第2話「勇者を辞めてください、勇者様っ!」
王城の外。石畳の広場に出たところで、ロイドは再び抱き締められた。
「ちょっ! ルドガーさん!?」
「…………」
何か壊れ物でも扱うような、ひどく慎重な抱き方だった。体を離し、ルドガーと目が合う。
「……若いな。随分、懐かしい」
懐かしい……とは??
「お前からすれば、唐突なことばかりで驚いているだろう。俺もまだ、こうしてお前と再会出来る喜びを、整理しきれていない」
ルドガーの肩が、小刻みに震えている。
「どうか、身勝手な感涙を許して欲しい」
ロイドは困惑した。一時間前に出会ったばかりだ。しかも、散々弱者と罵られたというのに。
「……あの、ルドガーさん」
「なんだ」
「俺たち、今日が初対面……ですよね?」
ルドガーはしばらく黙り、ひとつ頷くと、ロイドの肩に両手を置いた。
「聞いてくれ。大事な話がある」
「は、はい」
「信じられない話だと思う。俺だって、まだ頭が追いついてはいない」
ロイドは真剣に頷いた。この真剣な顔、声。きっと、よほど大変な事情があるのだろう。
「俺たちはな、五年後の未来から来た」
「はい」
はい。
「はい……?」
はい、では済まなかった。
「俺とアンリとエリシャ。三人ともだ」
ロイドは、ゆっくり瞬きをした。
五年後。未来。……未来?ちょっと待って欲しい。
「五年間、俺達はお前と旅をした。いろんな街や国を回り、魔王軍と戦って、最後は、魔王城でお前が死んだ」
あまりにも待って欲しかった。ロイドは身振り手振りで、一度確認させて、と話を止める。
「えっと、俺が?五年後?魔王城で、死んだんですか?」
ルドガーが静かに頷く。ロイドはしばらく考え込んだ。そして。
「……ええっ!?」
遅れて驚いた。
自分が死んだ!?五年後に!?というか、五年で魔王城まで行けたの!?
「待ってください! 俺、まだ村から出て三日しか経ってないんですけど!」
「それで、俺たちは禁忌魔法を使った」
「話聞いてます?」
おそらく聞いていない。ルドガーが言うには、こうだ。使った禁忌魔法とは、時間を巻き戻す魔法らしい。細かい理屈は、ルドガーや、アンリ、エリシャにもわからない。ただ、どうにか成功したらしい。そこまで言って、彼は、自分の手のひらを見つめた。
「気づいたら、あの玉座の間にいた。五年前と同じように、お前が国王から金貨を受け取ってた」
「な、なるほど……?」
「つまり、そういうわけだ」
…………。
そういうわけだ、とは!?ロイドの知らないところで五年間の冒険が終わり、自分は死んでいて、仲間たちは時間を遡ってきたらしい。情報量がバーゲンセールを開き押し売りに来ている。
普通、こういう時、人間は、もっと困惑するだろう。気味悪がったりもするだろう。しかし、ロイドという人間は——
(この人はきっと、とても辛い経験をがしてきたんだろうな……!下手に傷つけてもよくない、質問には気を付けよう!)
度を超えた善人であった。不可解より先に、理解を示すのがこの男であった。大概である。
「……ロイド」
袖を引いたのは、宮廷魔法士のアンリ・アンロジャーだった。いつの間にか、すぐ隣に立っている。泣き腫らした目は、先程までの高貴な立ち振る舞いを見る影も無くし、えぐえぐ、と込み上げる涙を押し殺している。
「あ、アンロジャーさん……貴方もその」
「…………っ」
彼女の顔が歪み、またポロポロと泣き始めた。
「アンロジャーさん!?」
「そう、よね。まだ、そう呼ぶわよね……」
「え!?あ、あの!? すみません! 呼び方、間違えましたか!?」
アンリはふるふる、と首を横に振った。
「じゃあ、どうして泣いてらっしゃるんですか……」
「名前、で」
今にも消え入りそうな声だった。
「名前で、呼んで」
「名前、ですか?」
「前は、そう呼んでくれた、から……」
アンリは俯いたまま、ロイドの左手を握ろうとしたが、手を戻し……
「……お願い、します」
しおらしく敬語で懇願した。先程まで悪態の限りを尽くしたアンリが、敬語であることにロイドは息を呑んだ。それから、恐る恐る口を開く。
「あ、アンリ、さん?」
「…………っ!」
アンリは両手で口元を覆った。そして、その場にしゃがみ込んでしまった。魔法帽を深く被り、涙がまた地面に落ちる。
「う、うぅ……っ」
「アンリさーーーん!? 大丈夫ですか!?」
「うぅぅ……!!呼び捨てじゃ、ない……!」
そこなのか、と。 そろそろ、普通の人間であればこの意味不明な状況に、見覚えのない激重感情へ嫌気がさして、距離をとる頃だろう。しかし…………
(きっとそれだけ未来では、俺と仲良しになってくれたんだろうな……!)
この男はドの着く善人であった。
ロイドは膝をつき、アンリの手を取って、精一杯の笑顔を向けた。泣いている人を前に笑顔でいるのは、母に習った人との接し方のひとつだった。
「そんなに泣いたら、目が腫れてしまいますよ。アンリ」
「うぅぅ……敬語も外して…………」
注文が多い。しかしロイドにかかれば、その注文はすんなり通る。
「わかったよ。ほら、立てるかい」
魔法帽からひょっこり目を出す。
「も、もう一回、もう一回、名前、呼んで……」
そのあと数度、ロイドは、アンリの名前を呼んでやった。アンリは泣きながら何度も頷いた。自分の中で反芻しているのだろう。
ようやく少しだけ理解した。この人たちにとって、自分は初対面ではないのだ。
五年間を共に戦った仲間。きっと、たくさんの思い出があるのだろう。自分には、そのひとつもわからないけれど。
「ロイドくん」
今度は、聖職者のエリシャがやってきた。国王の顔を鷲掴みにしてい時の面影はどこにもなく、ロイドの前に膝をついて、そっと両手を取った。
「ロイドくん。お願いがあるんです。とってもとっても、大事なお願いなんです。聞いてくれますか?」
ロイドが生唾を飲み、頷く。エリシャは微笑んだ。穏やかな微笑で、
「勇者、やめましょう?」
そう宣った。
「魔王なんて、倒さなくていいです。世界なんて、救わなくていい」
エリシャは、ロイドの手を自分の頬に寄せた。
「お母様のところに、帰りましょう? 私も一緒に行きます。畑仕事でも、家事でも、何でもしますから」
「え、ええと……?」
「お金なら、私が稼ぎます。ロイドくんは、何もしなくていいんです」
頬擦りをやめて、ロイドを見上げる。その瞳には、
「だから……」
一切の光が無い。瞳孔は深淵のように暗く、黒い。
「もう、死なないで?」
ロイドは、言葉を失った。
「エリシャさん。その……」
「はい。なんでしょう?」
「魔王を放っておいたら、困る人がたくさんいますよね?」
エリシャの笑顔が止まった。
「俺、まだ弱いですけど。せっかく勇者になれたんだから、誰かの役に立てるなら、頑張りたいなって思ってるんです」
「…………」
「だから、勇者をやめるのは、ちょっと……」
沈黙。エリシャは、ゆっくり目を閉じた。そして再び、笑顔に戻り、ロイドの手を握った。
「では、ロイドくんの両の手足を切って、私の教会で一緒に暮らしましょうか」
「そうなっちゃいます???」
「そうなっちゃいます。身の回りのお世話はぜーんぶ私がしますから、ロイドくんは何も気にしないでください」
普通、こんなことを言われたら人は、嫌悪を通り越して拒絶感を覚えるに違いないだろう。しかし————
(それだけ俺のことを心配してくれているんだな……!)
救いようのない善人であった。
その背後で、ルドガーが天を仰いだ。
「……なあ、ロイド。お前、自分が死ぬって聞いたばっかりだよな?」
「はい」
「怖くはないのか?」
「もちろん怖いですよ」
ロイドは素直に頷いた。
「でも、それって五年後の話ですよね?」
ルドガーは静かに頷く。そうだが、そうことじゃない、と言いたげな顔である。
「じゃあ、今度は死なないように、俺が頑張ればいいんじゃないでしょうか」
ルドガーが額を押さえた。
「そういうとこだよ。あーー……もう。そういうところなんだよ、お前は……」
何故か、また泣きそうになっている。ロイドには、やっぱりわからなかった。自分の何が、彼らをそんなに悲しませるのだろう。
ただ、どうやら彼らは、本当に自分を大切に思ってくれているらしい。
ならば、自分も彼らを大切にしなければ。
「……あの!」
三人が、ロイドを見た。
「五年後の俺が、どんな人間だったのかはわかりません。でも、皆さんがこんなに悲しんでくれるなら、きっと幸せな旅だったんだと思います」
ロイドは、精一杯の笑顔を浮かべた。
「だから、これからよろしくお願いします!」
ルドガーが顔を覆い、アンリがまた泣き、エリシャはロイドの手を握ったまま、しばらく動かなかった。やがて——
「……ロイドくん」
エリシャが、掠れた声で言った。
「お願いだから、ひとつだけ約束してほしいです」
「はい。なんでしょう?」
「誰かを助ける時は……自分のことも、ちゃんと大事にしてください」
ロイドは、不思議そうに首を傾げた。
「……? もちろんです!」
元気よく答えた。
何故か、三人とも安心しなかった。
むしろ、ますます不安そうな顔になった。
…………。
………………。
何があったんだろう、五年後の俺。




