50 クライシー男爵家の事情。前編
「でも、身分差の方の問題は?」
まだそこが宙ぶらりんだとリィナでもわかる。
メルヴィンも悩ましいと思うところで。
もうここはいっそのこと――……。
「だからクライシー男爵に、話……通します」
リィナのおじいさんに。
きちんと筋を通す――いや、通してもらう。
「……久しぶりにおねだり案件」
クライシー男爵は、亡き息子の忘れ形見であるリィナのことを大切にしていないわけではない。
むしろ大切だ。宝物だ。
顔には出さないが、本当にかわいい孫だと思っていた。
茶色い髪で瞳で目立つような華やかさはないが、それは自分もだし、息子もだった。引き継がれたクライシー家の色だ。
だが己の妻の可愛い顔立ちを引いてくれたことには感謝だ。紛うことなく自分の孫だと、本当なら胸を張って言いたい。自慢したい。
本当なら。
そして息子にただ「許す」と言えなかった自分を後悔していた。
その分を、忘れ形見のリィナに。
孫娘を残してくれたことを感謝し、息子ができなかったことを代わりに。彼女が幸福になれるよう、自分が助けをしなければ。
だが、クライシー男爵は元来不器用なひとだった。
亡き妻にも良く呆れられた。
妻の死も息子に伝えられなかったほど、臆病でもあった。
あの時、妻が危篤になったときに息子に報せることすらできなかったのだ。
あの時、許すことをしていたら――息子に会えたら今まだ妻も持ち直したかもしれない。自分に似た孫娘をきっと妻は喜んだだろう。
何よりそれにより息子家族ががけ崩れに巻き込まれて危険な目に遭うことを避けられたかもしれないのに。
息子は駆け落ちするほど愛した女とがけ崩れに巻き込まれ亡くなった。
唯一助かったのは孫娘だけで、そのときの衝撃で彼女はしばらく呆然としていて、近くの村人たちが助けてくれて、親を埋葬してくれたことも理解できていたかどうか。
報せをうけて自分が駆けつけたとき、リィナはようやく両親が亡くなったと悲しみが追いついて泣いていた。
村人やリィナを保護してくれていた教会に礼をして引き取ったが、しばらくは気まずい関係だった。
三年後の入学に合わせて勉強やマナーを詰め込ませることで、リィナにやることができたと気を紛らわせることには成功したか。
そのあたりは家令やメイドたちのアドバイスだ。
人間は何か目標があると頑張れると。
学園に入学しなさいと、それはリィナは望んでいなかったはずだが――入学式後の手紙に、ものすごい感謝の羅列なお礼の手紙に、びっくりした。
「学園にいれてくれてありがとう、おじいさん!」
果たして、リィナに何が?
何やら生きた推しとか、女神とか、姫とか書いてある……尊いとはなんぞや?
まぁ、楽しく過ごせているなら何よりだ。目的があると頑張れると言ってくれた使用人たちに感謝ばかりだ。
あとはリィナには、誰か良い人を学園で見つけてくれたらよい。
きっとそれが女の子の幸福なんだよな、と……。
不器用な彼はそれくらいしか孫にしてやれることもなく。
今なら王太子殿下も在学中だし、それに合わせて貴族たちは子を設けがちだ。相手を見つけやすいだろうと、無事に十五歳の入学期間に間に合って良かったとほっとしていた。
クライシー男爵は、本音を言えばリィナに家を継いでほしかった。
一人息子の忘れ形見だ。
彼は息子を勘当したわけではないので、実はリィナにもクライシー男爵家を継ぐ資格はある。
直系の孫であるから、誰よりも、だ。
そう、嫁に出した妹の孫たちより。
「だからね、お兄様。次男のサイモンはレイベル伯爵家のご子息と仲が良くてね……」
妹はしきりに自分の孫息子が出来が良くてと話にくる。
それは息子が亡くなる前からだ。
亡くなった妻の気苦労は、この小姑の相手もあったかもしれない。
妹は跡取りの空いた実家の爵位を、自分の孫息子に継がせたいらしい。
妹も同じ男爵位に嫁いでいるが、そちらはどうにも資金繰りがうまくいっていないようだ。これまでも何度助けてきたことか。
家出した息子など、一度も助けを求めてこなかったのに。
いっそ助けてと言われたら、それを口実に家に帰ってこいと――帰って来てくれと言えたのに。
後悔とは先には立たない。
それを何度。
クライシー男爵はまたそれを繰り返すところだった。
「ほら、リィナちゃんも平民だったのなら、貴族なんて堅苦しいのはつらいと思うの。いっそ良い商会に嫁ぐのはいかが? 亡くなったシリルもそういうお仕事していたそうじゃない? サイモンにも良く言い聞かせるわ、後見になるようにって……」
シリルとは亡くなった息子だ。
息子は身一つで家出して、もう少しで自分の商会を持てる程の稼ぎをもっていた。
お前の旦那や息子とは違うと、何度言いかけたか。
その息子の遺産は、助けてくれた村人たちや教会が本当に親切で埋葬代以外は手を付けず、リィナのために教会で保管してくれていたほどだ。
何でも村で病が流行ったときに、息子が薬を運んできてきちんと定価で売ってくれたことを感謝してくれていたとか。他の商人だったら値をつり上げて稼ぐというのに。
息子の仕事は、息子は、息子は、なんて誇らしい商人だったのか!
それは妹に気が付かれないよう、リィナの個人資産として取ってある。村人たちにはその分しっかりと彼の方から礼をした。
けれども妹の言葉にも悩んでしまう。
確かにリィナには貴族はつらいだろうか。
三年で学園に入れるほど、学業やマナーは追いついた。雇った家庭教師たちは皆、リィナを優秀だと褒めてくれたが。
けれども、貴族の跡取りとなるとまた違う。
「ほら、リィナちゃんのお母さんは平民でしょう……高位貴族の方って、そういうのに嫌な思いをすると思うの。リィナちゃんのこともそういう……もしかしたらもう、学園でも嫌な目に遭っているんじゃないかしら?」
妹は兄がリィナに学園で良い人を見つけて欲しい――できたら婿をというのを察しているようだ。
「サイモンは今二学年生なのだけれど、レイベル伯爵の御子息や、他にも有名なお家の方とよしみを持っているの」
どうだ、平民の血を引くお前の孫では高位貴族と知り合いにはなれまいと言いたいらしい。
「でもほら、うちだと……その家にお呼ばれしたりするときに、それなりに格好も整えなきゃだし、手土産や……ね、もう少し助けてもらえないかしら?」
つまりはそういう形での縁ではないか。
それならば息子のように平民からでも慕われるような縁を持てと言いたい。
「ね、未来のクライシー男爵家のためよ」
未来のクライシー男爵家は、そのサイモンが継ぐのだからと――。
「リィナちゃんにも、良かったらサイモンに学園で声をかけるように言っておくわ。寮生活も大変よね。ああそうそう、サイモンももう少し部屋のランクを上げてほしいって。それなりに寮費もかかるっていうのにねぇ」
クライシー家は王都に家を持てるほどではないし、妹の家も同じくだ。だからそうした下位貴族の他の子らのように学園の寮に。
リィナは男爵位の生徒が入れる寮棟の、なかなかの良い部屋を与えられているとサイモンが知ったらしい。
自分が将来受け継ぐ予定の家の金を、このぽっと出の平民混じりが使っていることが気に入らないようだ。
それを母親にちくったらしい。
「そうそう、商家が嫌で貴族が良いのならね。サイモンのお友だちのおじさまが後添えを探しているというの。しかもまだそんなお年じゃなくてお若い方らしいの。歳の差、父親ほどじゃあないわ。なんでも奥様が、産後よろしくなかったらしくて。お可哀想よね。それできちんともう貴族の血の引く跡取りはいるから、リィナちゃんみたいに平民の血が混じった子はきっと気楽に過ごさせて頂けるわ――ね、リィナちゃんの将来に、何が一番良いか考えましょうよ、お兄様」
その学園が始まってまだ数日。
新入生もようやく選択授業がはじまったという頃。
クライシー男爵はとんでもないお客様に驚愕していた。
妹をいつも通す部屋では失礼かもしれないと思いながらも、男爵家程度では応接室もいくつもない。
クライシー家は男爵位にしては裕福な方でも、やはり公爵家のお客様を招いたことなどなくて。
クライシー家の歴史でも初めてだった。
「コーディング公爵家からの、先触れだと――っ!?」
リィナちゃんは亡くなったパパ似。パパは亡くなったおばあちゃん似。おじいちゃん、本当に後悔。リィナちゃんは本当に彼女で一つ話になる「主人公」設定なのですな…。
不器用おじいちゃん頑張れ案件でもあり。




