アリスの試練
「今日からよろしくお願いいたします」
女官見習いの制服を着たアリスは、教育係であるリリーヌへ丁寧にお辞儀をした。
「お辞儀はきちんとしていらっしゃいますね」
リリーヌは優しい目で褒める。
「ただし、女官見習いというのは、あくまで名目です。本来の目的は、礼儀作法を学んでいただくこと。そこをお間違いになりませんように」
リリーヌはそっと告げた。
アリスは首をかしげる。
「女官見習い? 名目? 礼儀作法?」
よく分からなかった。
それでも、アリスはもう一度丁寧に頭を下げる。
「分からないことだらけでございます。どうぞよろしくご指導をお願いいたします」
リリーヌは、その謙虚さに感動すら覚えた。
しかし――。
アリスがきれいにできるのは、お辞儀だけであった。
「お座りになる時は、従者が椅子を引きますので、それを待ってからお座りください」
「従者とは?」
「椅子の後ろに控えている男性でございます。給仕などをする係です」
「それは、女官のお仕事ではないのですか?」
「いえ、それとは別で……」
「分かりました」
そうしてアリスは、王太子一家の食事の場で後ろに立ち、王子の椅子を引いた。
「待て」
王太子が慌てて声をかける。
「そなたは名目上は女官見習いだが、将来、私の養女となる身だ。そのための練習をしてもらいたいのだ」
「『名目上』とは何ですか?」
アリスは首をかしげる。
どうやらアリスは、比喩的な言葉が苦手らしい。
王太子は頭を抱えた。
リリーヌが静かに首を振る。
「この方には、直接的な言葉で申し上げないと、まだ難しいかと存じます。これまで公爵ご夫妻と兄上様だけに囲まれて生活していらしたのですから、無理もございません。年齢的にも、理解しろという方が難しいかと思われます」
王子もうなずいた。
「僕も、侍従のふりをしながら王子の作法を学べと言われたら困ります。もっと別の方法を考えた方がよいと思います」
それを聞いたアリスは目を見開いた。
「『名目上』とは、そういう意味なのですね。よく分かりました。女官見習いをしながら、王子様の作法を学ぶということでございますね」
そう言って、にっこり微笑む。
「最後の『王子の作法』を『王女の作法』に置き換えてほしいな」
王子が微笑みながら言った。
「難しいです。女官の姿をしながら、従者に椅子を引いてもらうなんて……見た目が変だと思います」
アリスは真面目に言った。
「それはそうだな」
一同はうなずいた。
「ですので、女官見習いだけでお願いいたします」
アリスは勢いよく頭を下げる。
「将来の妹に給仕や世話をされるのは、僕としては嫌なんだけど……」
王子は戸惑ったように言った。
「まあ、後で考えよう。とりあえず食事を済ませないと、午後の予定がさばききれない」
王太子の言葉で、三人の食事が始まった。
アリスはそばに控え、必死に給仕をする。
本来アリスが座るはずだった椅子が、一つ余っていた。
「そういうことではないのだがな……」
王太子一家とリリーヌは、そろって遠い目をした。
女官見習いとしてのアリスは、意外にも優秀だった。
王太子妃の世話をかいがいしくこなす。
王子の身の回りのことも、てきぱきとこなした。
ただし――。
「この書類を第二執務室へ届けてくれ」
王太子から書類を預かったまま、いつまで経っても戻ってこない。
やがて第二執務室から、「書類が届きません」と使いが来る。
「女官見習いが行方不明だ!」
皆で城内を探すと、なぜかまったく違う場所で発見される。
城内の地図は渡してある。
しかし、それが何度も繰り返された。
「川に落ちるわけだ……」
王太子は頭を抱えた。
王太子妃も遠くを見る。
「そういえば、エレナお義姉様もそうでございましたね……」
エレナ王女は非常に優秀な王女だった。
だが、右と左がよく分からないという、不思議な特性を持つ人物でもあった。
そのため左腕に腕輪をつけさせ、左へ行ってほしい時は「腕輪のある方」、右へ行ってほしい時は「腕輪のない方」と説明していた。
それでも、よく城内で迷子になっていた。
そんなことが続いたため、いつも誰かしらが側につくようになった。
亡きリヒャルトは平民だったが、その才能を買われ、特別に城の護衛となっていた。
そして、いつも一番初めに王女を見つけるのが彼だった。
やがてリヒャルトは王女専属の護衛となり、常に彼女に付き添うようになった。
そこから二人の恋が始まったのである。
国王は「他所へ嫁に出すのは嫌だ」と言っていたため、むしろ二人の仲を公認していた。
リヒャルトは国王からの信頼も厚かった。
だが、身分違いのため、正式な結婚はなかなか認められない。
その間に、弟である王太子の方が先に結婚し、先に王子を授かっていた。
そのため、アリスより王子の方が年上だった。
「伯母上の特性を引き継がれたのですね。それは仕方のないことです。女官見習いではなく、別のことをさせた方がよいと思います」
王子が言った。
「そうだなあ……下手に護衛をつけて、恋仲にでもなったら困る」
その頃には、公爵も再び登城するようになっていた。
「亡き王女の特性を理解しつつ、一番うまく使いこなしていたのは……」
公爵が考え込む。
「父上ですね」
王太子が苦笑した。
「ご自分の執務を手伝わせておいででした。特に外交面では、とてもよく働いてくださいました。今となっては、それがかえって仇となり、ベルンシュタインとは国交断絶状態になってしまっていますが……」
公爵の目が遠くなる。
「カイルが騎士になったら、二人を結婚させて公爵家を継がせるつもりだったのだ。まさか、あの子がベルンシュタインの王子だったとは……。孤児だと言われて引き取ったのに……」
公爵は深いため息をついた。
「言っても始まりません。何か対策を考えましょう」
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