カイルの行方
「アリス様、お目覚めですか?」
侍女が部屋の戸を軽く叩いた。
しかし、返事はない。
アリスは声を出すことも、起き上がることもできなかった。
「アリス様?」
侍女は慌てて部屋へ飛び込む。
そして、ベッドの上のアリスを見た瞬間、悲鳴のような声を上げた。
「お顔が真っ赤でございます!」
額へそっと手を当てる。
「ひどい熱です!」
その声を聞きつけ、両親も駆けつけた。
侍従は医師を呼びに走り、侍女は急いで桶に水を汲み、冷たい布を額へ当てる。
やがて医師が到着し、喉や全身を診察し、脈を確かめた。
「うーむ……病ではないようです。
何か、心に大きな負担を受けられた覚えはございませんか?」
一同は顔を見合わせた。
「思い当たることがあります」
公爵が静かに答える。
ベッドへ近づき、優しく娘へ語り掛けた。
「アリス。カイルは必ず帰ってくる。大丈夫だ。心配するな」
その言葉を聞くと、アリスは再び目を閉じ、静かに眠り始めた。
「まさか、カイルが帰らないと聞いただけで、このようになるとは……」
公爵夫妻は顔を見合わせる。
しかし熱は下がらなかった。
アリスは苦しそうにうなされ続ける。
「お母さま……」
「死んじゃった……」
「帰ってくると思ったの……」
「お葬式だって分からなかったの……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
同じ言葉を何度も何度も繰り返す。
そのうわ言を聞き、公爵はゆっくりと目を閉じた。
「思い出してしまったのだな……」
夫人も侍女たちも、言葉を失っていた。
「カイルが帰ってこないと聞いて、閉じていた記憶の蓋が開いてしまったのでしょう」
誰も何もできなかった。
ただ、アリスの回復を祈ることしか――。
◇ ◇ ◇
その頃、カイルは隣国にいた。
「カイル王子。
まさか隣国にいらっしゃったとは……。
どれほど皆が捜し回ったことか」
国王の側近は涙を流し、その後ろでは騎士たちがひざまずいていた。
「人違いです。
僕は公爵家の親戚の子です。
孤児になったので、公爵に引き取っていただきました。
王子であるはずがありません」
カイルは必死に訴える。
しかし側近は静かに首を横へ振った。
「いいえ。
その背中の竜の形をした痣。
それは、この国の王子だけに現れる証でございます」
「背中など見たことがない。
というか、自分では見えないだろう。
……どこで見た?」
カイルはじとっと側近を見つめた。
側近は、そっと目を逸らす。
「私が確認いたしました」
後ろに控えていた一人の騎士が名乗り出た。
「いつ? どこで?」
嫌な予感しかしない。
「騎士見習いたちの浴場でございます。
窓から拝見いたしました」
カイルの顔が引きつる。
「なぜ、そのような場所に……」
浴場は兵舎から少し離れた場所にあり、関係者以外が入り込むことなどまずない。
「ええと……」
騎士の目が泳ぐ。
「不法侵入ではないのか。
まさか女性の浴場と間違えたのではあるまいな?」
カイルが鋭く問い詰める。
「ち、違います!
そのような勘違いだけはご容赦ください!
カイル様のお顔を拝見し、『もしや』と思いまして、後をつけさせていただきました。
そして確認のため、お背中を拝見したのでございます」
「それのどこが『覗き』と違うのだ?」
カイルは心底あきれた。
「馬鹿正直に言うな! アホ!」
隣の騎士が肘で小突く。
カイルは国際会議の警護実習を終え、同期たちと浴場で汗を流していた。
汗を流してから、そのまま帰省する予定だった。
アリスへの土産も用意してある。
ところが、なぜか自分だけ呼び出され、気が付けば馬車の中だった。
そして今に至る。
「なあ……帰してくれないか。
妹が待っているんだ。
僕は妹に会いたい。
父上にも母上にも会いたい。
頼む」
カイルは深く頭を下げた。
アリスはきっと首を長くして待っている。
そう思うだけで胸が痛んだ。
「それはならん」
後ろから威厳ある声が響く。
王冠を戴き、豪奢なマントをまとった中年の男が姿を現した。
「よく帰ってきてくれた。
我が息子よ。
まさか隣国で囚われの身になっていたとは。
隣国には正式に抗議せねばならんな」
カイルは目を見開く。
「囚われてなんかいません!
……いえ、今は囚われていますけど。
呼び出されて、気が付いたら馬車の中でした。
ひどいじゃないですか!
僕は妹に会うのを楽しみにしていたんです!」
「そなたたち……まさか息子を強引に連れてきたのか?」
国王の視線が側近たちへ向けられる。
一斉に目が泳いだ。
「仕方がなかったのです。
あちらの国王は、こちらの捜索要請にまったく応じてくださいませんでした。
カイル様を発見し、事情をご説明するため取次ぎをお願いしましたが、お取り合いいただけませんでした。
その日に帰省されると聞き、やむを得ず……」
ディシスが申し訳なさそうに頭を下げる。
側近も続けた。
「他に方法がございませんでした。
公爵様が、カイル様を簡単にお手放しになるとは思えませんでしたので」
カイルは呆然としていた。
「今ならまだ間に合います!
こっそり国へ帰していただければ、適当に話を合わせますから!
だから帰してください!」
頭の中は、アリスのことでいっぱいだった。
その時だった。
「ダメだよ」
幼い声が響く。
「僕の兄上なんだから。
他の国になんて帰さない」
そこに立っていたのは、カイルより少し年下の少年だった。
その隣には、美しく着飾った女性が静かにほほえんでいた。




