4 伯爵令嬢の宣戦布告
「殿下。これはもともと、早いうちにお伝えしたいと思っていたことなのですが」
王太子ギルバートをクリスの主にふさわしい人だと見直したヘンリエッタは、言った。
「なんだ?」
「魔法使いダグラスが都を攻めてきたとき、殿下にはプライドを捨てて逃げていただきたいんです」
ヘンリエッタは単刀直入に結論を言った。
予想どおりギルバートは顔をしかめた。
「無駄だ。魔法使いダグラスは瞬間移動や魔法による逃亡を封じた上で都を攻めてくるはずだからな」
「はい。ですから、海路で。キングスフォード家が殿下を隣国レテ王国へお連れします」
家名を出すと、ギルバートはハッと表情を引き締めた。
ヘンリエッタが、先程までとは違い、キングスフォード伯爵家の代表として実際に提供できる力の話を始めたと──極めて政治的な話が始まったのだと気付き、政治家としての王太子の顔になったのだ。
「レテ王国では叔母が殿下の力になります。魔法使いダグラスの頭の中に都の海運事情や我が家のことがあるとは思えません。絶対に成功させられるとお約束できますわ」
「それは──キングスフォード伯爵の案か?」
「いいえ。父は、潔く王家とともに滅びることしか考えておりませんでした」
「…そうだよな。だいたい逃げてどうする」
「あら、殿下。魔法使いの王国は長続きしませんわ。古いものを壊すのは簡単ですが、新しいルールを作り、国を運営していくのは並大抵のことではできませんもの。あっちを立てればこっちが立たず…。ダグラスは優秀な魔法使いかもしれませんが、政治家ではありません。すぐに破綻するでしょう」
ヘンリエッタがそう説明すると、ギルバートは目から鱗が落ちたような顔をした。
同時に、サファイア色の瞳に明るい光が射した。
ここまでも覚悟を決めた者の強い光を宿してはいたが、そこに明るさはなかった。
「つまり一度奴に都を譲り、失敗させ、そこを攻めて返り咲けと」
「はい、殿下。今、ダグラスに勝つ道を見つけられないのなら、逃げて、生きて、状況の変化を待つのです。逃亡の際はわたしも殿下に随行しますわね」
「僕じゃなくて、クリスについてくるんだろ」
「いいえ。彼は最後まで都を離れませんわ。殿下を逃がすため、その時間を稼ごうとするはずです。たとえ頑張って説得して一緒に逃げようと約束しても、その場になれば彼は約束を反故にするでしょう」
さばさばとヘンリエッタは言った。
ギルバートは、ぽかんとした。
恋人の行動を冷静に予想したヘンリエッタに衝撃を受けたらしかった。
それから、「うーん」と思い悩み、ヘンリエッタの心情を図るように見やり、また悩み。しばらくうなってから口を開いた。
「たしかに…おまえの言うとおりだと思う。だが、ええと……おまえはいいのか、それで」
ギルバートの問いに、ヘンリエッタは首をすくめて、うなずいた。
「仕方ありませんわね。そういうところも含めて彼なんですもの」
しかし、ギルバートは納得しなかった。
「……分からないな。おまえは僕が死んだときにクリスの考えを変えさせるために、そばに来たはずだろう?」
今度はヘンリエッタが驚く番だった。
考えを変えさせる──曖昧な表現だったが、ギルバートがすべてお見通しだと分かったからだ。
「殿下、どうして…」
「つまり…なんだ。昔、聞いたんだよ。視る者協会の前の総務長官に。代々総務長官だけが受け継いできた極秘情報を。クリスの特別な能力は初代国王と同じもので──だから、この国の真の主はクリスの方だと」
(わあぁ、前の総務長官さん、ツワモノ…!)
仮にも一国の王子を相手に、側近の方が価値があると言ったのだ。
ドン引きしたヘンリエッタに、ギルバートは「ああ、いや」と言葉を足した。
「僕にも良くしてくれた人だし、嫌なことを言われたとは思ってないんだ。どのみち僕は魔法使いの王子で、クリス(監督者)なしに王位にはつけない。だからクリスをそばに置くことで視る者協会が僕の味方になるという話は、心強かった」
まっすぐに言ったギルバートに、ヘンリエッタは自然と微笑んでいた。
(本当にもう…今日は殿下に完敗だわ)
ヘンリエッタはスカートを指で軽く持ち上げると、淑女の礼をした。
「わたくし、ヘンリエッタ・キングスフォード、謹んで殿下に忠誠を捧げますわ」
「ま…、待て待て!」
そこで慌てたのはギルバートだった。
「おまえ、それはマズイんじゃないのか?」
「なぜですか?」
「だから、おまえが現総務長官(魔女グローリアの夫)の協力で来たってことは、初代国王の再来であるクリスを生き残らせたいってことだろ? …僕を逃してクリスを都に残すのは本末転倒だ」
アダム・シェリー総務長官とヘンリエッタの密約を、正確にギルバートは言い当てた。
「たしかに、わたしは殿下亡き後、彼を生かすために来ました。でもこの二ヶ月、彼のそばにいて分かったんです。彼にとって唯一の王は殿下で、殿下を失って新しい道を考えるなんて彼にはできないと。もっと言ってしまえば、彼はわたしのいない世界は選べても、殿下のいない世界は選べないんです。だから彼を生かしたければ、殿下を生かすしかない。殿下が無事隣国に亡命できたら、きっとクリスは殿下を支えるために、生きて後を追ってきてくれます」
ヘンリエッタはなるべく声が震えないよう、気丈さを装って言った。
いくらクリスが特別に優秀な人でも、惨敗の戦地に最後まで残って生き延びることができるのか…想像すると心臓が凍り付く。
ギルバートもまた、その状況を想像したのだろう。
悔しそうに顔を歪め、なんとか他の案はないものかと必死で考えている様子だった。
ヘンリエッタはそんな彼の姿勢に救われる思いだった。深呼吸をすると、体のこわばりを軽くほぐした。
それから、口を開いた。
「今からする話──クリスには、わたしが気付いていると言ってないんですが──彼、わたしに内緒でうちの父と密約を交わしているんです。都が落ちるときには、無理矢理にでもわたしをうちの船に乗せるって。ですから、殿下をお連れするのは、そんな彼への、わたしなりの意趣返しでもありますわ」
「そう…なのか? でも、最後まで一緒にいると約束したんだろ?」
「はい。残念ながら、死ぬときは道連れ、ではありませんわね」
「んん? なんだか詭弁じゃないか、それ?」
「ええ。でも彼、そういう人でしょう? 嘘とは言い切れない、ギリギリのグレーな発言でとりあえずその場をおさめるの」
「ええと…さっきから恋人の話をしているとは思えないんだが」
「いいんです。どうせ言っても治らないし。ことこの件に関して彼が譲るとは思えませんので」
「そりゃあ、まあ、男としては、大事な女を守るために命をかけるのは本望だしな」
「わたしはそういうの、真っ平ゴメンです」
「だから、僕を連れて行って、奴が死ぬ理由を失くして、生きて追いかけて来いと。なかなか厳しい嫁だな、おまえ」
「だって、それくらいしないと、気がおさまりませんわ」
ひとり残るのが嫌で苦労してそばに来たのに、結局最後に裏切られるのだから。
「悪いが、僕も男だから、奴の方に同情する。だが…おまえにはびっくりさせられることばかりだ。女は自分が一番でないと気が済まないと思っていた」
ギルバートが言った。
「あら。そのとおりですわ。だから、このまま負け戦で終わりたくないんです」
ヘンリエッタは茶目っ気を乗せて返した。
それは、ギルバートを亡命させると決意したときから、彼に言いたかった言葉だった。
そこでギルバートは、「はっ」と短く笑った。
「僕を抑えてクリスの一番になりたいから、僕を助けるのか」
「はい、殿下。勝ち逃げはさせません」
まっすぐにギルバートを見据え、ヘンリエッタは言った。
ギルバートもまた、ヘンリエッタの視線をまっすぐに受け止めてくれた。
「面白い。乗ってやろうじゃないか」




