弟のたくらみ
「あなた。ヘンリー王太子がそう言っているのです。その者を王太子の側近として召し抱えてちょうだい」
王妃の言葉に、国王は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「なぜ、そうなるのだ。
第一王子であるぞ。側近など、とんでもない。
本来なら、カイルが王太子になるべきだ」
側近たちもうなずく。
「お黙りなさい!
先妻の子など邪魔です。
ヘンリーが王位を継いでくれなければ、私が国母になれないではありませんか!」
「だったら、なぜもっとまともに育てなかった!
わがまま放題、学問も身につかず、礼儀もなっておらん。
式典の最中ですら席を立ち、ふらふら歩き回る。
そんな者が将来の国王になれるわけがあるまい!」
突然始まった夫婦喧嘩に、カイルは目を丸くした。
その横で、ヘンリーがそっと耳打ちする。
「僕、王太子は嫌なんです。
まだ立太子もしていません。
母が勝手に言っているだけですよ」
そう言って、にっこり笑う。
「兄上が帰ってきてくださって、本当に安心しました」
そして、先ほどの"覗き"騎士を手招きした。
「ありがとう。
これ、僕からのお礼。
あ、父上と母上には内緒ですよ」
そう言って、金貨を数枚そっと渡す。
「ありがたき幸せ」
騎士は手早く懐へしまい、そのまま元の位置へ戻った。
カイルは目を丸くする。
「……今の、見ましたよね。
これで兄上も僕の仲間です」
「なんでだ!」
カイルは思わず声を上げた。
「この国では、騎士への賄賂は罪になります。
見ていて止めなかった兄上も同罪です。
見つかれば、帰国どころか牢獄行きですよ」
ヘンリーは満面の笑みを浮かべる。
カイルの顔が真っ青になった。
「私は関係ないではないか!」
「では、今すぐ父上へ言いつけますか?
でも、兄上も黙って見ていましたよね。
共犯になります」
国王と王妃の言い争いは、さらに激しさを増していた。
側近も騎士たちも、誰一人動かない。
まるで毎度のことだと言わんばかりだった。
カイルは頭がくらくらした。
「……やっぱり帰りたい」
「帰れません。
牢獄へ行くか、王子として残るか。
兄上には、その二つしかありません」
ヘンリーはにこやかに言う。
騎士たちの視線が、一斉にカイルへ集まった。
「牢獄なら、一生出られないかもしれません。
でも王子なら、帰国できる日が来るかもしれませんよ」
もう何が何だか分からなかった。
ただ、この場から解放されたかった。
「分かった。
残る。
残るから、もうあの喧嘩を止めてくれ」
カイルは半ば懇願するように言った。
「皆の者、聞きましたね。
兄上は、この国へ残ってくださるそうです」
ヘンリーが大きな声で宣言する。
「おお!」
側近たちから安堵の声が漏れた。
「父上、母上。
兄上も決心してくださいました。
私と兄上、どちらが王太子にふさわしいかは、これからの行いで決めればよいではありませんか」
落ち着いた口調でそう告げる。
「うむ。
カイル、よく決心してくれた。
これから未来の王太子を目指し、励んでくれ」
国王は満足そうにカイルの手を握った。
「まあ、それでも構いませんわ。
あなたの方が優秀なのですから、王太子はあなたのもの。
私は未来の国母。
それで決まりですわ」
王妃はカイルへ視線を向ける。
「せいぜいヘンリーの引き立て役として頑張ってちょうだい」
そう言い残し、国王とは反対の方向へ去っていった。
ヘンリーが側近へ目配せする。
「では、解散」
その一言で、一同は立ち上がり、それぞれの持ち場へ戻っていった。
側近がカイルの前まで来る。
「ご決断、ありがとうございました」
深々と頭を下げた。
カイルは、まだ何が起きたのか理解できずにいた。
その時だった。
先ほどの騎士がヘンリーへ近づき、受け取った金貨を差し出す。
「『おもちゃ』はいりませんよ」
そう言って笑いながら返した。
「ああ、悪かった。
本物と間違えた」
ヘンリーは苦笑する。
騎士も笑いながら去っていった。
「本物だったら、本当に牢獄行きだからね。
さっきのは予行練習」
ヘンリーは悪戯っぽく笑う。
「だから、騎士を買収して逃げ出そうなんて考えないでね。
兄上」
「そんなこと考えない!
そもそも金なんて持っていない!」
カイルは頭を抱えた。
「ああ、安心した。
兄上、人柄が良さそうで本当に良かった。
僕みたいな人間だったら、絶対に信用できなかったから」
ヘンリーは満足そうに笑う。
「もう逃げられないからね。
これからよろしく、兄上」
カイルは遠い目をした。
「……なぜ、こうなった」




