第3話「元最強だった勇者様っ!①」
「部屋は三部屋でいいですよ?」
その日の宿を探す際、エリシャが指を三本立てた。
「私、ロイドくんと一緒に寝ますから」
「淫らです!いけませんエリシャさん!」
ロイドは即座に貞操観念への抵触を提唱した。
「ロイドくん……。私、シスターですよ? 教会の教えがあるのですから、淫らなことはしません。女神に誓います」
「ああ、女神に誓うなら……」
「待ってよ。何で信じるの?そんなの嘘に決まってるじゃない」
アンリが手を掴んだが、ロイドは「何を騒いでいるの?」とでも言いたげに振り返る。
「でも、エリシャさんは「女神に」って言ったよ?シスターにとって、とても重い言葉だ」
「どこまでピュアなのよ。あいつは、あんたの為なら神も親も平気で裏切るわよ」
「じゃあアンリは、エリシャさんが嘘つきだって言いたいのかい?」
そうに決まってるじゃない、とアンリが鼻を鳴らすと、ロイドは屈んで「めっ」とした。
「アンリ。駄目だよ、人を無闇に疑ったら」
このバカでは話にならない。
アンリが、エリシャに胸を押し付け合うようにして睨んだ。
「エリシャ。あんたも一人で寝て。信用出来ない」
「アンリちゃん……。私ね、こう見えて約束は《《稀》》に守る女なんですよ」
「《《稀》》にしか守らない約束のどこを信じればいいわけ?」
「では明日ならいいですか?」
「時期の問題じゃないの」
「おい、お前ら。ロイドは俺と飲むんだよ。五年ぶりなんだぞ。今日は男同士の友情に譲れ」
「…………」
ロイドは思った。
五年後の自分は、一体どんな人間だったのだろう。こんなにも重たい感情を、三人から向けられるほど、立派な男だったのだろうか。
◆
翌日。サガラ平原は、どこまでも緑だった。
魔王城は、大陸の最北端にある。このまま北へ北へと進むわけだが、まずは今日泊まる村まで。
そう思って歩いていると、草むらから青い塊が跳ね出した。
「スライミーですね。これなら俺でも————」
ロイドが剣を抜くより早く、三つの攻撃がロイドの背後から、スライミーへ到達した。
ルドガーの斬撃。アンリの炎。エリシャの白い閃光。それぞれの攻撃を立て続けに受けたスライミーは、粉々になって消し飛んだ。
「ええ……」
レベル1の魔物である。大人なら素手でも倒せるというのに、この殲滅っぷり。
「……今の、そこまでする必要ありました?」
「あなたに飛びかかったでしょう」
アンリは当然のように答えた。
「ちょっと跳ねただけじゃないかな」
「あなたの方に、跳ねたでしょう」
それが罪状だったらしい。ここまでくると、スライミーが可哀想である。
しかし、三人の顔は晴れなかった。
ルドガーは剣を握り直し、アンリは自分の掌を見つめている。エリシャも指を曲げ伸ばししていた。
「……レベルは振り出しに戻ったか」
「魔力も、全然足りないわ」
「身体は、本当に五年前のようですね」
ロイドはスライミーが消えた場所を見た。
これで、弱くなっているらしい。
「あの。魔王城に行った時って、皆さん、レベルはいくつだったんですか?」
「俺は82だ」
「私は85よ」
「私は80でしたね」
ロイドは、道端に腰を落とした。
「どうしました!? お加減が悪いですか!?帰りますか!?もう魔王討伐やめますか!?」
「いえ。あの、ちょっと、足に力が」
駆け寄ったエリシャに手を貸されながら、三人の顔を順番に見た。
「大陸最強の魔法士、ウェインロード様でも、92だと聞いたんですけど……」
その名に、アンリだけが露骨に顔をしかめた。
もっとも、腰の抜けたロイドは、そんな変化に気づく余裕もない。
「それって、もう、歴史の教科書に載る人たちじゃないですか?」
「どの口が言ってやがる……」
エドガーが呆れた顔をした。
「お前のレベルは98だったんだぞ」
「…………」
風が吹いた。
草が、さわさわと揺れた。
「98?」
「ああ」
「誰が?」
「お前が」
「五年で?」
「五年で」
ロイドは自分の両手を見下ろした。
今朝、荷物を持って歩いただけで、少し肩が凝った。この身体が、五年後には大陸最強の魔法士を上回るらしい。
「……それでも、負けたんですか」
全員の表情が止まった。
「あ。すみません」
ロイドは慌てて頭を下げた。
彼らにとっては、ついさっきのことなのだ。軽々しく口にすべきではなかった。
「じゃあ……どうして俺が、いちばん高くなったんですか? 今は、いちばん低いのに」
三人が黙った。アンリは、肩と唇を震わせている。また彼らにとって、嫌なことを聞いてしまったのだろうか。
「……順調に強くなったわけじゃねえんだ」
やがて、ルドガーが口を開いた。
「旅を始めて、二年が経った頃だった」
◇
当時、一行のレベルは平均して30ほど。
ロイドは22。まだ差はあったが、どうにか同じ戦場に立てるようになっていた。
「右を任せる。抜かすなよ」
「はい……!」
ルドガーから指示を貰える。それは初めの頃を思えば、大きな進歩だった。
もっとも、仕事が終われば会話も終わる。酒場に誘われたことはないし、親しいと言える間柄でもない。
アンリとの仲は、相変わらず険悪だった。
エリシャも必要な治療はしてくれるが、ロイドが礼を言えば、決まって同じ微笑みを返すだけだった。
それでも、少しずつ。
皆の役に立てるようになっている。
そう思っていた頃だった。
その日の戦闘は、酷かった。
ルドガーは骨を折り、エリシャは装備が壊れ、
アンリは——右腕を失った。
◇
宿の部屋には、薬の匂いが籠もっていた。
エリシャの治癒術で血は止まったが、当時の彼女に、失った腕まで再生させることはできない。
寝台の上で、アンリは窓を見ていた。
「……アンロジャーさん」
ロイドが呼ぶと、彼女はゆっくり顔を向けた。
「なに」
「水を持ってきました。お薬も」
「置いておいて。置いたら出ていって」
卓上に水差しを置く。
そのまま帰るべきなのだろう。けれど、言わずに出ていくことはできなかった。
「今日のこと、本当に、すみませんでした」
アンリの目が、ロイドを捉えた。
「謝ったら、私の腕が生えてくるの?」
「……いいえ」
「じゃあ、いらないわよ。そんな安い謝罪」
ロイドはただ、唇を噛むことしか出来なかった。その顔が、アンリには、むしろ被害者面のように見えて、余計に腹が立った。
「ねえ。あんたが弱いから、こうなったってわかってる?」
アンリの追い込むような言葉と、怒気を孕んだ声色に、思わずロイドは俯いた。
今日、ロイドの受け持った敵が、防衛線を抜けた。アンリは詠唱の途中だった。ロイドの剣は、間に合わなかったのだ。その結果がこれだ。
「二年よ。二年、毎日毎日、頑張ります、強くなりますって。で? あの程度の魔物も止められない? 私の詠唱が終わるまで、たったそれだけの時間も稼げないの?」
「……俺の、力不足です」
「知ってるわよ! あんたに説明してもらわなくても!」
アンリは、残る左手で布団を掴む。
「王宮で最初に言ったでしょう。あんたの世話なんかしたくないって。 結局こうなるじゃない! それなのにあんたは無能なままで、そのくせ自分は頑張ったって顔して……! あんたのその、一生懸命頑張れば誰かが認めてくれるっていう考え方が大嫌いなの! 頑張りました、でも出来ませんでした、って!? ふざけないで! 私はこの腕で何千回も、何万回も魔法を練習してきたの! あんたが田舎で呑気に暮らしてた間も、私はずっと努力してきた! それを、あんたみたいな無能のために、たった一瞬で失ったのよ!」
アンリは肩で息をしながら続けた。
「努力してる自分が好きなら、故郷で一生、木の棒でも振っててよ。 誰も死なない場所で、村人に褒めてもらってればよかったのよ。あんたが夢を見たかっただけなのに、どうして私の腕がなくならなきゃいけないの……!」
「……俺の謝罪は、気分を害するだけ、ですか」
「当たり前でしょう!?あんたが楽になるだけじゃない!私はちっとも嬉しくない! 失った腕も、あんたの失敗も、謝罪なんかじゃ無くならないの!」
「……では」
ロイドは、顔を上げた。
「強く、なります」
アンリが目を見開き、額に青筋が浮かぶ。
次の瞬間、ばしゃっ!と、水の入った杯が、ロイドめがけて飛んできた。
「あんた、私の話聞いてた?」
ロイドは避けず、水に濡れた前髪が目にかかっても、アンリを見ていた。
「今度は、守ります」
「今度っていつよ」
彼女は右肩を突き出した。
「次は何? 左腕? 足? あんたが強くなるまで、私はあと何本なくせばいいわけ!? あぁ、次はエドガーかしら?それともエリシャ?」
「もう、失わせません。アンロジャーさんからも、誰からも、何も奪いません。約束します」
「だから……っ!」
「俺、ちゃんとやりますから」
思わず、アンリは息を呑んだ。ロイドの目に、鋭く、冷えた何かが走っていたからだ。先程まで肩で息をしていたアンリも、彼のその目を見た途端に、自分が悪者のような気がして、どうしようもなく、ロイドを遠ざけたくなった。
「……出ていって。顔も見たくない」
ロイドは、床の破片を拾い集めた。アンリが裸足で降りた時、怪我をすると思ったからだ。
「失礼します」
強くならなければ。
廊下を歩きながら、彼はそう思った。
◇
翌朝。ロイドは、一人で宿を出た。
向かった先は、A級ダンジョン。
推奨レベルは65。
そのことを三人が知ったのは、昼を過ぎてからだった。
「……冗談でしょう?」
宿の食堂で、アンリが顔を上げた。
「入口の管理所に名前が残ってた。間違いねえ」
戻ってきたルドガーは、椅子を引いた。
「レベル22でA級ダンジョンだ。あの馬鹿、数字も読めなくなったみたいだな」
「……私、そんなところへ行けなんて、言ってないわよ」
「お前が言ったかなんて聞いてない」
アンリは口を閉じた。
エリシャが、卓上の地図を覗き込む。
「救助は?」
「依頼は出したが、引き受けられる奴が、この街にいない」
自分たちで追うという案は、誰も口には出なかった。レベル30前後の三人。そのうち一人は、利き腕を失ったばかりだ。
「……可哀想な人。自分の実力くらい、わかっていたでしょうに」
エリシャは小さく息を吐き、そう呟いた。憐憫や心配ではなく、ただただ、身の丈を知らないロイドの奇行を哀れみ、半ば嘲笑するようなものであった。
◇
——三日後。
救助依頼を引き受ける者は、ついに現れなかった。ロイドが戻ったという報せもなかった。先の戦いで、装備も身体もボロボロであった。
「王都へ引き返すぞ」
ルドガーが言った。
「勇者が死んだ以上、遠征は終わりだ。王宮へ報告する」
アンリは何も言わず、杖を取った。
エリシャは宿代の精算を済ませた。
そうして三人が宿を出た時。
街道の向こうから、一人の男が歩いてきた。
◇
宿の外から、人影が近づいてくる。
ロイドだった。歩く側から血痕を残し、見るも無惨な姿に変わり果てていた。
「……嘘でしょ?」
アンリは一瞬、目を疑った。
「あんた……その、腕」
ロイドの左腕が、なかった。




