1 魔法不正監査局発足
その日。
ヘンリエッタは、職場の同僚たちとともに、王城の大広間に召集された。
女性は、ヘンリエッタとグローリア、新たに受付嬢として就職した、グローリアの隣家の娘デリアの三人。ほかは全員男性だった。
「わああ…」
奮発して用意した赤いワンピースを着て、茶色のふわふわした髪を肩の上でふたつに振り分けてくくった少女デリアが、歩きながら感嘆の声をあげた。
天井や壁の装飾、豪華なシャンデリア。贅を尽くした王侯貴族のための空間に圧倒されているのだ。
「デリア、上ばかり見てると転ぶわよ」
青いワンピースを着たヘンリエッタは、一歳年下のデリアにお姉さん顔して言った。
「だってぇ。しっかり見とかないと、二度と見れないよ?」
デリアは上を見るのをやめない。
もっとも、この場に集まった数百の若者たちはみなデリアと似たような反応だった。
本来なら足を踏み入れることすら出来ない天上の場所に舞い上がっていた。
(わたしはみんなみたいな反応はできないし、デリアのお守り役って名目があって良かったわ)
デリアに寄り添いながら、ヘンリエッタは思った。
王城の大広間にそぐわない、浮き足立つ様子の隠せない面々だったが、「王太子殿下がお見えになりました」と声が響くと、さすがにシン…と静まりかえりビシッと直立した。
みな、表情は明るく、希望に満ちていた。
正面には玉座があり、整列したメンバーたちと王座の間に、眼鏡をかけないクリスがいた。片膝をつき、王太子への忠誠を示している。
かしこまった若者たちが待つ中、金髪碧眼の見目麗しい王太子ギルバートは颯爽と現れ、玉座の前に立った。
服は深い緑色で、派手過ぎないが王族としての威厳を存分に示していた。
「今日はみな、よく集まってくれた」
ギルバートは聞き取りやすく、耳に心地よい声で言った。
「この場にみなと共に立てること、僕は誇りに思う。組織の長が決まらないことで長い間苦労をかけてすまなかった。だが、それも今日までだ。今日から僕がお前たちの長だ!」
ギルバートの宣言と同時に、わああっと歓声があがった。
ひときわ大きな歓声をあげたのは、場の半数を占める若い魔法使いたちだ。
王太子は魔法学校に通う中で在校生たちの心をつかみ、熱狂的支持を得ていた。
そのため、魔法使いの年齢は卒業したての十七歳から二十歳過ぎまでに集中していた。
「では、今から組織名を発表する。『魔法不正監査局』だ!」
組織名が発表されると、また大きな歓声があがった。
やがて、「殿下」「殿下」と、ギルバートを讃えて呼ぶ声が大広間に響き出した。
マッキンレイを押し切り、組織のトップの座を勝ち取ったギルバートは間違いなく、この場に集まった者たちの救世主だった。
手をあげ、歓声に応えた後、ギルバートはクリスを呼び、隣に立たせた。
クリスは視る者の紺の制服だったが、首元につけた大粒のサファイアのポーラータイが──たったひとりの特別な視る能力者の証が、王太子の隣に並ぶに相応しい尊厳を持たせていた。
それに、明朗快活、まっすぐな魅力あふれるギルバートと、沈着冷静、大人の包容力を持つクリスが並ぶととても絵になった。
そして。
「さて。残念ながら僕には僕の果たすべき役割があって、魔法不正監査局の長は書類上だけの役職となりそうだ。だが、諸君らの中に不安に思うものはいないだろう。これまで通り、ここにいるクリストファー・アンダーソンが組織のトップとして諸君らの指揮を執る。僕も時間を見つけて顔を出すくらいはするつもりだが、組織に関する全権はこいつに委譲してある。従って、今後、僕のことは殿下、こいつのことを局長と呼べ!」
クリスが事実上のトップだと、ギルバートは明言した。
ギルバートの隣に立つクリスは、少し涙ぐんだように見えた。
メンバーの一員として列の中にいたヘンリエッタも、これには胸がじーんと熱くなった。
クリスは、ギルバートの前にひざをついた。
「この恩寵を胸に、より一層気を引き締めて、職務を全う致します」
そう宣誓すると、クリスはギルバートの手の甲に、忠誠を誓う口付けをした。
わあああっと、最高潮に興奮した歓声があがった。
──悔しいけど、してやられちゃったわね。
魔法使いダグラスの都警察乗っ取り事件から二ヶ月。
年も明けた一月十日。
魔法不正監査局発足の瞬間だった。
*
興奮冷めやらぬ様子できゃいきゃい話しながら歩くデリアと、彼女の話し相手グローリアの背中を見ながら、ヘンリエッタはぼんやりと歩いていた。
「ヘレン、大丈夫かい?」
ふいに声をかけられ、ヘンリエッタはパッと顔に営業スマイルを貼り付けた。
話しかけてきたのがブライアンだと分かったら、自然とおだやかな微笑になった。
「ブライアン」
キス未遂の件があって、気まずくなるかと思われたブライアンだったが、その翌日には、彼の方から気持ちの整理をつけたと宣言された。また、ヘンリエッタがブライアンに流されたらクリスは身を引くつもりだったと話したら、そんな迷惑な覚悟はいらないと一蹴された。
ヘンリエッタがそばにいることでクリスの調子が上がったら、その結果こそがブライアンの最も望む報奨だと。
「今日はもう解散ってことだし、公園にでも行かないか」
「ええ、いいわ」
ヘンリエッタは、ブライアンの誘いを快く受けた。
公園のベンチに並んで座ったあと、
「なにか…引っかかることでもあった? 式典のあと、ずっと上の空だけど」
と、ブライアンが言った。
ヘンリエッタは苦笑した。
「ブライアンには隠せないわね。べつに、そんな大したことじゃないの」
「そうかい?」
「ただ…クリスと殿下の絆の強さを実感しちゃっただけよ。あの間にわたしが割って入るなんて無理だなあって…」
「あー…まあ、クリス君も殿下も、お互いがいたから生きてこられたって経緯もあるし、殿下の魔法学校時代を含め、十年近くの間、一緒に過ごして来た間柄だからね…。ここ半年くらいは別行動が増えたけど、打ち合わせなしでもこういうときはこう動こう──みたいなのが、だいたい合うらしいよ」
(熟年夫婦!)
お互いを想いながらすれ違ってしまうクリスと自分を比べたら、妬ましいことこの上ない。
「やっぱりそうだよねえ…」
「まあ、だからといって、一から十まで同じ考えではないよ。一度、殿下の愚痴を聞いたしね」
「え? どんな?」
「クリス君は馬鹿だって。殿下のことさえ切り捨てたら選択肢は広がるのに、どうしてあえて殿下を選ぼうとするのかと。組織のトップの件は、そんなクリス君に対する殿下なりの気持ちだと思う」
(あはは…ラブラブだあ…)
ヘンリエッタは思わず心中で乾いたツッコミを入れてしまった。
それから。
視線を感じ、ヘンリエッタはブライアンを見た。
ブライアンは、少し考えてから口を開いた。
「たぶん殿下は、あなたに期待しているところがあると思う」
王太子ギルバートはクリスを道連れにしたくないと思って、ヘンリエッタに期待している。
ブライアンの推察を、ヘンリエッタは苦い気持ちで受け止めた。
けれど、顔には出さなかった。微笑みを浮かべ、「…そうね。頑張るわ」と前向きな答えを言った。
胸はズキズキと痛んでいた。
さっき見た光景。ギルバートを見るクリスの目が忘れられない。
(殿下とクリスの考えは違う…本当、そうね。他の選択肢なんて、頭の片隅にも存在してないんだもの。クリスは………クリスの中で優先順位は決まってる)
これまで、クリスがヘンリエッタを遠ざけようとしたことはあっても、ギルバートから離れようとしたことはなかった。
(でもそれも当然なんだわ。殿下は、クリスにとって生きる意味そのもの…)
だからクリスは、とにかくギルバートが生きる道を拓こうと足掻いている。
ギルバートが死ねば、クリスも死ぬ。二人を切り離すことはできない。
(…いっそ、殿下にカッコいいところがなければ良かったのに)
嫉妬だと分かっていながら、心中でヘンリエッタはぼやいた。




