5 恋人同士の時間は人目を忍んで
キスマーク騒動の翌日。
職場に行ったら、何事もなかったかのように落ち着いていた。
ブライアンが、昨夜のうちにメンバーたちを酒場に集め、頭を下げ、ヘレンとの交際宣言をしてくれたのだと言う。クリスを忘れるための付き合いだから、あまり触れないで欲しいとも。
もともと一目置かれていたブライアンだったからか、みんな納得してくれたらしい。
また、二人とも人前で見せつけるタイプではないから、仕事中は普通に接することになったのだが、なぜかヘンリエッタが普通にブライアンと話をするだけで周りからため息がこぼれた。
帰り道、グローリアから身代わり作戦の成功が告げられた。
どうやらブライアンを共犯者として信頼し、気を許したヘンリエッタの態度が、ほかのメンバーには特別なものと映ったらしかった。
「だって警戒心を取ってみたら、ブライアンってクリスと雰囲気が似てるから、一緒にいて落ち着くんだもの」
ヘンリエッタはグローリアに言った。
「そうね。私も盲点だったわ。たぶん、みんなを一番納得させたのも、そこなのよ」
「え?」
「クリスさんが駄目なら、次点はブライアンだったってこと」
「ええ? それって、ブライアンに失礼な気がするけど…」
「そんなことないわよ。誰しも好みってあるから、自然と似たタイプを好きになったりするわ。とにかく、今回は助かったんだから、いいのよ」
有無を言わさない調子のグローリアに、ヘンリエッタは肩をすくめた。
「あとは、アレね。クリスさんの日頃の行い。出会ったばかりの女の子に言い寄られても手を出すわけがないっていう。ブライアンも、彼の長屋に入るお嬢様を見なかったら信じられなかったって言ってたし」
「ほんと、それ!」
そこで、ヘンリエッタは大いにうなずいた。
「それだけ普段の行動をしっかりするのって、それはそれで大変だと思うけど、でも、なんだかズルい気がするわよね」
*
一週間後。
資料の片付けを頼まれたヘンリエッタは、クリスの執務室を訪れた。
メンバーが増えてきたことを受け、視る者協会の一室から独立した建物に引っ越したのだ。クリスは指揮官として、専用の部屋を持つことになった。
「わあ、ここがクリスの新しい部屋?」
部屋に入るなり、ヘンリエッタは言った。
仕事とはいえ、二人きりになれたことが嬉しかった。
「せっかく窓があるのに、隣の建物の壁しか見えないね」
通りに面した、建物内で一番良い部屋は、まだ決まっていない長のために空けてあるのだ。
執務机で仕事をしていたクリスは、眼鏡を外して立ち上がると、
「ソファに座ってください」
と、言った。
何か話があるのだと思ったヘンリエッタは、
「あら、まず仕事するわよ」
と、書架の前に立った。
そこで。
ヘンリエッタは、三秒ほど悩んで、首をかしげた。
「ねえ、クリス。完璧にキレイに並んでるんだけど」
ふりかえると、クリスはなぜか部屋の鍵をかけたところだった。
「クリス……?」
扉を背に立つと、クリスはどこか少年っぽい顔をして言った。
「検討を重ねた結果、ここが一番無難かと思いまして」
「まさか……え? ここ、仕事するところだよ?」
クリスの要求を察したヘンリエッタは後ずさった。
「だから、資料の片付けですよ」
「うそ! 絶対違うよね?」
クリスはあっという間にヘンリエッタに近付いてきて、書架を背に立つヘンリエッタを追いつめた。
そして。
(あ…クリスの匂い……)
彼を近くに感じただけで、ヘンリエッタの身体にも火がついた。
唇が触れ合うと、場所や時間を忘れた。
ちゅ、と密やかな水音がたつと同時に、ヘンリエッタの手は自然とクリスの背中をつかんでいた。
長めのキスの後、応接用のソファに導かれた。
背中にソファの弾力を感じたとき、いよいよ後がないと、なけなしの理性がようやく働いた。
「ま…待って」
ヘンリエッタにおおいかぶさり、顔を近づけようとしていたクリスが、ピタリと止まった。
「はい。なんでしょうか?」
紳士に、ヘンリエッタの言葉に耳を傾けてくれる。
「本当に…するの?」
不安や背徳感。いろんな思いがうまく言葉にならず、そんな拙い確認をしてしまったヘンリエッタに対し、クリスはにっこりと微笑んだ。
「もちろん」
(即答!? しかも、なんでそんなムダに爽やかな笑顔なの!?)
分からない。クリスの倫理観が共感できない。
「でもっ、でも、誰か来たら…」
「鍵をかけたので、仮に誰か来ても時間は稼げます。こんなあなたの姿、他の誰にも見せる気はありませんよ」
「あっ、うん、それは良かっ…」
クリスの見せた独占欲に顔を赤らめてから、ヘンリエッタは慌てて「良くない」と言い直した。
「わたしがここで作業してるって、オープンな情報なんだよ? 鍵をかけるとか、応対までに時間かかるとか、怪しまれるじゃない! せっかくわたしとブライアンが…」
「ええ。あなたとブライアンが深い絆で結ばれた恋人同士だとみんなが心から納得してくれたおかげで、私があなたを資料整理に呼んでも疑われない状況ができたんです」
「え…と、何か言葉に棘がない?」
持って回った言い方をするクリスに、ヘンリエッタは言った。
クリスはサッパリした様子で笑った。
「気にし過ぎですよ。ブライアンにヤキモチは妬きません。ただ…物理的にベタベタする必要はないですから、距離感には気を付けて欲しいですね」
「それは、もちろん。みんなに対する配慮だと思っているわ」
「では、懸念事項はクリアされたということで、よろしいでしょうか?」
クリスは、言葉だけは事務的に、視線には色気をのせて、顔を近づけてくると、ヘンリエッタの耳たぶを唇ではんだ。
「ひゃんっ」
思わず反応してから、「待って待って! そ…その、最中に誰か来たら…」と慌ててヘンリエッタは言った。
「直近で私にふりかかってきそうな事案は片付けましたから、一時間くらいは誰も来ない予定です」
なんでもないことのように、クリスは答えた。
「は…?」
ヘンリエッタは、ぽかんと口を開けた。
彼は指揮官だ。なにか不測の事態がおこれば、みんな彼に聞きにくるのだ。
(でも、たぶん、今の言葉の意味は…)
「不測の事態が起こらないよう、可能な限り先読みして、みんなに指示を出したんです」
「まさか…わたしと…するために?」
「はい。あなたと二人の時間を作るために。おかげで、仕事が楽しかったですよ」
ヘンリエッタは、もう顔から火が出てもおかしくないくらい、真っ赤になった。
「そ…それだったら…」
もじもじと照れながら、ヘンリエッタは承諾の返事を口にした。
大きな手が頬をなで、唇が重なった。
唇を割り開いて入ってきた舌を受け入れ、ヘンリエッタは「ん…」と小さく声を上げた。




