20:信念
ジェムルート魔術学院には、訓練場から少し離れたところに修練場がある。
訓練場とは違い学院から許可を取る必要はなく、いわゆる自習室のような役割を担っている。
的に向かって攻撃魔法を当てる練習をする者や、空中に浮かんでいる輪っかをくぐり抜けて浮遊の練習をする者もいる。
マティスさんはその中で黙々と人の形をした的に向かって水の魔法を当てる練習をしていた。
(確かにとても目立っている)
セインさんが事前に言っていた通り、彼女は遠目からでもすぐに存在を確認することができた。
漆黒を思わせる黒い肌に、それと同じぐらい濃い黒髪。黒いローブも合わさって、闇そのものだった。
そんな彼女のことを、学院内で何度か見かけていたことを思い出した。けれど、こうして話しかける日が来るとは、当時の私は思ってもみなかっただろう。
「ノエルはマティスさんと話したことがあるんだよね?」
彼女の真剣な横顔を見つめながら、隣に立つノエルに尋ねた。彼もまた、同じ方向を見つめたまま頷いた。
「あるけど、ちゃんと話したことはない。前にアッシュ寮長のことを聞いた時もまともに会話してくれなかったんだよね」
「そっか…」
話を聞く限り、マティスさんは他人に対しての警戒心が強い。偏屈だとも噂されている。
おそらく、すぐには心を開いてはくれないだろうし、情報提供もしてくれないだろう。
(根気強く、仲良くなるのが良いのかもしれない)
焦らず、じっくりいこう。
私とノエルは、方針を確認し合うようにお互いに頷きあった。
私たちが歩み寄ると、その足音に反応したのか、マティスさんはすぐに振り返った。
黒い瞳が、警戒しながらこちらを凝視してくる。それは、思わずたじろいでしまうほどの力強さを放っていた。
ゴクリ、と唾を飲み込み、口を開いた。
「あ、あの、はじめまして。私は…」
「知ってるわ。ちょっと前にセインと決闘をしていたアメジスト生のエンネ・ラズリよね。そっちはノエル・モリス」
胸元に手を置き、礼儀正しく自己紹介をしようとすると、遮るようにマティスさんの声が響いた。
容姿に似合った凛とした声だった。
改めて向き合うと、彼女の背の高さを痛感した。
カイル副寮長よりは小柄だけれど、ノエルやセインさんと並んでもそこまでの差はないだろう。
強い女性。それがマティスさんに抱いた第一印象だった。
「あの決闘を見てくれたんですか?」
「途中からよ。あまりにも騒がしかったから」
笑みを浮かべて、決闘について触れてみた。マティスさんは固い表情を崩すことなく、淡々とした口調で続けた。
「それは…ご迷惑をおかけしました」
「別に迷惑だなんて思っていないわ。むしろ、勉強させてもらったわ。サポート魔法だけでもあれだけのことができるのだ、と」
マティスさんは利き手に持ち続けていた杖をローブの中に仕舞うと、一歩歩み寄ってきた。
「あなたは将来、戦場に行くつもりなのかしら?」
強い風が吹いたが、彼女の声がかき消されることはなかった。
はっきりと耳に届いた言葉に私は思わず目を見開いた。
「い、いえ、まだ将来のことはあまり考えていません」
「…そう。あなたのような人材が後方で支援してくれたらとても心強いのだけれど」
マティスさんは視線を横に流し、どこか落胆したような声色で言った。
「マティスさんは兵士になるつもりなんですか?」
そう尋ねたのは、これまで蚊帳の外にいたノエルだった。
マティスさんは間を置かず、表情をそのままに答えた。
「ええ、そうよ」
その返答に、ノエルの体の重心が僅かに後ろに下がった。戸惑っているのが伝わってきた。
マティスさんは、そんな彼の反応に鬱陶しそうに目を細めた。
「女だからといって侮らないでちょうだい」
「そ、そんなつもりはないです…!」
ノエルは慌てて両手を激しく振った。けれど、マティスさんが納得する様子はなかった。
「皆、言うのよ。女なんだから他の職につけ、と。結婚して夫を支えろ、と。聞き飽きるぐらいにね」
確かに、戦場に行く女性はほんの一握りだ。
アメジスト生の女子生徒はほとんどが研究職や魔法道具製作の道を選び、僅かな男子生徒のみが戦場を希望する。
ガーネット生に今まで女子生徒が全くいなかったわけではないが、人数は少ない。そして、マティスさんのように兵士を希望する女子生徒はさらに少ないのだろう。
「私、男って嫌いなのよ。いつだって女を見下して馬鹿にするんだから」
マティスさんの言葉で、彼女が同級生たちにどのように扱われているのかがわかった気がした。
ガーネット寮に所属する現五年生の中で唯一の女子生徒。
もしかしたら最初はそれ故に親切にしてもらっていたのかもしれない。けれど、それこそが彼女のプライドを傷つけることだったのかもしれない。
(親切を跳ね除けてるうちに偏屈と呼ばれるようになったとか…?)
いや、言葉通りに、最初から女子生徒というだけで馬鹿にされていた可能性も十分にある。
真実は彼女に聞かない限り、わからなかった。
「見下すって、例えばどんな感じなんですか?」
また、ノエルが尋ねた。表情的にも、声色的にも、純粋な疑問なんだとわかった。
それでも、マティスさんはそう捉えることができなかったのか、鬱陶しそうなままだった。
「女が攻撃魔法を学んでも意味がないし活かせない、とか。どうせ結婚してすぐに仕事を辞めるんだから就職先の枠を無駄にするな、とか。そういうことを面と向かって言われたわ」
マティスさんは横を向いたまま、強く自身の腕を掴んだ。その姿から、悔しさが伝わってきた。
けれど、そんな同情をしてしまったことを恥じてしまうぐらいの強気な表情を彼女は見せた。
「だから、決めたのよ。たくさん特訓をして、強くなって、戦場で私を馬鹿にする男どもを華麗に助けてやるんだって」
ニヤリ、という音が似合うような勇ましい笑顔だった。
「かっこいい…」
無意識に呟いていた言葉に、ノエルとマティスさんは真逆の反応を見せた。
ノエルはぎょっと目を丸くし、マティスさんは満足したように笑みを深めた。
マティスさんはまた一歩歩み寄ってきた。
「エンネ。あなたはセインとの決闘で、アメジスト生を馬鹿にしているガーネット生を見返したわね。見ていて、とてもスカッとしたわ」
マティスさんは胸元に手を当てると、浅く頭を下げた。
「それと同時に、見下されるのが嫌だった私の中にも誰かを見下す卑しい心があることを知ったわ。気づかせてくれて、ありがとう」
「い、いえ! そんな…!」
慌てて両手と首を横に振ると、マティスさんはこちらに手を差し伸べた。
「ねぇ、私に聞きたいことがあるのでしょ。じゃなきゃ、評判の悪い私にわざわざ声をかけにきたりしないわ」
否定しようと口を開くも、声を発する前に彼女に止められてしまった。
けれど、悲しい顔はしていなかったし、悔しそうな顔もしていなかった。
「いいのよ。それさえも返上してみせるから」
先ほどまで強かった風が、マティスさんの髪を柔らかく揺らした時、それに似合う穏やかな声色で彼女は言った。
「 ── ねぇ、エンネ。あなたのことを聞かせてちょうだい。そしたら、私も答えるわ」
マティスさんの瞳が真っすぐに私をとらえた。
「ただの勘だけれど、あなたとは長い付き合いになりそうな気がするの」
とくん、と胸が高鳴った。
今まで、こんなにもスムーズに人とコミュニケーションが取れたことがなかった。いや、そもそも、初対面時に好印象を抱かれることがなかった。
これは存在感を高めた結果だろうか。
結論を出すより前に、私は彼女の提案を受け入れた。




