13:パートナー
「今度はカイル副寮長について調べてるの?」
カレーが乗ったスプーンを片手に、ユイカが顔を歪めた。
その表情には、面倒くさいものに関わってしまったという感情が前面に押し出されていた。
巻き込んでしまっていることに罪悪感を感じながらも、私は静かに頷いた。
「なんで、急に?」
ユイカの隣に座っているミラが、不思議そうに瞬きを繰り返した。
「今日、カイル副寮長からアッシュ寮長のことを聞いたんだけど、なんか違和感があったんだよね」
「違和感?」
「うん。上手く言葉にできないんだけど…」
ミラが繰り返し口にした単語に再び頷きを返し、私は唸った。そんな私に呆れながら、ユイカが口を開いた。
「そうは言っても、アッシュ寮長以上に詳しくないって。遠目で見かけて、意外と爽やかそうだなって思った程度よ」
「そうだよね…」
彼女の言い分に、私は途方に暮れた。
副寮長という肩書は、どうしても寮長より劣ってしまうし、影が薄い。表立って生徒の前に立つことがあまりなく、寮長のサポートに回ることが多いからなおのことそうだった。
「やっぱりツバキ寮長に聞くべきじゃない?」
ミラが眉尻を下げながらも、解決案を出してくれた。それは最初から頭の中にある選択肢の一つでもあった。
一度経験したこととは言え、ツバキ寮長の部屋を訪ねることにはいまだに慣れていないし、緊張してしまう。できるなら、避けて通りたい。
けれど、それではいつまでも欲しい答えは得られないということを私はもう知っていた。
── 何かを得たいなら、何かを捨てることだ
奇しくも、カイル副寮長の言葉が脳裏をよぎった。おそらく、今がその捨てる時だ。
晩ご飯を食べ終え、ユイカとミラに別れを告げ、私は寮の階段を登っていった。円を描くようにぐるぐると登っていると、だんだんと目が回ってきて、息切れも起こり始めた。
最上階はいつだって雲の上のように遠い。
自然と薄く冷たくなっていく空気に、私の中の憂鬱な感情は大きくなっていった。
それでも、一度通った道だからか、登りきってからドアの前に立つまで、そこまで時間はかからなかった。
そして、ノックしようと利き手を持ち上げた時、前回と同じようにドアが先に開いた。
「こんばんは、エンネさん」
抑揚のない、淡々とした声が鼓膜を揺らした。瞼の中に仕舞われた瞳が、じっとこちらを見つめてきた。
(やっぱり…目が合っている気がする)
何度体験しても、それは不思議な感覚だった。
誰もいない場所から視線を感じる。噛み砕いて説明するなら、そんな不気味さがあった。
「こんばんは、ツバキ寮長。あの、またお話を聞かせていただきたいんです」
「構いませんよ。どうぞ、中へ」
ツバキ寮長は後ろに下がると、私を部屋の中へと招き入れた。
中は以前と何も変わっていないように感じた。家具はもちろん、綺麗さも。まるでこの空間だけ、時間が止まっているみたいだった。
「ハーブティーを淹れますので座ってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
またハーブティーを振る舞ってくれるというツバキ寮長に素直に従い、以前座った椅子に腰を下ろした。
「調査は順調ですか?」
魔法のコンロにヤカンを置き、ツバキ寮長は私に背を向けながら尋ねてきた。
彼女が動くたびに揺れる美しい黒髪を眺めながら、私は答えた。
「少しずつ、情報は増えています。でも、私があまりにも対人コミュニケーションが下手すぎて逃してしまっている情報も多いです…」
「エンネさんは一人でいる時間を大切にしていますからね」
ツバキ寮長の言葉に、押し黙った。
良いように表現すれば確かにそうだ。けれど、私の場合はそんな綺麗なものではなく、人と関わるのが怖くて逃げていただけに過ぎなかった。
ボコボコ、とお湯が沸く音が生まれた沈黙を埋めてくれた。
「以前、完璧な人間なんていないという話をしたことを覚えていますか?」
「あ、はい! アッシュ寮長のことを調べて、痛感しました」
「あの言葉は、エンネさんにも言えることですよ」
真っ白な陶器のようなポットにお湯を注ぎながら、ツバキ寮長は語り続けた。
立ち上る湯気がゆらゆらと広がるたびに、ハーブの香りも充満していった。
「あなたも、完璧にはなれません」
それは突き放すような冷たい印象を持つ言葉だった。けれど、そうではないとすぐに理解することができた。
「私は、色んな音を聞き分けることができますが、どんなに努力しても紙に書かれた文字を読むことはできません。書類を読んでくれる副寮長がいなければ、事務仕事は何一つできないのです」
トレイにポットとセットになったカップを二つ乗せ、ツバキ寮長は振り返った。
「エンネさんにも、今はパートナーがいますよね。その方とお互いに補っていけばできないことも、できるようになります」
パートナー。それは十中八九、ノエルのことだった。
ツバキ寮長にノエルのことを話したことはあっただろうかと疑問に思った。けれど、それ以上にパートナーという言葉が、間違ってはいないはずなのに、とても照れくさかった。
そんな自分を誤魔化すようにハーブティーが注がれたカップに手を伸ばした。
前回よりも香り豊かに感じるのは、まだ淹れて間もないからか、それともさほど緊張していないからか。味も、より美味しく感じた。
「あの、ツバキ寮長。この紅茶ってどこで購入されてるんですか?」
思わずそう尋ねると、ツバキ寮長は柔らかく口角を上げた。
「後で、お店の名刺をお渡しします」
「あ、ありがとうございます…!」
「私が好きなものを気に入ってくださったのなら、とても嬉しいことです」
ツバキ寮長とほんの少しだけ仲良くなれた気がして、喜びと感動から、胸の奥が温かくなっていった。
そして、ふと思った。カイル副寮長との時も、セインさんとの時も、焦らずに、もっと時間をかけて向き合えばよかった、と。
おそらくそれが、対人コミュニケーションでの正解なんだ、と。
「さて、消灯時間もあることですし、早速本題に入りましょう。私に聞きたいこととは何ですか?」
話題を切り出してくれたツバキ寮長に感謝しながら、私はメモ帳とペンを取り出した。
「今回はカイル副寮長についてお聞きしたいんです」
「…カイルさんですか」
私がカイル副寮長の名前を出すと、ツバキ寮長は肩を落とした。声のトーンも下がり、わかりやすく苦手意識を抱いているのが伝わってきた。
「あの、カイル副寮長のこと、苦手なんですか…?」
「私がというよりも、カイルさんが私を嫌いなんです。…いえ、それでは少し語弊があるかもしれませんね」
ツバキ寮長は顎先に手を当て、ほんの少しだけ瞼を持ち上げた。
細い隙間から覗く漆黒の瞳は、何も映していないのに、何かを見つめているようだった。
おそらく、そこでカイル副寮長の姿を見つめているのだろう。
「カイルさんは、アッシュさんに近づく女性全てを嫌っているように感じました」
思いがけない言葉に、「え」と間抜けな声を上げた。
そのままの意味だとわかっているのに、その言葉を理解するのに時間がかかってしまった。
そんな私に助け舟を出すかのように、ツバキ寮長は補足した。
「嫉妬深い方なんでしょうね」
淡々とした声は、静かに消えていった。私が考え込んでしまったからだった。
嫉妬深い。カイル副寮長が。アッシュ寮長に近づく女性を毛嫌いする程に。
得た情報を頭の中で繰り返した。けれど、どの情報も、私の知るカイル副寮長とはなかなか結びつかなかった。
(仲が良いのは伝わってきた)
けれど、独占欲を抱いていたり、盲信している様子は見受けられなかった。
納得できないまま、なんとか話を続けた。
「な、なぜ、嫌われていると感じたんですか?」
「態度に棘がありました。苛立ちを孕んだ声に、こちらを煽るような言葉の数々。見えなくてもわかるほどに、鋭い視線を向けられたのは一度や二度ではありません」
ツバキ寮長が語ったカイル副寮長の態度は、談話室で対峙した彼の態度と一致していた。
ごくり、と唾を飲み込み、恐る恐るその疑問を口にした。
「その態度は、普段のカイル副寮長とは違うなと思いませんでしたか?」
「寮長になって、共に仕事をし始めるまで、カイルさんと関わったことがありませんでしたのでわかりません。ただ、聞いていたイメージとはだいぶ違うなとは思いました」
「聞いていたイメージとはどんなイメージですか?」
「武骨な外見に反して穏やかな方だと聞いていました」
メモ帳を握る指先に僅かに力が入り、紙が少しよれてしまった。
今日あったことをツバキ寮長に話すかどうか、少しだけ迷った。
穏やかなカイル副寮長と、攻撃的なカイル副寮長。私は確かにその両面と対峙した。
信じてもらえない可能性もあったが、その話をして、ツバキ寮長の考えを聞いてみたかった。
「あの、ツバキ寮長。実は、今日、カイル副寮長とお話をしたんです」
他言無用と言われた情報は伏せて、ただカイル副寮長の態度が急変したことを説明した。
静かに話を聞いていたツバキ寮長は、話が終わると間を置かずに口を開いた。
「エンネさん、少しおかしなことを聞いても良いですか?」
「え、あ、はい! どうぞ!」
ツバキ寮長はカップを置くと、首を傾げた。彼女の髪が動きに合わせて、優雅に揺れた。
「副寮長に既に何度か質問をしていて、毎回同じ回答が返ってきているのですが、私はどうにも受け入れられないんです」
ツバキ寮長は瞼を閉じたまま、じっと私を見つめた。
「カイルさんは、本当に男性ですか?」
その質問に、私はまた間抜けな声を上げた。




