3 不機嫌な殿下
ギルバートの忠告から数日。
ヘンリエッタはイライラしていた。
あれから毎日ギルバートが監査局にやってくるからだ。
それもなぜかうまくタイミングを合わせ、廊下など、ヘンリエッタの見ている前でクリスに話しかけて二人で執務室へ行く流れ。
唯一の王を前にしたクリスをヘンリエッタは目にすることになるわけで。
(わざわざわたしにクリスとの絆を見せつけて、なぁにがしたいの、殿下はぁ!)
中でも一番腹立たしいのは。
ギルバートの予測不可能な来訪のせいで、クリスと二人の時間が取れていないことだ。
(も…もうこうなったら、夜、クリスの部屋に行っちゃおうかしら…)
などと考えていたら、ギルバートから呼び出しを受けた。
ギルバートは形式上の長だったが、局長室はあった。通りを見渡すことのできる、二階の一番良い部屋だ。
「やあ、きみが視る能力者の中で紅一点のヘレン・フォードくんだね」
ヘンリエッタが局長室に行くと、ギルバートは言った。
白々しい…と思いながら、ヘンリエッタは「はい」とうなずいた。
ギルバートの思惑が分かるまで様子を見ようと思った。
「きみの話は聞いているよ。グローリアくんとの仕事ぶりも完璧だし、まわりの者が動きやすいようなサポート、女性被害者のフォロー、必要な備品の整備…きみの活躍は女性の持つ力の素晴らしさを僕に教えてくれた」
「お褒めに預かり光栄です」
ヘンリエッタは愛想笑いで言った。
心の中では、
(だから何の話がしたいのよ!)
と、叫んでいた。
「きみで心配なことは周囲の男性とのトラブルだが──去年、一度それらしいものがあった後はまったく問題なく順調に来ているそうだね」
「それはもう、恋人を傷付けたり心配させたりしたくないですから」
「恋人はブライアン…だったかな?」
ギルバートの確認にヘンリエッタのイライラはピークに達した。
しかし、ここで怒って、ここまでのやりとりを自分が壊すのも面白くなく、ぐっとこらえた。
「…そうですわ」
「僕に乗り換えたらどうだ」
ヘンリエッタの肯定にかぶせるようにギルバートが言った。
「は…? 殿下、今、なんと…」
「全世界の女子の憧れ、王太子の恋人にならないかと言ったんだ」
(はあああ?)
あまりにも横暴な発言に、ヘンリエッタが「いい加減に…」と怒りをぶちまけそうになったとき。
「彼女を誘惑するのはやめてもらえませんか」
落ち着いた声がヘンリエッタとギルバートの間に割って入った。
「クリス!」
恋人の登場に、ヘンリエッタは思わず弾んだ声を上げた。
しかも、久しぶりに眼鏡をかけていて、格好良さ倍増。テンションだってあがる。
「実務に携わっていない殿下が、不必要に女性監査員を呼び出したと聞いて来てみれば──まさかの職権濫用とは」
ヘンリエッタをかばうように立ち、クリスが言った。
「職権濫用はむしろおまえだろ。僕は誘惑なんかしていない。ビジネスライクな話をしていただけだ。だから、おまえは下がってろ、クリス」
ギルバートは引かなかった。
「そういうわけには…」
「ブライアンという恋人がいる彼女をおまえが呼び出して執務室で二人きりになるのがOKなら、僕が彼女と二人になるのもOKだろ」
「殿下…!」
めずらしくクリスが感情的に怒った。
(あっ! これ駄目…!)
ヘンリエッタのトラブル回避レーダーがピッと反応した。
そして、思い出す。
クリスの眼鏡は精神的不調のサインだった、と。
とりあえずこの場はクリスを外すべきだと判断し、ヘンリエッタは口を開いた。
「ク…局長、わたし、大丈夫です!」
「え? ですが…」
「大丈夫です。わたしを信用してください」
重ねて強く言うと、クリスがため息をついて折れた。
「…分かりました。話は十分で終わらせてください」
クリスの退室後、ヘンリエッタが口火を切った。
「それで? 殿下は本当のところ、何をなさりたいのでしょうか? くだらないお話でしたら報復を考えますわよ」
大切な恋人に嫌な思いをさせたのだ。この後、フォローにも入らなければならなくなった。相応の理由がなければ許せる話ではなかった。
「だから、真剣に表向きの恋人が欲しいんだよ」
ギルバートが答えた。
「重鎮連中が結婚結婚うるさくてさ。おまえだって恋人がブライアンでなくとも問題ないだろ?」
(は? 理由それだけ?)
ヘンリエッタはキレそうになりつつ、相手は王太子となんとか平静を保った。
「問題大アリですわ」
「おまえが尻軽女に見られるからか?」
「違います!」
(ええと…これたぶん、クリスが殿下に知られたくない系の話だと思うけど…)
理由をどう話したものか胸の内で逡巡したヘンリエッタだったが、数秒で腹をくくった。
(殿下には理解してもらわなきゃ)
適当に理由を取り繕って話をおかしな方向に転がすよりは正直に話す方がいい。
「五年前から時々国王陛下の侍女を務めていたわたしを、彼、知っていたんです」
「は? えっと、それって……そうなのか?」
ギルバートは少し考え、そして、ヘンリエッタの言葉の意味を理解した。
「はい。ですから、わたしは殿下に近寄れません。わたしと殿下の組み合わせは、彼をナーバスにさせてしまいます」
「でも、もう終わった話だろ?」
「いいえ。五年もの間、彼はわたしを殿下の妃になる存在だと思って…胸を痛めてきたんです。殿下がわたしにプロポーズしたという実績も…殿下に忠誠を誓う彼の中で、罪悪感になっていますわ。わたしと殿下にとっては、すっぱりキッパリ忘れた話でも彼は割り切れないんです」
「ええー…」
なにその迷惑な話、とギルバートは不平の声を上げた。
けれど、そんなもの知るか、とは言わなかった。
「じゃあ、つまり僕が友達としておまえと仲良くなりたいって言うのもナシなわけ?」
「そう…ですね。ことわたしに関して、殿下は地雷です」
(クリスの一番大事な人は殿下だけど…だからと言って、わたしを殿下に譲れるわけじゃないのよね。そして、殿下がわたしを欲しいと言い出したらクリスの立場では引き下がるしかないからこそ、殿下は地雷なのよ)
ヘンリエッタが地雷宣言をすると、ギルバートはあからさまにがっかりとした。
(殿下は殿下で、魔法使いの王子として周りに受け入れてもらうために日々でっかいネコをかぶっていらっしゃるから…本音で話せる人に飢えているのね…)
「殿下の恋人に関しては、偽物ではなく本物を作ればよろしいのでは?」
ギルバートに同情したヘンリエッタは言った。
途端、鋭く昏い目に射抜かれた。
「明日僕が生きている保証もないのにか? それどころか僕の恋人だったという理由で命を狙われることになるんだぞ?」
「あ…」
「どいつもこいつも簡単に無責任なことを言いやがって」
ここで、ヘンリエッタは気が付いた。
結婚をうるさく言われるというのは、オブラートに包んだ表現だったのだと。
魔法使いダグラスに命を取ると明言されている王太子ギルバートに周囲が望むことと言えば、そのときに備えた王家の血の存続。
(重鎮連中なんて、デリカシーをなくした老人の集まり…殿下が迫られているのは、つまり…)
言葉で表現するのも忌まわしいことだ。
「ごめんなさい。浅慮でした」
素直に、心からヘンリエッタは謝った。
それから。
「…ところで、殿下。先程わたし、殿下の恋人役を頼まれましたけど、わたしなら命を狙われても良かったということですか?」
面白くない事実に気付き、ヘンリエッタは言った。
「状況を考えたら、僕が死ぬときはおまえはクリスの恋人だってオープンになってるはずだろ。だから、おまえの命を脅かすのは僕じゃない」
ああ、とヘンリエッタはため息をついた。
眉間に指をあて、考えを整理する。
(分かってきた…ここ数日の殿下の行動。殿下はわたしがいるクリスを羨ましく思って。それで嫌がらせしてたんだわ)
とんだトバッチリだ。
けれど、腹を立てる気にはなれなかった。
(あーあ、悔しいけど、この人には敵わないわね)
ギルバートは死神が目の前に立ち、鎌を振り上げているような状況で、目をそらすことも逃げることもせず、堂々と立っているのだ。
王太子として背負うべきものを背負い、一方、周囲の人は極力、自身の定めに巻き込むまいと努力している。
(なによ、カッコいいじゃないの。いいわよ、認めてあげるわよ。殿下はわたしのクリスが生涯の忠誠を誓うにふさわしい王子様だって)




