34 勝負の「玉」。
数年後の帝国より。
紺色の不思議な布がかかった扉をくぐる。以前にこの布がかかる前に開けたら「準備中」と怒られたことを思い出す。
「ぇいらっしゃい!」
小気味の良い挨拶に、知らず頬が緩む。日中の忙しさでこわばった頬に血が流れるようだ。
彼は帝国の皇太子の第一子。
ジークヴァルトだ。
「お先に、兄上」
その布をくぐった先は小さな飲み屋となっていた。
カウンターだけの小さなその空間にはすでに先客が。
「クリスティアン、早かったな」
弟の一人だ。
黒の髪に青い瞳の自分と違い、金髪だ。瞳の色は同じだが、絶妙にそれもまた違う色味に感じる。
それは自分たちが腹違いの兄弟だからだ。
それはもう一人。
「はい、どうぞ」
クリスティアンと一つ席を開けて腰かければ、すぐにタイミング良く渡された手拭き。
これが大切だと初回に説明された。
「食べる前に手をきれいに」
それはもう一人の弟に。それこそこの手拭きを渡してくれた、この店の主。
「さ、これ今日のお通し」
にこにこと笑いながら小鉢をカウンター越しに置いてくれた。
その小さな器の中にはじゃが芋を甘辛く煮付けたものが。これは今ではジークヴァルトの好物だ。
内心ではずっと、芋など庶民が食べるものだと驕っていた自分の目を覚まさせてくれた一品だ。
目の前の一番下の弟は黄金の髪に金橙色の瞳で。
現皇帝である彼らの祖父の色を唯一引き継いでいる――帝位継承者のひとりだ。
なのに。
「エールにするかい? それともワインに?」
カウンター前でにこにこと愛想良く晩酌の希望を訪ねてくる。
金橙色の瞳では何の企みもなく、ただ「美味いもんを食わせたいんだよ」とだけ言っている。
「クリスティアンはエールか?」
「今日の一杯目は冷えたエールにすると、それだけを楽しみに仕事をこなしてきましたからね。いやあ、冷やしたら美味いエールを見つけてくれたフリードリヒに感謝です」
「……わかる。私にもエールを」
「はいよぉ! そのうちラガー飲ましてやっかんな!」
「らがー……?」
本来なら帝位を狙い、争う三兄弟のはずなのに。
フリードリヒというその弟は数年前から、何やら料理に目覚めたのだとか。
「開店のお知らせ」
あの日、影を通して正式に――しかして内密に届けられた招待状に。
手料理を振る舞うと。
これは弟がとうとう仕掛けてきたかと身構えた。
食事など――毒を入れる一番手頃な。
しかしここで臆しては帝位を狙うものとして、また。
自分陣営の手持ちの影の中で治癒魔法に秀でたものを控えさせながら招待に応じた。
今では応じて幸いだったとすら。あのときの自分の判断を褒めたい。
それはクリスティアンも同じくで。
「ぇいらっしゃい!」
あの日も今日と同じように先に席についていた。招かれたのは自分だけではなかったのかと――末弟から自分に対してこの三つ巴を崩す内密な話があるのではと勘ぐっていたのはお互い様であると、その時も顔を見合わせて。
それ以来、そこは弟の定位置にもなっている。それは自分もか。
しかし今では。
こうして末弟が開いてくれるこの不定期の店がお互いの楽しみとなっていて。
治癒魔法の使い手に関しては「まだまだアレルギーとか食中毒怖いから」と当の弟からも頼まれて「ええー……?」と、クリスティアンとも顔を見合わせているが。
フリードリヒは料理に目醒めた。
そして兄たちに振る舞ってくれたのだ。
わざわざ自分の宮の一角にこのような場を作ってまで。この調理場とカウンターだけの部屋と続く氷室があるらしい。
「俺の店」
と、嬉しそうにのれんという布を店先に掲げながら。
はじめはお互いに臆するところは見せられないと意地を張っていたが――胃袋を掴まれた。
「まずはこれを食ってくれ! 不味かったら俺もあきらめる。何もかも」
そう言って出されたのはただの卵。それを焼いて固めたもの。
わざわざ招待しておいてただの卵かとジークヴァルトもクリスティアンも、共に拍子抜けしたものだが。
美味かった。
ただ正直に、美味かった。
あれで既に勝敗は決し、自分たちは弟の話を聞く気になった。何故わざわざ自分たちを呼び出したのかを。
その玉子焼きは、彼の前世からの――それこそどれほど修練してきたか。
寿司屋は「玉」の味で決まるという通もいるほどに。
そして弟には何の狙いもなく、ただ本当に「美味いもんを食わせたい」と、それだけだったのだ。
いや、狙うとしたらこうして兄弟で話す場を作ってくれたことでもあるか。
そして彼らは美味いもので口も――気持ちも緩み。いつしか腹を割って話すことができた。
彼らは皇帝の孫。
そして共に帝位を狙い、争う立場にあった。
まだ皇帝はその座に付き権威を。彼らの父が皇太子として在るが、父もまた兄弟たちとその座を争ったという。
皇帝は一応は皇太子として父を認めているが、その次はどうか。
それに噂に聞いてもいる。
皇帝が本当にあとを継がせたかったほどに、今でも可愛がっている姪がいると。その姪には子がいて、また皇帝に気に入られている存在だとか。
その姪は皇帝と同じ金の髪に金橙色の瞳をしているのだとか。
そしてその色を自分たちの中で唯一受け継いでいるのが、末弟フリードリヒ。
腹違いの自分たち。
長男のジークヴァルトが一番優位に見えるが、彼は側妃腹だ。
正妃の子は次男のクリスティアンである。
そこで睨み合うところに帝国の色ともいうべき黄金の色を持って生まれたのは、また違う側妃腹のフリードリヒだ。
帝国の色を持たないジークヴァルトだが、その顔立ちは誰もが認めるほど父親、そして祖父である皇帝に似ていた。血を引いているのは明らかだ。
クリスティアンはまた、母自体がこの国の高位貴族の出。すなわち皇族の血も引いている。
実のところ一番優位は正妃の子であるクリスティアンだが、強い属国の後ろ盾があるジークヴァルトも拮抗していた。互いに帝国の血筋もあり。
そこに色だけで正当性をもたせるのは難しいいが、フリードリヒの母は皇太子である父が一番寵愛しているという強みもあった。そして帝国の色味にこだわる古い存在たちが彼を推している。
政略でもって帝国の高位貴族の娘を妻にして、均衡を取るために属国からも妃を受け入れたが、父が一番愛した女は幼馴染のフリードリヒの母だったのだ。
それは帝位を狙った父の隙となるはずだが、皇太子の座につけるほど父も優秀だったのだ。
そもそも、皇太子になるには「継続」たる子がいることが条件だ。
そのために自分たちの母は――母たちもまた、野望をもって皇太子に嫁いたのだ。
次の皇帝の妻に。
そして皇帝の母になるために。
それ故に。
実のところジークヴァルトとクリスティアンは、その後ろ盾のために帝位を求めていた。
フリードリヒもきっとそうであろうと……――。
――なのだが。
お寿司の玉。通な方はそれで職人の腕がわかるそうで。
これから数話、帝国フリードリヒ兄貴奮闘編。お付き合いを。こういう別ルートを考えるのが好き。




