第3章:波乱の対抗戦 〜「私のニケ」に触れるな〜
「さあ、泣き叫べアルティナ! そして不遜なるその犬め! 名門三アークライトが誇る真の使役術、その目に焼き付けるがいい!」
観客席からの地鳴りのような歓声が響く、学院の広大な演習競技場。
学年別対抗戦の舞台で、レオン・フォン・アークライトは勝ち誇った笑みを浮かべ、巨大な魔法陣から一匹の異形を召喚していた。
それは無数の触手を持つ、おぞましき魔獣――『魔核喰らい(マナ・イーター)』。
標的の魔力を強制的に吸い上げ、その魔力回路を激しく汚染・攪乱する、対魔法使い用に特化した忌むべき獣だ。競技会のルールを巧妙にすり抜けたその嫌がらせの魔獣が、まっすぐにニケへと襲いかかる。
瞬間、ニケの周囲に展開されていた強化魔法の幾何学模様が、触手から放たれた不快な魔力波によって一瞬だけ歪み、濁った。
「――あ」
ニケの喉から、不快感に満ちた声が漏れる。
彼の中に流れる、純潔極まるアルティナの魔力。そこに、ほんの一滴、他人の汚悪な魔力が混ざり込もうとした。
その瞬間だった。
競技場全体の気温が、文字通り氷点下まで叩き落とされたかのような錯覚が走る。
いつも完璧で物静かな微笑みを絶やさなかったアルティナの顔から、一切の感情が消え失せていた。陶器のような白い肌が、逆光の中で死神のように冷たく浮かび上がる。
アイスブルーの瞳の奥、その光が完全に据わっていた。
(……私のニケに。私の許可なく生きることも許されない、私だけの可愛い小鳥に。あんな薄汚い、豚の排泄物にも劣る他人の魔力を混ぜようとした……?)
アルティナの脳内で、超高速の演算が始まる。アークライト家の資産状況、保有兵力、親族の配置、それらをいかに効率よく、社会的に、そして物理的に根絶やしにするかという狂気的な抹殺計画が、一瞬で組み立てられていく。
同時に、ニケのルビーレッドの瞳からも、一切の理性が消し飛んでいた。
彼は己の胸を掻きむしり、激しい拒絶反応に顔を歪ませる。
「あいつの魔力が触れた。汚れた。消さなきゃ。アルティナ以外のすべてが気持ち悪い。消えろ、消えろ、消えろ消えろ消えろ――っ!!」
もはや完全な暴走状態。だが、アルティナはそんなニケを止めるどころか、その背中にそっと手を添え、至高の笑みを浮かべた。
「いいですよ、ニケ。不快なゴミは、形も残さず消し去りなさい」
――カチリ、と脳内で音がした。
アルティナは、普段はニケの肉体が壊れないよう厳重に制限していた「一般的な魔法使いの100倍の魔力」の蛇口を、一気に限界まで全開にした。
「が、あぁぁぁぁぁっ!!!」
ニケの全身の血管が、膨大な魔力の光を帯びて青白く浮かび上がる。常人なら肉体が破裂するほどのエネルギーの奔流。だが、アルティナの「魔力を視る眼」が、ニケの体内で暴れる魔力の形を完璧に制御し、最適化していく。
「右斜め上、三秒後に魔獣の触手が収束。正面、レオン君が展開しようとしている防衛障壁の『形の欠陥』は中央やや左下。――そこを、全力で穿ちなさい」
「了解、アルティナ……ッ!!」
アルティナの完璧なナビゲートを受け、ニケの全開の魔力が空間へと解き放たれる。
彼が紡いだのは、名門一の得意分野である『身体強化』。しかし、それはもはや強化などという生易しいものではなかった。
ニケが踏み込んだ瞬間、衝撃波だけで演習場の強固な石畳が津波のようにめくれ上がり、爆砕する。『魔核喰らい』の魔獣など、ニケの放つ圧倒的な魔力の圧力だけで、触れることもできずに肉塊へと破砕された。
「ひ、あ、あああ……っ!?」
レオンが必死に展開した最高級の防衛陣。だが、アルティナに弱点を見抜かれ、限界突破したニケの拳がそこへ叩き込まれる。
ガラスが割れるような凄まじい爆音が響き、障壁は粉々に粉砕。その余波の暴風だけで、レオンのチームメイトたちは木の葉のように吹き飛び、壁に叩きつけられて白目を剥いた。
ただ一人残されたレオンの眼前に、ニケが歪んだ、凶気的な笑顔を浮かべて立っていた。その手元には、さらに巨大な、演習場ごと更地にするレベルの神話級の強化魔法の紋様が、幾重にも重なって輝いている。
「ま、待て、降伏、私は降伏する――っ!」
レオンはプライドも何もかも投げ出し、涙と鼻水に顔を汚しながら、その場に崩れ落ちた。恐怖のあまり股間を濡らし、ガチガチと歯を鳴らして命乞いをする。
だが、ニケの耳にその声は届かない。彼はただ、笑顔のまま、その絶大な一撃を振り下ろそうとした。
ドガァァァァァァン!!!
寸前でアルティナがニケの魔力供給を絞り、一撃の軌道を数メートル逸らしたものの、余波の爆発で演習場の半分が完全に消失し、巨大なクレーターが穿たれた。審判も観客も、あまりのオーバーキルに声を失い、水を打ったように静まり返っている。
硝煙が立ち込める中、ニケはアルティナの元へ駆け寄り、縋るようにその手を握った。
「アルティナ、アルティナ……! 俺を、俺の魔力を君の愛で、早く上書きして……!」
「ええ、よく頑張りましたね、ニケ」
二人は周囲の惨状など目に入らないとばかりに、お互いを見つめ合い、恍惚とした表情で再び濃密な魔力を循環させ始める。
その歪極まるバカップルの足元で、白いモフモフの幻獣アッシュが、魂が口から飛び出さんばかりの勢いで絶叫の念話を叩き込んでいた。
『おい試合終了の合図が聞こえないのかァァァ!!! 相手チーム全員白目剥いて泡吹いてるだろ! レオン君なんて完全に恐怖で失禁して幼児退行しかけてるぞ! っていうかお嬢様! 今「レオン君の家系ごと消そうか」って本気で脳内シミュレーション完了してただろ! 思考が影(俺)の中に筒抜けなんだよ! 頼むから自重してくれ! このままだとハッピーエンドを迎える前に、お前ら二人で国を滅ぼしちまうわーーー!!!』
だが、深く愛を注ぎ合う猛獣使いと狂犬の耳に、憐れな幻獣のツッコミが届くことは、やはりこの日もなかったのであった。




