カイルの帰国とアリスの涙
カイルが公爵家の養子に戻ります
「本当に申し訳ありませんでした。」
ディシスが必死に頭を下げていた。
その後ろには、城の騎士たちが勢ぞろいしている。
「許してやってくれ。」
国王が静かに口を開いた。
「私も、そなたの存在がどれほど心強かったことか。
実の息子ではなかったと知った時は、さすがに衝撃を受けた。」
国王にまで頭を下げられては、カイルも何も言えない。
「本当なら、このまま知らぬ顔をして、そなたを王太子にしてしまいたいところだ。
だが、公爵には必ず帰国させると約束してしまった。
帰ってほしい。」
カイルは、ほっと息をついた。
「王太子にならずに済んで、本当によかったです。
どちらにしても、私は逃げ出すつもりでしたから。」
父である公爵に感謝するしかなかった。
欲深い父親なら、このまま王太子に据え、自ら実権を握ろうと考えたかもしれない。
「ただ……ヘンリーのことだけが気掛かりです。」
カイルは静かに目を閉じた。
「本当の弟のように思っていました。
……弟にしては、ずいぶん大人びていましたけれど。」
「本当の年齢より二歳上だからな。」
国王は苦笑した。
「お願いがあります。」
「詫びだ。できることなら何でも叶えよう。」
国王がうなずく。
「今までどおり、ヘンリーには『兄上』と呼んでもらいたいのです。
年齢など関係ありません。
私は本当に弟だと思っていました。
今さら名前で呼ばれるのは寂しいです。
それから、私も今までどおり『ヘンリー』と呼ぶことをお許しください。」
「そんなことでよいのか?」
国王は目を見開いた。
「ここで多くのことを学びました。
私にとって、得難い経験でした。
帰国して、この経験を生かしたいと思います。」
そう言って、カイルは深く頭を下げる。
「今まで、本当にありがとうございました。」
そしてディシスへ向き直った。
「そなたにも本当に世話になった。
何だかんだ言って、優秀だからな。
これからもヘンリーを支えてやってくれ。」
ディシスも深く頭を下げた。
「数々のご無礼、誠に申し訳ございませんでした。
到底、お許しいただけるとは思っておりません。」
カイルは苦笑する。
「ところで……
『覗き』は本当にしたのか?」
「さて、何のことでございましょう?」
ディシスは両手を上げて降参のポーズを取った。
「そのまま変わらずにいてくれ。」
カイルは笑った。
「こやつが暴走した時は、私が止めますので、ご安心ください。」
いつもディシスの隣で肘鉄を食らわせている騎士が笑う。
「いいコンビだったぞ。」
カイルが笑うと、
「コンビなどではありません!
ディシスと一緒にしないでください!」
騎士は真っ赤になって叫んだ。
その場は大きな笑いに包まれた。
こうしてカイルは、王子ではなく、公爵家の養子という本来の身分へ戻った。
とはいえ、一度王子として接してきた騎士たちは、急に格下として扱うことなどできなかった。
「そういえば、ハンス殿はどうしているのでしょう。」
ディシスがぽつりと言う。
「戴冠式以来会っていないな。
向こうで元気にしているとよいが……。」
ディシスは、カイルが去っていった方向を見つめた。
「一緒に行けばよかった。」
「そなたは正式にヘンリー殿下の側近となったのだ。
以前のようには動けぬ。」
相方の騎士が肩へ手を置く。
「あのヘンリー殿下が、『兄上』なしでいられるわけがない。
またすぐ会えるさ。」
「それもそうだな。」
ディシスはようやく笑顔を見せた。
「王子が一人減ってしまったな。
国王陛下はまだお若い。
次は良い王妃を迎えてくださるといい。
できれば王女が生まれてほしい。」
「気楽に言うな。
また変なのが来たら困る。
今度こそ、人選は慎重にしていただきたい。」
その場にいた全員が大きくうなずいた。
◇
「えっ?
ハンス殿が寝たきりですって?」
城へ戻ったカイルは目を見開いた。
公爵が重々しくうなずく。
「階段から落ちて頭を強く打った。」
悔しそうな表情だった。
「アリスを慰めてやってくれ。
自分のせいだと、毎日泣いている。
……詳しいことは聞くな。いいな。」
肩を軽く叩かれ、カイルは何も言えなくなった。
アリスの部屋を訪ねる。
「カイルお兄さま!」
アリスは駆け寄り、そのまま抱きついた。
「あのね……ハンスが……。」
それだけ言うと、また涙があふれる。
ずっと泣き続けていたのだろう。
目は真っ赤に腫れていた。
「ちょっと待っていなさい。」
カイルは侍女へ声を掛け、冷たい水と布を持ってこさせる。
「目を冷やしなさい。
そんなに泣いたら、目が溶けてしまうぞ。」
冗談交じりに言う。
「だって……だって……。」
アリスはまた泣き出した。
「カイルお兄さま……
いつまでここにいてくださるのですか?」
不安そうに見上げる。
「ああ。
もう、ずっとここにいる。
アリスのそばにいるよ。」
カイルは優しく微笑んだ。
アリスの表情が一気に明るくなる。
「本当に?
本当ですか?」
「ああ。
王子は『クビ』になった。
父上の息子に戻るんだ。」
冗談めかして笑うと、アリスは再び抱きつき、涙を流した。
「おいおい。
本当に目が溶けてしまうぞ。」
そう言いながら、冷たい布をそっと目元へ当てる。
「少し眠りなさい。
私はずっと城にいる。
だから安心して休むんだ。」
侍女を呼び、アリスを寝室へ連れて行かせる。
「お兄さま……
どこにも行かないでくださいね。」
何度も振り返るアリスに、
「大丈夫。
必ず城の中にいる。」
と笑顔で答えた。
その言葉を聞いたアリスは、数日ぶりに眠りへ落ちていった。
「ずっと眠れていなかったのでございます。」
リリーヌが小さくつぶやく。
「……何があった?」
カイルが静かに尋ねる。
「申し上げられません。
どうか、お許しください。」
リリーヌは深く頭を下げた。
カイルはそれ以上何も聞かず、ハンスの病室へ向かった。
ハンスはぼんやりと目を開けていた。
「ベルンシュタインの内乱では、大活躍だったそうですね。
偽のヘンリー王子を捕らえ、木の上から矢を放つ者たちまで次々と見つけ出したと、軍の司令官から伺いました。」
ハンスはゆっくりとカイルを見つめる。
「私は……そんなことをしたのか?」
かすれた声だった。
「ええ。
軍の手伝いも長くされていたそうですね。
背中の傷跡があるため、正規軍への入隊は辞退されたとも聞きました。
もっと早く、お会いしたかったです。」
カイルは微笑んだ。
「記憶は浮かんでは消え、なかなかつながらない。」
ハンスは遠くを見るような目をした。
「焦る必要はないと思います。」
カイルは穏やかに続ける。
「私も数年前、突然『ベルンシュタイン国王の息子だ』と言われ、王子として暮らしました。
結局、それは間違いでした。
ですが、あちらで過ごした時間は無駄ではありませんでした。
人との出会いも、経験も、すべて今の私を作っています。」
少し笑って続けた。
「過去は変えられません。
でも、未来はこれから作れます。
思い出せない記憶を追い続けるより、新しい思い出を増やしていくのも、一つの生き方ではないでしょうか。」
ハンスは黙ってその言葉を聞いていた。
「未来……。
過去を失った私にも作れるのだろうか。」
「もちろんです。
過去は皆が覚えています。
思い出せないところは、私たちが教えます。
だから、一人で背負わなくていいんです。」
カイルは照れくさそうに笑った。
「私も王子を『クビ』になりました。
これから何をするかはまだ決めていません。
でも、できればハンス様と一緒に働きたいと思っています。
二人で、アリスを守っていきませんか。」
ハンスの目に、少しだけ光が戻ったように見えた。
そして安心したように再び目を閉じた。
◇
「カイルが戻ってきてくれて、本当によかった。」
国王は心から安堵したような表情を浮かべていた。
「『実は王子だった』と言われて連れて行かれ、挙げ句の果てに『違っていました』とは、本当に気の毒な話だ。
それでも、向こうでは誰も疑うことなく、本物の王子として接していたと聞いた。」
国王は苦笑した。
「それでよかったのだな?」
「もちろんでございます。」
カイルは笑顔でうなずく。
「どちらにしても、私にはベルンシュタインより、こちらの方が性に合っていると痛感しました。
王太子になれるような器でもありませんでしたし。」
「ただ……。」
少しだけ表情を和らげる。
「ヘンリーという、かわいい弟ができたことは、本当にうれしく思っています。」
「そうか。」
国王は目を細めた。
「そのような絆ができたのであれば、これから両国は良い関係を築いていけるだろう。」
「はい!」
カイルは力強く答えた。
そこへ王太子がやって来る。
「カイル、おかえり!
帰ってきてくれて、本当にうれしい!」
抱きつこうとした王太子を、
「そんな、大げさな……。」
と苦笑しながら手で制する。
だが、カイルもうれしそうだった。
「もう、向こうの内乱の後始末が大変なんてものじゃなかったのですよ。
『絶対に逃げ出してやる』と思っていたところへ、父上が来てくださって、『間違いだから返してほしい』と抗議してくださったと聞きました。
父上には本当に感謝しています。」
その顔には心から安堵した表情が浮かんでいた。
「父上と母上を大切にしなさい。」
国王は優しく言う。
「もちろんですとも!」
カイルは力強く答えた。
こうして、本当に帰ってこられたことを心から幸せに思うのだった。
◇
その後、ハンスの体は順調に回復していった。
侍従たちに支えられながら歩く練習を始め、やがて短い距離なら一人でも歩けるようになった。
「ハンス、よかった。」
アリスは思わず駆け寄った。
抱きつきたかった。
けれど、また倒れてしまったらと思い、その場で足を止める。
すると、ハンスはゆっくりとその場に膝をついた。
「ハンス?」
アリスが慌てて近寄る。
ハンスは静かに両腕を広げ、アリスを抱きしめた。
「ハンスではない。
『お父様』と呼んでほしい。」
アリスは目を見開いた。
「記憶が戻られたのですか?」
「少しだけだ。
だが、そなたが私の娘であることだけは、確かだ。」
アリスもリヒャルトの大きな体にしがみつく。
「お父様……
生きていてくださって、本当にありがとうございます。」
涙があふれた。
リヒャルトの目にも、うっすらと涙がにじむ。
「もっと歩く練習を頑張ろう。
そして、外を二人で散歩しよう。
そなたが迷わぬよう、私がしっかり手をつないで歩く。
……かつて、そなたの母上と私がそうしたように。」
アリスは感激のあまり言葉にならず、何度もうなずくことしかできなかった。
父と子の本当の再会です
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