7 秘密の恋は弱気になりやすい
クリスの執務室に駆け込んだヘンリエッタは、鍵をかけ、ドアを背に立った。
部屋にかけられた魔法の機能で、鍵をかけると中の声が外にもれない。
「さっきのこと、言い訳させて」
ヘンリエッタは言った。
しかし窓際に立つクリスは振り返ってもくれなかった。
「いいえ、ブライアンは本当に素晴らしい人です。無理して私と付き合うことはありません」
「ちょ…どうしてそうなるのよ!?」
怒るどころかブライアンを押され、ヘンリエッタは頭から血の気が引く思いだった。
(自分はあの女とよろしくやるから、わたしをブライアンに押し付けようってこと!?)
矢も盾もたまらずクリスのそばまで行くと、後ろから抱きついた。
「わたしが好きなのはクリスよ! 変なこと言わないで、怒ってよ!」
しかし。
クリスは抱きついたヘンリエッタをそっと引き離し、また後ろを向いてしまう。
「怒るなんて…あなたに無理をさせるばかりで、私には何も返せるものがないのに。それどころかブライアンがあなたを好きだと分かっていて、酷い役回りを押し付けた…」
「え? ブライアンが…わたしを好き?」
思いがけない指摘にヘンリエッタは戸惑った。
さっきのキスも、弱ったヘンリエッタに彼が合わせてくれたものだと思っていた。
そこでクリスが腹に据えかねたように振り返った。
「あなたのそういうところ、本当に腹が立ちます。だいたい、あなたは人との距離が近すぎる。まっすぐ相手の懐に飛び込んでいって、その、たまらない魅力で惹きつけて。それでいて特別な好意に気付かない」
激しく嫉妬した瞳がヘンリエッタに突き刺さった。
(ひぃ──………)
「ごめんなさい…」
謝罪したヘンリエッタに対し、クリスがギョッとした。
「………ええと、それ、謝るときの顔じゃない…と思います」
クリスはふいと横を向いて言った。顔が少し赤くなっている。
そこでヘンリエッタも、だらしなく緩みきった自分の顔に気付き、「わあっ」と慌てて両手で隠した。
「ご、ごめんなさいっ! おおおお見苦しいものをっ」
(嫉妬が嬉しすぎて、顔がぁっ)
「あ、どうしよ、かお、顔が戻らないっ」
ゆでダコみたいに真っ赤になって、恥ずかしくてたまらないのに、顔のゆるみが戻ってくれない。
ヘンリエッタがわたわたしていると。
はあ、と苦いため息が聞こえ。
「抱きしめて…いいですか?」
そんなささやきと同時に抱きしめられた。
「いいよ」
ヘンリエッタも返事をしながら、クリスの背中に腕を回した。
(良かった。これで顔がかくせた…)
「すみません。キングスフォード伯爵も厄介な私よりブライアンを歓迎することは分かっているのですが…あなたを離さないでいてもいいですか?」
ギュッとヘンリエッタを抱きしめながら、遠慮がちにクリスが言った。
途端、ゆるゆる気分は吹き飛んだ。
「最後まで一緒って約束したじゃない! クリスはどうしてそうすぐ弱気になるの?」
グッと抱擁をふりほどき、睨むようにクリスを見上げる。
身体を重ね、自分はもうクリスのものなのだから、もっと強い気持ちで縛りつけて欲しかった。
クリスは、ばつが悪そうに視線を泳がせたあと、
「その…あなたが職場でするのに抵抗がありそうだったので、それで…嫌になったのではないかと…」
と言った。
「え、そこ!? 嫌がるどころか、わたし……って、言わせないで」
自分がどれほど反応していたか力説しそうになって、真っ赤になって慌てて口をつぐむ。
クリスもつられて顔を赤くしながら、「最中のことではなく」と言い足した。
「した後…いつも不満そうでしたよ?」
「それは、だって、最初のときも一時間は誰も来ないって話だったのに三十分で邪魔が入ったし…そのあともだいたい同じ流れで…クリスと気持ちがすれ違わないようマメに会話もしたいと思ってるのに、いつもエッチだけで二人の時間が強制終了になるから…」
不満の理由を説明しながら、ヘンリエッタは、ああ、と思った。
クリスも同じだった。
「本当に…足りていなかったんですね」
二人の間で、言葉が。
「すみませんでした。身体を重ねたことで、どこか慢心していたのかもしれません」
「あのね、わたしって面倒くさい女だったみたい。クリスの気持ち、感じていたいの。その…言葉でも」
「肝に銘じておきます」
クリスはそう言うと、ヘンリエッタを抱き寄せた。
首筋に唇を寄せ、胸をなで始める。
「え、ちょ…話、聞いてた?」
ヘンリエッタは不埒な手の甲をつまんで引きはがし、抗議した。
ところが。
箱に捨てられた仔犬みたいな、憐れみを誘う目が返ってきた。
「今は…大目に見てもらえませんか。頭と体は別…といいますか──あなたと二人でいると、したくなるんです」
(ええと…突っ込みどころはたくさんあるけど…)
「嫌。わたしはまだクリスに言いたいことがあるの」
ヘンリエッタは強気に突っぱねた。
ここで流されて言いたいことを我慢したら、さっきの反省はなんだったのかということになる。
しゅんとしながらも、クリスが「分かりました」と言う。
「わたし、キングスフォード家の保険の役割を免除してもらって、ここにいるの。それに、初婚の生娘としての結婚ももうできない。つまり、返品不可なの!」
ヘンリエッタは言った。貴族の価値観に縛られるつもりはないが、幼少期から背負ってきたものを簡単な気持ちで捨ててきたわけじゃない。
退路を断ってこの場にいることを、クリスに分かって欲しかった。分かったら責任を感じて、もう終わりを言わないで欲しいと思った。
しかし、クリスの反応は微妙だった。
「それは…あなたが伯爵令嬢として生きる場合の制約です。キングスフォード伯爵は、あなたの気持ちさえあれば貴族以外との結婚も許してくださる方。…私も、話があったのを思い出しました。さっきの言い訳を聞かせてください」
さっきの言い訳──ブライアンとキスした言い訳。
ここにきてようやく、ブライアンを押したクリスの気持ちにヘンリエッタは気付いた。
マッキンレイのせいで恋人宣言できず、魔法使いダグラスと戦うことを定められて身動きが取れない。娘を持つ親からしたら、今、クリスは間違いなく嫁がせたくない男性の一位だ。
(…自分の不利なところなんて、わざわざ考えなくていいのに。わたしが、ただの女の子としてなら選択肢は広がるなんて気づかなくていいのに)
はあ、とヘンリエッタはため息をついた。
(わたしも我ながら、職場まで押しかけてくるウザい女だと思ってたけど、クリスの方が面倒くさいタイプだったみたい…)




