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龍神様は引っ張り出されたくありません  作者: 夜野 天
第二章
25/48

8




◇◇◇



 どうしたことか、と思ったが、意外と平和だ。


 槌永卯木が千世子のクラスの臨時教師となり、早三日目の感想である。


 やっと慣れ始めて来た、友人、灯処とのお昼ご飯。


 いつかと同じ、普通校舎の屋上にて遠目から滝津を見守りつつ、惣菜パンを咀嚼する。

 滝津の傍間近での警護は引き続き、神使の鳴に、さらに本日の普通校舎の見回りは眷属の水鳥に任せているので、千世子はわりと優雅に滝津を見守ることが出来ていた。


 もちろん、普通校舎をウロウロしている槌永先生対策に、力が外へと漏れない類の結界を張るのも忘れない。

 槌永先生が臨時教師になってからというもの、迂闊に水も飲めない。まったく困ったものである。


 そう。まったく困ったものである。


 この、風神にも。


 特別校舎を、フェンス越しに覗きながら、灯処と並んで食事中。にも関わらず、千世子の結界をすり抜けて、灯処の隣に美形が一人。


 聞けば最近、夜には灯処の所に入り浸っているようで、毎晩のように灯処からのSOSの連絡が来る。

 さらには、たった今現在、灯所のガードをくぐり抜け、彼女のエビフライを頬張っている始末。


 それに連動するかのように、灯処はブルーな斜線を背負い項垂れている。


「……風さん。灯処ちゃんのこと、すっごい気に入ったんだね」


 私は、膝の上に座っている空色の着物のコツメカワウソを撫でながら、生温かい視線を向けてしまう。


「そうなんです! 水神(みずがみ)様! 風神様は、とってもご友人様のことがお気に召したようなんです。水神様といい、風神様といい、ご友人様はすごいお方ですね!」


 千世子の膝できゃっきゃしているこの小動物にも、同様の視線を向けてしまうのは仕様の無いことだ。


「……あ。槌永先生だ」


 いつの間にか顔を上げていた灯処が、目を細めながらフェンスの向こうを眺める。

 彼女の両目は一・八だ。自慢気に話された時は一体どこの野生児だ、とは思ったものの、実際素直に羨ましい。


 千世子も、即席望遠で覗くと確かにいつもの仲間達に交じって卯木がいた。


 やはり、千世子の教室で見るよりも、こっちの方がしっくりくる。


「そういえば、槌永先生どう? 千世子ちゃんのクラスでの授業って、普通?」


 まるで千世子の思考を読んだかのような問いに、千世子は苦笑した。


「どうって、言われてもね。私は出たり出なかったりだし。……、教え方はわかり易かったよ」


「出たり出なかったりって?」


「なんぞ? 察するに水鳥であるな?」


 相変わらず、灯処の弁当を狙い、次はミートボールを口に入れながら、風青は千世子の眷属の内一人の名前を上げた。


「水鳥さん?」


 “水鳥”と言えば、良く千世子のことを迎えにくる女の子のことだろう。

 裏庭のベンチや、この屋上など、昼食を終える時に現れて、千世子を連れて行く。

 灯処とも軽口を言い合うくらいには砕けた仲だ。


 艶やかな黒髪のすっきりとした美人でありながら、常に長い前髪で目元を隠している。


 それに合わせているのか、調子は軽快でありながらも、口調は平坦で一見するとただの暗い子だ。


 彼女はその名の通り、水鳥……水辺で生活する鳥の精霊だと説明された。


 少しロマンチックな考えではあるが、つまりチャイコフスキーの“白鳥の湖”でいうオデット姫のようなものだろうか、と勝手に思っている。


 その水鳥さんと、千世子の授業出席率、一体どう関係するというのか。


 不思議に思っていることが顔色にそのまま出たのだろう。くすり、と小さく笑った風青に頭を撫でられた。


 ……若干、釈然としない。



「チヨは、先代水神によって呪いを掛けられているのは知っておろう?」


「え? それって『存在感が希薄になる』っていう」


「そう。先代水神……私の保護者が掛けてくれた呪いだけどね。この呪いも万能じゃないのさ。

 ほら、現に灯処ちゃんにバレちゃってる。

 まぁ、灯処ちゃんの場合は特殊なケースだから、あまり参考にはならないけどね。それでも一つの例にはなる」


 灯処の存在、それこそが呪いが万能では無いという一つの解だ。


「灯処ちゃんの場合は、本来の手順の中間を吹っ飛ばした例なんだ。我ながら出会いが出会いだったからね。用はインパクトだよ」


「……言いたいことは何となくわかるわ。私の場合は、それこそ衝撃的な状況で、まるで刷り込みのように千世子ちゃんのことを覚えてしまった。これは千世子ちゃんにとっては不意打ちもいいところね。

 “本来”ならば、一番に警戒するべきは普段からの接触だけだったはず」


 本当ならば、千世子が一番に恐れ、現に警戒していたのは千世子が普段から身を置き、長い時間を共に過ごす同窓生のはずだったのだ。


 ああ。そうか。


 そこまで思い至り、灯処は理解する。

 今ここで、千世子以外の他者、『水鳥』の名が挙がった理由。


「グループ活動ね。実験に実習。行事の時も、どうしても他のクラスメイトと組まされるわ。それを水鳥さんが代わってる、と」


「ご名答」


 灯処の弾き出した答えに、千世子は満足そうに頷く。


「いくら存在感の無い人間でもね。何度でも接している内にどうしても覚えられてしまうものさ。

 ならば、“ソレ”自体を回避してしまえばいい。

 予定してた時間は(あらかじ)め。突発的な事態には秘策を使う」


「秘策?」


「“先生ー! トイレー!”ってね」


 まるで悪戯っ子のような表情で千世子は笑う。


「まぁ、それを抜きにしてもね。槌永先生はとてもスルドイ(・・・・)から、私個人の考えとしてもあまり接触したくないんだ。

 だから三回に一回は、水鳥と交代して私が『姫』の護衛をしてる」


「……成程。……でも、勉強は大丈夫なの?」


 返ってきたのは、至極真っ当な問い。

 一通りの話を聞いた者としても、持って当然の疑問だろう。


 “神様”クオリティで、テストの点も取れるのだろうか。


 なんて、軽く考えたが故の言葉だったが、反応は顕著なものだった。


 見事に泳ぐ千世子の目線に、小刻みに震える風青の肩。


 ……ああ。



「千世子ちゃん……?」


「べ、別に、私、神様だし。もう就職、決まってるようなものだし。テストで点数取れなくても困らないしっ!」


 子供か。


「……くくっ。本来ならば、神は万物を識る。何故ならば、風はどこにでも吹き、水はどこにでもあるからの。我等は世界を巡り、邂逅する同胞達から自然と知識を取り込むものぞ。

 けれど、チヨはまだ人の身。人の身で、得るには過ぎる力での。チヨは、一般的な人としての知力しかあらぬ。けれども、知に貪欲でもあらぬ」


「……」


 風青の言葉は、ちょっと小難しいものの、結論としては変わらない。


 つまり。


「……千世子ちゃん。勉強嫌いなのね」


「身も蓋も無いっっ!!」


「ご友人様、正直者ですぅ!」


 千世子の周りは、今日も平和である。



◆◇◇



 予想とは多いに外れた現状に、卯木は頭を抱えていた。


 こんなはずでは無かった。


 怪しむべきクラスに乗り込むことで、尻尾を掴んだも同然だと思っていたのに、この状況はどうだ。


 実際問題、何の解決の糸口も掴めていないのだ。


 臨時教師となって数日。されど数日。今現在からして、リミットのある卯木としては焦ってしまうのも仕様の無いことではあった。


 板書終え、教室内を見回す。


 内容の説明をしつつも頭は冷静にクラス内を観察する。


 このクラスだという確信を持った日以来、水の気配どころか同じ能力者としての気配すらも感じ取ることが出来ない。


 今日もこのまま終わるのか、と諦めも出てきた卯木は、先日行った小テストのプリントを返却して時間を終えることを決め、一人づつ前へと来るように促す。


 ここまで来ると、確かに感じていた己の手応えまでも疑いにかかってしまう。


 ……俺の勘違いだったのだろうか。


 名前を呼び、軽口を叩きながらも、諦観へと傾いていく内心を止めることが出来なかった。

 恐らく、自分が間違えたのだろう、と。

 ならば、本来の教科担任が戻り次第、この教室から手を引こう。未練を残すのも良くないので潔く諦めるべきだろう、と。


 この時卯木は、この教室に来て初めて気を抜いていたと言ってもいい。


 気配や能力を探ることを止め、ただ姿だけを目に移す。

 故に、引っ掛かりを覚えたのだ。


 後ろ髪を一本で括った、どこにでもいそうな平凡な背中。翻るスカート。


 一瞬で、クラスの中に埋没していった姿に、もう見失ってしまったのは自覚したものの……。


 あの夜に戻ったのかと思った。

 それほどまでに、一緒だった。


 覚えていない夜の中であっても、忘れることの無かったあの後ろ姿に。


「槌永先生?」


「……っ!」


 思考と一緒に体も止まっていたらしい。

 前に出て来てた生徒に呼びかけられ、我に返った卯木は内心の動揺を押し殺しつつ、プリントを手渡す。


 体は日々のローテーションを繰り返しながらも、頭の中では酷くパニックだ。

 今、呼んだ名前を思い出そうとし、去っていったあの背中を探そうと、表面上では淡々とプリントを返却している自分が酷く滑稽だった。


 それでも目線を忙しなく教室中に巡らせることを止められない。


 おかしい。


 たった数秒前のことだぞ。それなのに呼んだはずの名前が誰のものだったのか思い出せない。


 当たりをつけて、名簿を見返すも、これだという確信が持てないとは、どういうことだ。


 授業の終わり、起立する生徒達を見回すも、卯木の動揺は酷くなる一方だった。


 違和感が拭えない。

 だってそうだろう。限られた生徒の中。その中でもさらに数名に絞れた状況なのに。


 何度名前を思い返しても、何度、顔と照らし合わせても、どうしても上滑りして行く感覚が収まらないのだから。


 何かの術が使われていることは間違いない。

 けれども、それが何なのか見当もつかない。


「……っそっ!!」


 起立の挨拶が終われば、あの場にいることも出来ない。


 卯木は、足音も荒く廊下を進む。


 “見つけたと思えば離れ、離れたと思えば近くにいる”。


 まるで、有名な物語の一節のような文句が浮かび、苦い気持ちになる。


「……“恋は気まぐれ、野の小鳥”ってか……?」


 “カルメン”の中で使われる歌詞。


 冗談じゃ無い。何が恋だ。


 こんなのただ弄ばれているだけじゃないか。


 思い出すのは神聖な気配。


 同じ場所にいるはずなのに、まるで手の届かないものに手を伸ばしている気分だ。




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