闇そのものだ。けれど、黒猫のような愛らしさと、黒曜石のような神秘さがあった。
思わず不満を口にしそうになったけれど、マティスさんがまるで気にしていない様子だったので言葉を飲み込んだ。
彼女にとってはもう数年前の過ぎ去った出来事なのだろう。
「…というよりも、私がアッシュに近づこうとするとカイルがいい顔をしないのよ。そっちが面倒くさくて、ここまで来てしまったわ」
ポツリと呟かれた情報は、まさにセインさんが教えてくれた内容と一致していた。
「一度、アッシュとケンカしたせいなのか、すごく睨んでくるの。女が攻撃魔法を学んでも意味がないって言ってきたのもカイルなのよ」
攻撃的なカイル副寮長。それはツバキ寮長が話していたイメージとも、私たちが談話室で対話したイメージとも一致した。
「カイルは他の皆には温和なのに、何故私にだけ冷たいのかしら…」
もしかしたら、マティスさんが孤立してしまった原因の一つがカイル副寮長の態度だったのかもしれない。
そんな確信を得ながら、私は恐る恐る口を開いた。
「…ツバキ寮長も、カイル副寮長から敵意を向けられていたと言っていました」
「あら、そうなの? 彼女は優秀だし、不用意にアッシュにケンカを売ったりはしないと思うのに何故かしら」
「女性だからではないか、とツバキ寮長は言っていました」
「女だから?」
考え込んでいたマティスさんは、私の言葉に静かに目を見開いた。
それと同時に、黒い瞳に困惑が映り始めた。ゆらゆらと揺れるそれはまるでアッシュ寮長を飲み込んだ泉の水面みたいだった。
「何故? 何故、女だと敵意を向けてくるの…?」
マティスさんの顔色がどんどんと悪くなっていく。
その様子は、本当はわかっているのに、わからない振りをしているみたいだった。
(知らない方が良いこともあるって、こういうことなのかもしれない)
私は口を開いたものの、声を発するのを迷った。
情報として提供した途端、彼女を巻き込んでしまうからだ。
(女性であるマティスさんがカイル副寮長に敵意を向けられていた。その情報だけで十分なんじゃないかな)
それだけでも、カイル副寮長がアッシュ寮長に恋をしていて、嫉妬深かった可能性が十分に高くなる。
おそらくこれ以上、マティスさんから得られる情報はないし、巻き込む理由もなかった。
私は強く握っていた両手から力を抜いた。
目の端で、ノエルが心配そうにこちらを見つめているのがわかった。それに勇気をもらい、私は顔を上げた。
「マティスさん、それを話してしまったら、きっとあなたを巻き込んでしまいます。正直、あなたに聞くメリットはないと思います。それでも気になるのであれば話しますが、どうしますか?」
手を差し伸べると、マティスさんの顔色がゆっくりと落ち着いていくのが見えた。その様子だけで、彼女がなんて答えるのかがわかった。
「聞かないわ」
そう言うと思った。
まだ付き合いは浅いのに、少しだけマティスさんのことを理解できたことが嬉しかった。
そんな私の気持ちを察してくれたのか、彼女は笑みを浮かべてくれた。
「私には私のやりたいことがあるの」
芯のある、よく通る声だった。
私はつられて笑みを浮かべて、「はい」と答えて、彼女の意思を尊重した。
協力してくれる人は多ければ多いほどいい。でも、協力してくれないからといって非難するつもりもなかった。
「でも、一つだけ聞いていいかしら」
マティスさんは目を細め、和らいだ空気をピンっと引き締めた。
「あなたたちは、事件の真相を知って、どうするつもりなの?」




