1 狼を始末した後、報告と忠告と真実
「伯爵令嬢と秘密の恋人」の「2 仲間が狼になるとき」の後の、クリスとブライアンの一戦。
ブライアン目線です。
クリストファー・アンダーソンは、ブライアン・ターナーの、二歳年下の上司だ。
魔法使いと、魔法使いを管理する『視る者』が存在するこの世界で、特別な視る目を持つクリスは国の宝だと言われている。
けれども、彼の境遇はそれだけでは語れない。
父親が国王の摂政を務めるウィルフレッド・アンダーソン伯爵であり、母親が本妻ではなかったために、本妻の実家、都を牛耳る大貴族マッキンレイに存在を全否定されたことだ。
クリス自身の命の危機は数知れず、彼と懇意にしすぎた学校教師が命を落としかけたこともあった。
そんな経緯もあって、クリスは、人付き合いを仕事上の最低限に抑えることを徹底している。
だから。
恋人なんてマッキンレイの格好の餌食になる存在は作れない──はずだった。
同僚のベンが、同じく同僚の少女ヘレンを襲い、ブライアンがそれをおさめた日。
「俺としては、この機会にヘレンには身を引いてもらった方がいいと考えてます。男の集団の中に十六歳の女の子が混ざるってのは、どうしても…ね」
一通りの報告がすんだあと、ブライアンは鎌をかけるべく言った。
「そうですね。また彼女とも話します」
クリスは平然とそう答えた。
(さすがにヘレンとは違って簡単にボロは出さないか)
「あ、そうだ。さっきの報告には入れなかったんですが、ベンが俺にこんなことを言ってました。ヘレンにキスマークがついてたって」
その一瞬、空気が凍った気がした。
けれども。
「それが本当なら、風紀が心配ですね。調査しておきます」
そう言ったクリスには、何の動揺もなかった。
一瞬、空気が凍ったことさえブライアンの気のせいだったのではないかと思えるくらいに、クリスは尻尾を出さなかった。
仕方なく、ブライアンは切り札を出すことにした。
「調査の必要はないでしょう。俺、見ましたから。昨日の仕事帰りに…ヘレンがあなたの住む長屋に入っていくところ。昨日に関しては、他のメンバーが周辺にいないか確認しましたから、見たのは俺だけです」
そこまで言うと、クリスはポーカーフェイスを保ったまま沈黙した。
ブライアンは冷や汗を意識しながらも、クリスに定めた視線を外さないよう堪えた。
緊張の時間が流れた。
「なるほど。それで、私に彼女との関係を清算しろと言いたいわけですね」
クリスが言った。
敵意、とまではいかないが、ゾクっとするような鋭さのある声だった。
「あれはダメでしょう」
ブライアンは勇気をふりしぼって言った。
「あなたの住む長屋の前は、メンバーたちもよく通る道です。誰にも見つからずに続けるのは不可能だ」
「あなたの言うとおりだと思います。助言、感謝します」
「感謝………?」
別れるという回答が返らなかったことに、ブライアンはカッとなった。
「俺なら別れます。いや、最初から付き合わない。恋人だと世間に言える日は来ないのに、バレたらマッキンレイの餌食になるんですよ。彼女の方が! 彼女がすべて納得ずくで、彼女の方から近寄っていったのも分かってます。それでも、あなたが受け入れちゃ駄目でしょう」
強い気持ちでブライアンが言うと、クリスはそこでポーカーフェイスを崩した。
ブライアンが初めて見る表情。そう、二十歳という彼の実年齢に近い…。
「私だって──五年間思い続けた女性が自分の部屋に来て、何もせずに帰せる人間じゃないんです」
「五年って…」
クリスが出した予想外の数字に、ブライアンは戸惑った。
視る者の関係機関が集中する安全エリアに住み、十歳から仕事漬けの彼の行動範囲は狭い。王太子の侍従としてあがる王城。王都の東の海の彼方にある魔法学校。王太子と別行動のときは、安全エリア内の視る者関係機関。
(魔法学校はあり得ない。視る者協会もたぶん違う。俺や、協会関係者だったメンバーたちも彼女を知らなかったんだから)
残るは王城だが。
(王城にあがるには一定の身分が必要…)
「彼女は…誰なんです…?」
ブライアンはおそるおそる聞いた。
「彼女は、ヘンリエッタ・キングスフォード伯爵令嬢」
クリスの告げた名前に、ブライアンは息を呑んだ。
貴族子女に疎いブライアンでも知っている名前だった。ダグラス登場前に、都を騒がせた女性だったから。
マッキンレイにおもねらない独立系貴族キングスフォード伯爵の令嬢で、王太子妃を狙いにいって失敗し、マッキンレイに睨まれた人。
噂では、都にいられなくなって、外国に行ったという話だった。
「殿下が彼女に無礼を働いた舞踏会で知り合って………結婚の約束をしました」
「け…っこん!?」
途中経過をばっさり省かれ、結果だけ言われたのも肩透かしだったが、結婚の単語はそれ以上に衝撃的だった。
さらに。
「ええ。私がキングスフォード家に婿入りする形で」
具体的に話が進んでいたのだと分かる情報の補足に、ブライアンはゾッとした。
キングスフォード家がクリスを取り込んだら、起こるのは、マッキンレイとキングスフォードの全面戦争。
魔法使いダグラスが現れていなくても、都は大混乱に陥っていたということだ。
今、都の平穏を守っている目の前の人のせいで。
けれど。
(マッキンレイに挑むとか、そんな覚悟……どうしてできる……?)
そもそもクリスは責任感が強く慎重なタイプだ。
敵に対し大胆に攻めるときもあるが、類まれな才能でいつだってきっちりと勝算を読んでいた。
それに、ほんの少しの油断で命を落とす人生を生きてきた彼にとって、安全確保や勝算は常に神経を使ってきた分野のはずで。
「ダグラスさえ現れていなければ」
悔しさをにじませた声で言ったクリスに、ブライアンは、ああ、と思った。胸が苦しく締めつけられる。
(そりゃ、キスマークをつけずにはいられないよな)
どう考えてもマッキンレイに対して確固たる勝算なんて描けるとは思えない。
それでも。一世一代の大勝負に身を投じてでも、彼は彼女を欲したのだ。
自分のこれからの人生に、必要だと。
そこまで強く彼女を求めたのに、外敵ダグラスの登場で待ったをかけられて。
(この人は、彼女は自分のものだと言いたくて…言いたくて、たまらないんだ)
「おふたりの事情とお気持ちは理解しました」
ブライアンは言った。
今からする話は秘密にして欲しいとか、秘密をバラしたら報復するとか、そういった前置きなしに、惜しみなくブライアンに秘密を話したクリスに感服していた。
ブライアンは口外しないという、掛け値なしの信頼。
上司に対し、秘密の恋人関係を知っていると指摘するからには、当然、辞職も視野に入れていたのだが。
(この信頼に応えるには、むしろ……)
「信用いただいているようですが、口外しないことを、ここに宣誓します」
「ありがとうございます」
クリスはホッとした様子で答えた。
「ただ、やはり現状のままでは彼女の参加に賛同できません。いくらヘレンがあなたを好きだと言っても、あなたが公に応えられない以上、彼女を好きな男にしてみたら自分こそが彼女を幸せにできるはずと煽る結果にしかなりませんから。──だから、俺にヘレンの恋人役をやらせてください」
ヘレンの恋人役をブライアンが申し出ると、クリスは驚き、戸惑った顔をした。
(ああ、しまったな。俺も彼女に惚れた一人だって、気付かれてたか)
彼女のことを好きな男に恋人役をさせたいと思う男はいないだろう。
だけど。
ブライアンは思案した。
クリスが嫌がっても自分の提案を通すべきだと思ったから。
「ヘレンにあなたへの想いを抑えてと言っても難しいでしょうから、忘れるための付き合いだと、みんなには話して…俺がフラれるまでは手出し無用と牽制します。急場凌ぎではありますが、今はまず、メンバーたちが無秩序に彼女に言い寄る事態を回避するんです」
ブライアンは、クリスがしたくてもできないことを自分が代行すると伝えた。
「今日みたいな事態は、俺が絶対に阻止します」
「少し…考えさせてください」
クリスは苦渋の表情で言った。




