21
ある日、略奪や幼児を誘拐しての人身売買といった犯罪を行う組織の拠点を叩く依頼を受け、拓真は王都に来ていた。夜、食事を終えて宿に戻る道すがら、気付いてしまったのだ。闇を縫って走る、その気配に。
迷ったのは一瞬。後を追う。
気付かれぬよう、自身の魔力を周囲に同化させる。魔力シールドを足場に走ることで、靴音を消す。全力で走ろうとすれば、それでも靴音は鳴るものだが、全力でなくて良いならば、魔力勾配で衝撃を吸収して靴音をほとんど消せる。これで、自身の気配をほぼ消すことができた。目で見られてしまえば意味がないが、そうでなければ、気配に余程敏感な相手でもそうそう気付かれない。
拓真が追う気配は、迷いのない足取りである建物の前まで来ると、窓から内部に侵入した。
(うわ、マジか)
拓真もその建物の前へ向かう。何の変哲もない民家だ。
同じ窓から侵入する。窓は魔術で溶かされた様子だった。
建物には中庭があった。そちらから声が聞こえる。老年の域に差し掛かるくらいの女性と、少女の声。可能な限り近づき、耳を澄ます。
「そう、あなたも私と同じ!善意の施しという快楽に浸る偽善者でしかない!」
一体何の話だろうか。
「…そうですね、その通りかもしれません。確かに、誰かに喜んでもらえれば私が嬉しいから、人々の助けになろうとするのでしょう」
「そう、だからあなたもこちらに来なさい。奴隷商は儲かるわよ。その上、不幸を生むの。救いを求める人を増やせるの。そうしたら、私達が手を差し伸べられるじゃない?不幸な人のために、利益を還元して見せるの。なるべく大規模な事業がいいわね。たくさんの人に感謝される、いえ、私が感謝させるの」
「残念ですが、私は事業に疎いものですから。魔術で皆さんの助けになりたいと思っています。それに、犯罪に手を染めるのはいけません。幸福を生むために不幸を生んでどうします?それは、私が信じる道ではありません。そう、例え偽善だとしても、私は人の幸福を守りたいのです。私は、私自身の道を進むしかない、それで良いはずです」
「そう、ならばこの場で消えてもらわなきゃいけないわねえ。これが何か分かるかしら?」
言いながら、懐に忍ばせた袋から何かを取り出す。よく見えないが、指で摘めるほどの大きさのようだ。
「さあ、見ただけでは何とも。……ですが、そうですね、あなたは魔術師ではないはずですが、高い魔操力と、それに反して不安定さを感じます。……霊薬、でしょうか」
「その通りよ。見ただけでは、なんて。そりゃあ分かるわよね?あなたも使っていたのですものねえ?」
あからさまな挑発だが、少女は取り合わない。ただ一瞬、濃密な魔力が少女を中心に渦を巻いた。老年の女性は気付かない。確かに、魔術師ではないのだろう。
「……あなたに救われた人と、幸福を奪われた人。どちらが多いのでしょうね……」
ぽつりと溢された呟きへの反応は、冷淡だった。
「さあ?そんなのどうでもいいじゃない。ほら、さっさと死んで頂戴!」
魔力操作の気配。常人にしては相当な魔操力だが、あくまで常人にしては、だ。相手の実力を把握できていない時点で、話にならない。
「残念です。あなたのことは尊敬していました。ですが、私もこんなところで立ち止まってはいられませんので」
その言葉と共に、先の魔術を飲み込む膨大な魔力操作。老年の女性は、ほとんど一瞬のうちに、文字通り蒸発した。
(うわー、これはまた…)
凄まじい魔術だ。より一層、魔操力に磨きがかかったのではないだろうか。これは敵に回せない。恐ろし過ぎる。
そんな感想を抱いたところへ、その少女ーーシエラからの声が飛ぶ。
「そこの人、いるのは分かっていますよ。出てきて下さい」
驚いた。まさかバレているとは。気配の隠蔽は自信があったのだが。
まあ、出て行ったところで、不都合はない。大人しく気配の隠蔽を解除し、姿を見せる。
シエラが訝しげな顔になる。
「…あなたは……?」
「拓真だ。久し振りだな、シエラさん。何で歳取ってないんだ?」
シエラの外見年齢は、日本で言えば大学生くらいに見えた。つまり、封印されている間、歳を取っていないのだろうか。
「え、タクマさん?ええ、本当ですか?ちょっと若くなってません??」
「まあな。なかなか説明が難しいんで、後でな。で、さっきのおばさんは何をやらかしてたんだ?」
「え、ええ、違法な人身売買や略奪などを行う犯罪組織のトップです」
「おっと、何か覚えのある罪状だな。ひょっとして、『鍵』のやつか?」
拓真が拠点を潰すよう指示された組織は、構成員が身体の目立たないところに鍵の形の刺青を入れていた。
「はい、そうですが……。あ、もしかしてタクマさんも追っていましたか?」
「ああ、まあ俺は末端の拠点を襲撃するってだけだったけどな」
それに比べて、組織のトップを処理しているとは。色々とアドバンテージはあるだろうが、相変わらず積極果敢な聖女であるらしい。
「あの、さっきの女性は無私の人として多くの人に敬愛されていまして。孤児院を設立したり、魔物被害に遭った村へ支援をしたり。そうした慈善事業を行って来ました。それが、裏で犯罪に手を染めていたとなれば、大きな混乱を招くでしょう。ですから、このことはどうか内密に」
「もちろんだ。こんなご時世だから、尚更な」
今、この国は全体的に元気がない。敢えて追い討ちをかけることもない。
「にしたって、慈善事業の資金のために犯罪を犯すってなあ。目的のために手段は選ばずっても、流石にそれはなくないか?目的を自分で否定してるようなもんだろ。いや、慈善事業ってのも奴にとっては手段だったのか?」
「施しを与えることで、相手の心を支配している、みたいなことを言ってましたね」
誰かを助けることで、感謝される。尊敬される。そうなれば、その誰かは私の言うことに盲目的に従う。そういうことを言っているのだろうか。
「あー、そこに目的があるのか。真っ当な範囲で満足してくれりゃ文句なかったのに、なんでそんなになっちゃうかなあ。どっかから変な影響でも受けたか?」
慈善事業は、今のこの国には必要なものだろう。残念だ。
「そうですね、あの人が使っていた霊薬、禁術によって作られるものですが、それを作った人物達に唆された面はあるかもしれません。禁術の再現にかなりの資金援助をしていたようですので」
そこで言葉を切ったかに思えたが、再度口を開く。
「あの……これで、良かったのでしょうか」
思いの外、惑いの滲んだ声だった。拓真は思わずシエラに向き直った。
「ん、というと?」
「あの人は、重大な犯罪を犯していました。ですが、あの人に多くの人が救われたのも事実です。それを、このような形で排除するのは正しいのでしょうか」
「そういうことか。あのおばさんが、不幸よりも幸福を多く生み出していたとしたら、罰せられるべきなのかって話だな」
頷きが返される。
「……うん、こういう時は、ただ『良いんだ』と言うべきなのかもしれないけどな。俺は面倒くさいことに、理由がないと不安になる質なんだ。だから、ちょっと話をさせてもらうぞ」
そう前置きして、話し始める。
「確かに、撒き散らした不幸よりも生み出した幸福の方が多ければ総合的に見て善、とする見方はあるだろう。だが、幸福や不幸の多寡はどうやって評価する?それは、自身の価値観に従うしかない。あるいは、犯罪を犯した時点で有罪、幸福と相殺できるようなもんじゃないって考え方ももちろんある。唯一の正解なんてない。自分の信じる正義に従うしかないんだ……って言ったら、答えなんて分かってるんだろ?」
シエラ自身も、同じことを言っていたはずだ。まあ、分かっていても、不安になることはある。一人一人の中に答えはある、とするヒューマニズムは、中々に覚悟を要する道だ。
「それは……そうですね。ですが、私は、私自身の正義の上を、正しく歩けているでしょうか。これは私自身の道だと、そう言えるでしょうか」
なるほど、それもまた不安になるポイントだろう。
「そうだな…。そもそも、他者からの影響を受けない、全く独自の価値観ってのはあり得ない。自身を取り巻く環境に、持って生まれた性質で反応することで形成されて行くのが、自分ってものだからな。だから、他者の影響だとしても、自身の経験に照らして納得したんだったら、それは自分の考え、自分の価値観、自分の正義と言っていいと思う。唯一つの考えにあまり拘り過ぎるのは危険だけどな。シエラさんは、他者の言葉に耳を傾けるし、かと言って鵜呑みにするわけでもない。シエラさんは大丈夫だと、俺は思うよ」
「……はい、ありがとうございます」
少し、目に力が戻っただろうか。どんな話をすれば相手に響くのかなんて、正直分からない。こんな話でも、少しでも響いてくれたら良いのだが。
「まあ、俺としちゃ、安心したよ」
急に変わった話に、何だろう?という表情。
「いつだか、シエラさんが狭量な正義を掲げるなら敵対するって言ったろ?だけど、敵対して勝てる見込みなんてないからな。今みたいに迷うってことは、敵対せずに済みそうだ」
「ああ、言ってましたね。ふふ、それは良かったです。敵対しそうであれば、タクマさんが力をつける前に排除しなければいけないところでした」
「うわ、怖!やると決めたら一切容赦しなそうだもんな……」
自分の正義が良い結果を生むかどうかなんて、大抵分かりはしない。様々な状況によって、結果は変わる。だから、状況に合う正義を求めて、人は迷うべきだと思う。その一方で、迷ってばかりもいられない。決断しないことが最大の間違いという場面もあるだろう。決断するためには、ぶれない軸があった方がいい。変わるべき部分と変わってはいけない部分。本当に、ヒューマニズムというのは難儀だ。
「あとは、そうだな、俺としては、その正義の中心に、他者のためってのがあるといいと思うけどな。何だかんだ言っても、俺は皆で幸せになろうってのが正義だと思ってるから。自分が中心の正義は、他者の利益と折り合いをつけられない限り不幸だ」
「タクマさんは、それを不幸と言うのですね」
「ああ。人は自分自身を選べないんだからな。どんなことを楽しいと感じるか。どんなものに怒りを感じるか。どんな時に泣きたくなるか。何をしたいと思うか。耐え難いものは何か。それは、普通、理性で選択できるものじゃない。いつの間にか、そういう自分になっていたはずだ」
拓真が他者の尊重を正義とする理由はそこにある。人の性質は、遺伝と幼い頃の環境で概ね決まる。それらは、自分で選べるものではない。だから、極悪人がいたとして、それは誰が悪いかと言えば、当人とも、その人物を産み育てた親や地域や社会とも言えるし、誰が悪いわけでもない、と言うこともできるだろう。極悪人は厳罰に処さねばならない、それは、その人物が悪いからではなく、その性質が他者を不幸にしてしまうので、申し訳ないけれども極悪人は許容できない。そういうことだと思う。
「だから、自分が中心の正義になってしまった人は不幸だ。敵を作りやすいから」
自分の正義に従う度に、敵を作って孤立してしまう。それは、悲劇と言えるのではないか。
「まあ、自己中と向き合ってる時にそんなことは思わないけどな。ただただイラっとする」
「ふふ、そうですね。それに、他者が中心でも、残念ながら敵ができないわけではありませんけれどね」
経験談だろうか。恐らくそうだろう。封印されるに至った罪は、冤罪だったのだろうから。
「残念ながらな。人それぞれに正義や幸福があるってのは、難儀な話だよ。客観的に見て、どっちも正しいって場合もあるしな。ただ、やっぱり他者のために行動してた方が、敵は少ないもんさ。わざわざ自分から敵を作って、人生ハードモードにすることもないだろ。目的はあくまで他者のため。それで感謝されたり、自分も嬉しかったりってのは、おまけくらいに思っておくのがいいんじゃないか」
「おまけ。ちょっとお得感があっていいですね」
「だろ?欲しがってばかりじゃ腹も減る。自分中心になっちまうと、腹が減ってばかりなんだよなあ」
拓真自身は、大丈夫だろうか。人のためと思っていても、何故自分の思うようになってくれないのかと、いつの間にか自分中心になってはいなかっただろうか。




