12:表と裏
窓の外では本格的に雨が降り始めていた。時折、雷鳴まで轟き、自然と私たちの間に流れる空気を重く苦しいものにした。
そんな中で、私は静かに口を開いた。
「カイル副寮長。まず最初に質問したいことなんですけど、アッシュ寮長がこの学院に入学してからトラブルを起こしたことはありませんか?」
カイル副寮長は、アッシュ寮長のことを失言の多い人間だと語っていた。たとえ、失言をしないように注意していたとしても、四六時中誰かと生活を共にする寮生活では、うっかりその面が出てしまう可能性はあった。
私の質問に、カイル副寮長は目線を左側へと流した。そして、優雅に足を組んでから答えた。
「ゼロではないな。入学したての頃は、たびたびケンカをしていた」
先ほどまでの動揺が嘘のように、カイル副寮長は落ち着いていた。それと同時に、纏う雰囲気が鋭くなっていった。
警戒されている。それを痛感しながら、私は会話を続けた。
「ケンカになった相手を覚えていますか?」
「あぁ、覚えている。同級生のマティスだ」
「マティス? マティス・イグナートさんですか?」
「他にいないだろう」
マティス・イグナートという名前は以前にも聞いていた。警察の事情聴取や、ノエルが独自に聞き取り調査をした際に違和感のある対応をした生徒の一人だった。
思わず、丁寧に確認すると、棘のある言葉が返ってきた。それに、挫けそうになりながらも、なんとか口を開いた。
「ど、どんな内容でケンカをしていたか覚えていますか?」
「いや、覚えていない。きっと取るに足らないことだ。アッシュの才能に焼かれて、恨み言でも言ったのだろう」
カイル副寮長は視線を左側に流したまま、ほんの少しだけ首を傾けた。
間接照明の光が、その首筋をそっと浮かび上がらせた。
「マティスさんが…アッシュ寮長を殺した可能性は…?」
そう尋ねると、カイル副寮長は鼻で笑った。そして、足を組んでから初めて目を合わせてくれた。
「あの女にそんな度胸はないだろう」
こちらが警戒心を抱かせてしまったせいか、先ほどまでとはまるで別人のような振る舞いをするカイル副寮長に戸惑いを隠せなかった。
敵対したかったわけじゃない。じっくりと話を聞きたかっただけ。けれどそれを攻撃と取られてしまったのかもしれない。
(…また失敗したかも)
友好的だったカイル副寮長に嫌悪されてしまった。セインさんに続く失敗だった。
気落ちする私を助けるためにノエルが口を開いた。
「カイル副寮長、俺たちが失礼な態度をとったのなら謝ります。でも、カイル副寮長を疑ってるわけでも、敵対したいわけでもないんですよ!」
芯の通った明瞭な声が、部屋の中に響いた。
カイル副寮長は片眉を吊り上げた。そして、ソファの肘掛けに肘を立てると、顔を寄りかからせた。
「それでは、何も得られないだろうな」
思いも寄らない言葉に、「えっ」という私とノエルの声が重なった。
「何かを得たいなら、何かを捨てることだ。誰にも嫌われたくないと思いながら行動していたら、貴重な情報は得られない」
カイル副寮長は目を細めた。
「お前たちが、探偵ごっこを続けたいのであればそれでも良いだろう。低俗な者たちによるいじめ行為もそのうち収まるかもしれないからな」
探偵ごっこ。明らかに私たちを馬鹿にする言葉に、頭が真っ白になった。
けれど、言い返せないほど正論であることも確かだった。
「お前たちに、嫌われる覚悟があるか?」
カイル副寮長はまた鼻で笑った。
談話室に沈黙が流れた。私も、ノエルも、懸命に頭を働かせて考えていた。
本能は、カイル副寮長に嫌われることを避けたがっていた。彼のような品行方正な人に嫌われる人間だというレッテルが怖かった。
けれど、寮が違う私にとってはそこまで痛手ではなかった。
(ノエルは…)
チラリ、とノエルの横顔を盗み見る。
強張った表情筋は、彼の動揺がとても大きなことを、私に教えてくれた。
(ジェムルートのような閉鎖空間で、実質寮長の座に君臨する先輩に嫌われるのは痛い)
下手をすれば四面楚歌になりかねなかった。
私は息を吐き出すと、ノエルの前に制止の意味を込めて腕を出した。そして、カイル副寮長の瞳を真っすぐに見つめて答えた。
「私にはあります」
カイル副寮長が感心したように、「ほぅ」と呟いた。
(カイル副寮長はいきなり圧をかけてきた。おそらく、これ以上質問されたくないんだと思う。それはつまり、何かを知っている可能性が高いということ)
ここまで来た私に、引き下がる選択肢はなかった。
「なら、お前からの質問には答えよう」
笑みを浮かべることもなく、カイル副寮長は淡々と許可した。
その様は王座に座る国王のように威厳があった。
「ま、待ってください! 俺も…!」
「決断し切れていないお前はダメだ」
私の行動に、焦りながらも続いたノエルをカイル副寮長はばっさりと切り捨てた。
それにノエルが押し黙ると、赤い瞳がじっと私を射抜いた。まるで、照準を合わせるかのように。
「カイル副寮長は、先ほどアッシュ寮長がたびたび夜間に外出していると言っていましたが、他にそれを知っている者はいますか?」
「把握していない。だが、その場面を見かけたことがある者はいるかもしれないな」
「それだけ頻繁に行っていたということですか?」
「あぁ。多い時は二週間に一回の頻度だった。おそらく、事件のあった日も外出したんだろう」
「把握はしてなかったんですか?」
「わざわざ許可を取る必要も、共有する必要もないからな」
私は質問を重ねながら、メモ帳にも余すことなく書き記していった。
とても気持ちが急いでいた。事前には伝えられていないが、なんとなくタイムリミットが迫っていることを感じていたからだ。
「先ほど、アッシュ寮長はストレス解消目的で夜間に外出してると言っていましたが、事件があった頃に思い悩んでいる様子はありましたか?」
カイル副寮長は即座に首を横に振った。
「特に聞いていない」
それは、悩みがなかったとも、あったけれど相談はされていないともとれる回答だった。
私は思わず眉間にシワを寄せた。先ほどから、質問に答えてはくれているが、かわされているような感覚もあった。
(嘘はついていないけれど、本当のことは話していない感じがする…)
覚悟を決めたのに理不尽だと、怒りが湧いてきた。けれど、そもそも真摯に答えなくてはいけないというルールも制約もなかった。
警察の事情聴取だって本来は任意のものなんだから。
わかっているのに、止められなかった。
「私たちに、何か隠し事をしていませんか?」
思わずそう尋ねると、カイル副寮長は笑いを噛み殺した。
「もちろん、しているとも。数え切れないほどにな」
煽られ、顔が熱くなるのを感じた。
羞恥心に思考回路を支配され、頭の中が真っ白になっていく。
次の言葉を作れずにいる私を見つめて、カイル副寮長は勝ち誇ったかのように目を細めた。
「どうやら、もう質問もないようだな」
実際に、聞きたい質問内容は即座には浮かんできそうになかった。
カイル副寮長は靴底を鳴らして、立ち上がった。そして、真っすぐにドアに向かって歩いていった。
「それでは失礼させてもらうよ、後輩諸君」
ひらりと手を振り、彼はドアの向こうに消えていった。
沈黙の中、ただただ雨の音が談話室を満たしていた。
カイル副寮長が去って数秒後、私はやっと息を吐き出して、背もたれに寄りかかった。
「今日、失敗してばっかりだ…」
何も上手くいっていない。セインさんとの会話も、カイル副寮長との会話も。
(やっぱり、対人関係が苦手かも…)
誰かから情報を聞き出すなんて、私には到底無理なことだったのかもしれない。
セインさんの時は悔しさを感じたが、今は自分自身への落胆しかなかった。
ふと黙り込んでいるノエルの様子が気になった。
失敗し続ける私に失望してしまったのか。
不安になりながら横顔を確認すると、眉間にシワを寄せて考え込んでいるようだった。
「ノエル…?」
私が声をかけると、彼ははっとしたように顔を上げた。そして、慌てて私と視線を合わせた。
「ごめんね、ノエル。また失敗した…」
「いや、全然! 気にしないで! ただ…」
ノエルは気遣うように声を張り上げると、再び黙り込んでしまった。
どうやら、何かが引っかかっているらしい。
首を傾げて、彼の顔を覗き込んだ。
「どうしたの、ノエル?」
言うか言わないか、迷った後、ノエルは重い口を開いた。
「変なことを言ってる自覚はあるんだけど、」
ノエルはそこで一呼吸を置くと、じっと私を見つめ返した。
「 ── さっきエンネと話してた人って誰なのかなって」
私は思わず間抜けな声を上げてしまった。そんな私の反応に、顔を赤らめて、ノエルは勢いよく両手を振った。
「いや、カイル副寮長だってことは知ってるよ! ただ普段の態度とあまりにも違いすぎて…!」
心音が煩くなっていく。
私も少なからず同じことを思った。まるで別人と対峙している感覚が確かにあった。
「もしかして、カイル副寮長はあれが素なのかな?」
そう俯いたノエルの表情には、不安と動揺が滲んでいた。
私は慎重に言葉を選びながらも、彼の考えに同意した。
「可能性はなくはないね。アッシュ寮長も、思っていたような人物ではなかったし」
「そうだよね…。人って、いくつもの仮面を使い分けて生活してるって言うからね」
「あー、ペルソナね」
「そう、それ!」
私の言葉にピンっときたのか、ノエルは明るい表情を見せてくれた。
それにほっと胸を撫で下ろした。そして、ノエルにはやっぱり笑顔が似合うと再確認した。
「ノエル。正直言って、カイル副寮長はもっとたくさんのことを知ってると思う」
「俺もそれは思った」
私たちは目を合わせた。おそらく、思っていることは同じだ。
その答え合わせをするように、ノエルが口を開いた。
「カイル副寮長についても調べよう」
私は迷うことなく頷いた。




