Ⅱ 生死流転(しょうじるてん)
『――嗚呼、愛しい。
愛しい人よ。
私は望む、君と見る遙かなる故郷を』
『――嗚呼、愛しい。
愛しい人。
私は望む、貴方の見る希望の明日を』
†
その魔人は酷く疲れていた。
最近はもう全てのことが投げやりになっている。
彼にとって、己の身が使用される実験などもはや、どうでもいい事であった。
それ程までに疲れ果てていた。
繋がれた腕に目をやると、錆び付いた枷に付いた鎖が重い音を立てて鳴る。
石床に、足を投げ出す。
冷えた石床にそうしていると少し楽になるような気がした。
燃えるような緋色の髪が憂鬱そうに、足元に垂れているのを見てから、男は同色の瞳を静かにそっと閉じた。
――「永遠に死ねない身体」。
回り続ける輪廻を自分で断ち切る勇気も、度胸すら無い。
男は神に助けを乞うことも止めた。
なぜなら王はもはや自分を見捨てたからだ。
もう全てを諦めている。
「こんにちは」
そこで女の凛とした声がして、男は驚いて顔を上げた。
鉄格子の戸が開いたこと、も誰かが入ってきたことにも気付かなかった。
男の心はそれほどまでに憔悴仕切っていたのである。
無表情の兵士が、檻の戸を乱暴に閉めた。兜を被っているため、その兵士の表情は伺えない。
入ってきた女は柔らかく微笑んでいた。両手首はやはり手枷で繋がれている。
「私、アイヘルというの。よろしくね。貴方、名前は?」
男は何も言わない。何がどうなってこの女が入ってきたかは知らないが、放っておいて欲しいと強く思った。
「これから私たち同室よ。仲良くしましょう?」
意味が分からず男はアイヘルと名乗った女へ顔を向けた。いや、しかし彼女の顔が目の前にあった。
男が驚いて身を引く前に、アイヘルが男の頭に生えていた渦巻いた角を掴む。
「私、魔人って初めて見るのよ。もっとよく見せて!」
それから、ぷにぷにと頬を触られ、緋色の髪を撫でられて、男はなんとも言えぬ感覚に襲われた。
女は絹のように滑らかな白い肌、すらりと伸びた手足、細い腰、ふくよかな胸元。白髪だが、艶があってさらさらとした髪。
くりくりした大きな深紅の瞳で男を観察している。
魔人である男から見ても、アイヘルは見目麗しかった。
そうして見つめられると、男は感じたこともないむず痒い気持ちに支配された。
「やめてくれ」
頬が熱くなって、男は思わず顔を逸らす。
「イヤよ!」
ピシャリと言い切られ男は、今度は困惑した。その困った顔を見て、アイヘルはぺろっと舌を出す。
「嘘、やめてあげる。そのかわり名前を教えて」
男は迷ったが、彼女の有無を言わさぬ双眸を見て諦めたように呟く。
「……グラヴィエ」
「そう、ただのグラヴィエ?」
「いや、グラヴィエ・ヴェーメス」
「そう。改めてよろしくね、グラヴィエ。私はアイヘル。ただのアイヘルよ」
そう笑って彼女は男、グラヴィエの手を取った。痛いほど激しく腕を上下に振られると、喧しい程の音を立てて鎖が激しく鳴る。
「やめてくれ」
グラヴィエは小さく呟いた。
一体この女は何者なのだろうかと心中で問いかけたが、それに答えてくれる者はいなかった。
「この牢獄に一日と人が居たことはない」




