兄と弟
「なあ、やはり私より、そなたの方が王太子に向いていると思う」
カイルは必死にヘンリーを説得していた。
一方のヘンリーは本を読んでいる。
文字を覚えてからというもの、読書が楽しくて仕方がないらしい。
ヘンリーは知らん顔をしていた。
「故郷に妹がいるのだ。その子が心配でたまらない」
「兄上に、なぜ妹がいるのです?」
ヘンリーは顔色ひとつ変えずに言った。
「兄上は、父上と亡くなられた王妃様のたった一人の息子です」
「兄上は、僕だけの兄上です。そして、王太子になっていただきます。僕はずっと側で兄上をお助けしたい」
カイルはため息をつく。
「妹は、何というか……粗忽なのだ。
方向音痴で、なぜか何もない所で転ぶし、言葉の裏も読めない。
私が側について守ってやりたい」
「それは肉親の情ではなく、責任感からくる感情ではありませんか?
なぜ兄上が、赤の他人の娘に責任を持たなければならないのです?」
「そう。そういうところなのだ」
カイルはヘンリーを見つめた。
「そなたの方が冷静に物事を判断できる。
私には情と責任感の区別がつかない。
上に立つ者がそれではいけないと思う」
カイルは必死に訴えた。
「そんなに、その妹とやらは可愛いのですか?」
ヘンリーが本から目を上げる。
「可愛いよ。本当に可愛い。
ずっと側にいたい。守ってやりたい」
カイルの目から涙があふれた。
「今頃、私を捜して、どこかへ飛び出しているかもしれない。
とにかく心配なのだ。
一目でいいから会いたい。
必ず戻る。だから、一度だけ国へ帰してくれ」
カイルはヘンリーに頭を下げた。
「ふうん。
妹というのは、女の子のことですよね」
ヘンリーの声は冷たかった。
「僕、女の子は嫌いです。
わがままばかりで、着飾ることしか能がない」
その言葉に、カイルは少し眉を寄せた。
恐らく、母親のことが嫌いなのだろう。
それは何となく理解できた。
「ヘンリーは、どうしてそこまで自分の母親を嫌うのだ?」
カイルは首をかしげる。
「私には、ただ息子であるそなたを可愛がっているように見えるが」
「兄上は人を見る目がありません」
ヘンリーはきっぱりと言った。
「あれのどこが、僕を可愛がっているように見えるのです?
あの人が欲しいのは『将来の国王の母』という立場だけです。
僕の気持ちも、兄上の存在も、亡くなられた前王妃様のことも、何ひとつ考えていない。
一番の問題は、『この国をどうしたいか』がまったく眼中にないことです。
そんな人間が国王の母親になったら、この国はどうなります?」
カイルは返す言葉を失った。
「結局、僕を王太子にして、自分の言うことを聞かせたいだけです。
僕はそれが嫌なのです」
カイルは、まったく論破できる気がしなかった。
「それに、父上はまだお若い。
僕が万が一国王に即位するとしても、何十年も先の話です。
それなのに、もう国母気取りです」
ヘンリーの瞳には怒りが宿っていた。
「『国母、国母』と、将来の自分の姿に酔っている。
見苦しいです。
『自分は愚かです』と、自ら吹聴しているようなものではありませんか。
父上の補佐さえまともにできないくせに、国王の母親になることだけしか考えていないなんて……」
「息子に国王になってほしいと願うのは、当然ではないか?
そこまで非難することではないと思うのだが」
カイルがようやく口にできたのは、それだけだった。
「兄上は人が良すぎます」
ヘンリーは静かに本を閉じた。
「僕が、これからそれも教えて差し上げます。
善人に育てられたせいで、悪意のない愚かさが周囲へどれほどの影響を及ぼすのか分かっていないのです。
ここにいてください。
少しずつ理解できるようになります」
そう言うと、ヘンリーは再び本を読み始めた。
カイルは、国王陛下に面会を申し出た。
そこには側近も同席していた。
「陛下。
なぜヘンリー王子は、あれほど頑ななのですか?
母親の欠点くらい、もっとおおらかに見ればいいと思う私の考えは間違っているのでしょうか」
国王と側近は顔を見合わせた。
「そなたのことを聞いたからなのだよ」
国王が静かに言う。
「えっ? 僕ですか?」
カイルは目を見開いた。
「私も良くなかった。
後妻の選択を間違えてしまったのだ」
国王は深く息をついた。
「そなたの母上は、とてもよくできた女性であった。
だが、そなたを産み落とした直後に命を落とした。
そなたは乳母に預けられていた。
妻が亡くなって一年ほど経った頃、『王妃の座を空白のままにはできない』と周囲に言われるまま、今の妻を娶ってしまった」
国王は苦しげに続ける。
「私と妻の価値観は、激しくずれていた。
それでも私は面倒を避け、妻の言いなりになってしまった。
その結果、妻は勝手にそなたを他国へ養子に出してしまったのだ」
側近が後を引き継いだ。
「カイル様を『いない者』として扱おうとなさったのでございます。
一方で、ヘンリー様はどういうわけか、とても兄弟を欲しがっておられました」
側近は静かに目を伏せる。
「そしてカイル様の存在を知り、対面できる日を心待ちにしておられました。
ところが、カイル様はもう城にはいらっしゃらなかった。
その頃からでございます。
ヘンリー様が、ご両親に対してひどく反抗的になられたのは」
侍従の目が遠くなる。
「『兄上が戻られないなら、城を出て行く』と、たびたび城を飛び出されました。
そのたびに、我々は方々を捜し回る羽目になりました」
国王は疲れたように額を押さえた。
「私は、もう妻とは別れたい。
だが、あれは聞き入れない。
ゆえに、もう我らに子ができることはない。
かといって、いくら嫌でも側室を置く気はない」
国王はカイルをまっすぐ見つめた。
「ヘンリーに万が一のことがあれば、この国には跡取りがいなくなる。
だから、そなたの行方を捜した。
そしてアルディア王国の公爵家に引き取られていることを突き止めた」
「何度もアルディア国王へ直談判を申し入れた。
だが事情があり、あの方は私の言うことを一切聞いてくださらない。
そのため、強引に連れてくるような形になってしまった。
本当に済まない」
国王は深く頭を下げた。
「今は、あちらの王太子殿下が間に入ってくださっている。
そなたの妹殿とも会えるよう、手配してくださるそうだ」
そして、さらに頭を下げる。
「頼む。
もう少しだけ我慢してくれないか。
ヘンリーは、肉親の本当の情に飢えているのだ。
そなたにそれを求めている。
どうか弟として、接してやってほしい」
国王と侍従に頭を下げられてしまい、カイルはもう何も言えなくなった。
ただ、一つだけ強く確認する。
「本当に、妹と会わせていただけるのですね?」
「ああ。必ず守ってくださるそうだ」
国王は力強くうなずいた。
カイルの目が真剣になる。
「その約束が守られない場合、僕はヘンリーを連れてこの国を出ます。
それでよろしいですか?」
国王は一瞬息をのんだ。
だが、すぐにうなずく。
「分かった。
できる限りの努力をする」
こうしてカイルは、ヘンリーに兄として接することを決めたのだった。
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