3 ブライアンの提案
「クリス!」
シェリー家に戻ったあと一人部屋に閉じこもり、じっと固まっていたヘンリエッタは彼の顔を見るなり飛びついた。
「ヘンリエッタ」
クリスもヘンリエッタを受け止め、強くギュッと抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…! 嫌わないで…離さないでぇ…! ふぇぇ…!」
それまでは涙も出なかったのに、クリスの腕の中で堰を切ったように感情があふれだした。
「もう大丈夫です。嫌わないし、あなたを離すなんてあり得ない」
「うぅ…わぁぁん……!」
ヘンリエッタは幼い子どもに戻ったみたいに、声をあげて大泣きした。
ひとしきり泣いたあと。
「落ち着きましたか?」
クリスから優しく問われ、ヘンリエッタはこくりとうなずいた。
「今日は本当にごめんなさい…」
「悪いのはあなたではありません」
あらためて謝ると、クリスから思いの外強い否定が返ってきた。
「ううん。わたしのかわし方が下手だったの。グローリア先生からも、男性と二人きりにならないよう注意しなさいって言われてたもの。でも、だからこそ、次はないようにするから!」
「先程まで大泣きしていた人に言われても説得力がありませんよ」
強い気持ちで言ったヘンリエッタに対し、クリスは困ったように苦笑いを浮かべた。
ぞくっ…とした。
(クリス…自分のせいで、わたしを傷付けたと思ってるんだ…!)
「いやっ! 帰れなんて言わないで!」
ヘンリエッタはまた泣きそうになって、クリスに抱きついた。
実家の伯爵家には帰さないでと。
「……とりあえず、ダイニングへ行きましょう。ブライアンに…あなたの話をして、来てもらっているんです」
クリスはそっとヘンリエッタを押し返すと、逃げるようにそう言った。
(まただ……)
ヘンリエッタは、ギュッと胸が締め付けられるのを感じた。
これまで何度も何度も、クリスに遠ざけられてきた。
しかも今回は自分の失態が元だけに、悔しさが半端なかった。
*
クリスの後についてダイニングの入り口に立つと、グローリアとアダム、そしてブライアンが深刻そうに話をしていた。
(本当にいる………)
ヘンリエッタはにわかに緊張を覚えた。
ブライアンのことは人格者で思いやりもあり頼りになる人だと評価してはいるのだが、ことクリスに関して、まごうことなき善意から諦めろと言われ続けたことで苦手意識があった。
そのとき。
「クリス君には提案したんですが……彼女を残すつもりなら俺に恋人役をさせてもらえないかと」
グローリアたちに向けたブライアンの発言が耳に入り、ヘンリエッタはカッとなった。
「ブライアン!? 何言ってるの!?」
考えるより先に叫んでいた。
ダイニングにいた三人の視線がヘンリエッタに刺さった。
すぐにブライアンが口を開いた。
「ヘレン。ただのフリだ…です。男避けのガードマンと思ってください。き…あなたがクリス君のそばにいたいのなら」
ヘンリエッタの本来の身分を慮って、口調を丁寧に直しながら、ブライアンは言った。
「その…ベンがキスマークのことを誰彼かまわず言っていて。相手が誰かで今、メンバーたちは騒然となってるんです。相手が分からないことには、みんな落ち着かないし、その状態であなたが残るのはまず無理だと思います」
ブライアンから重大な問題が告げられた。
「そんな……!」
ヘンリエッタは青ざめ、言葉を失くした。
ちらりと隣に立つクリスを見ると、彼も顔色を変えていた。その情報は聞いていなかったらしい。
「そんなに大変なことになってたの?」
そう言ったのはグローリアだ。深刻な顔つきで、うーんと唸る。
「たしかにその状況は……代役を立てるのが一番ね。でもお嬢様のお気持ちは誰がどう見てもクリスさん一筋だし……代役は難しいんじゃないかしら」
「そこは言い方次第だと思います。彼女の気持ちがクリス君にあるのを承知の上で、忘れるための付き合いだと言えば」
「まあ、ブライアン。あなた、賢いわね。そうよ、その手があるじゃない」
「せ、先生!? 無理よ? わたし、そんな器用なことできないもの!」
当事者を置き去りにブライアンとグローリアの間で話が進もうとするので、ヘンリエッタは待ったをかけた。が。
「お嬢様! どなたのせいで、こんな事態になったとお思いですの? この方法ならクリスさんへの気持ちを隠さず、ほかの男性を無理なく断れるんですよ!? ブライアンを好きになろうと努力するフリくらいはして下さい!」
あっけなく返り討ちにあった。
もともとグローリアにとってのヘンリエッタは教え子な上、居候を始めてからは保護者・親意識が強くなっていて、ヘンリエッタを守るためだと思えば容赦がない。
けれど、ヘンリエッタだって嫌なものは嫌なのだ。
(クリスの前でほかの人と付き合ってるフリなんて、浮気してるみたいじゃない!)
「でもでも、ブライアンの恋人はどうなるの?」
なんとか代役案を却下しようとヘンリエッタは食い下がった。
「俺に恋人はいません。目下のところ恋愛する気もありません。でなければ、さすがにこんな提案はしませんよ」
ブライアンは当然のようにそう答えた。
(うっ…焼け石に水……っ)
追い詰められたヘンリエッタは、すがるようにグローリアを見た。
ブライアンの考えに傾いていると分かっていても助けを求めてしまう──ヘンリエッタにとってもグローリアは親のように、全面的に頼りにしている存在だった。
救難信号を受け取ったグローリアは、ため息をついてから「そうねえ…」と口を開いた。
「ひとつ気がかりがあるとすれば……ブライアン。あなたがお嬢様の相手だと信じてもらえるかどうかね。みんなを出し抜いてマドンナに手を出したと言うわけでしょう? 真面目なあなただもの。クリスさんをかばっているとバレるんじゃないかしら」
「そこは頑張って上手くやろうと思いますよ。ここ数日みんなが浮き足立っているのは分かっていましたから、昨日の帰り偶然会った彼女に声をかけて、忠告をして、その流れで…みたいな」
「ふむ。ブライアンの案がいいんじゃないかね」
ずっと黙っていたアダムが言った。
夫の駄目押しにグローリアもあっさり「そうよねえ」とうなずく。
(先生の裏切り者!)
心の中でそうグローリアに八つ当たりしつつ、ヘンリエッタも有効な代案を提示できない。
そのとき。
「あの…すみません」
アダム同様、ずっと黙っていたクリスが声をあげた。
ヘンリエッタは期待に胸をふくらませ、隣に立つクリスを見た。なにか他にいい案を思いついてくれたのではないかと思った。
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。あまつさえ私達のためにここまで考えていただいて…ですが、もうこれ以上は」
「クリス!!」
彼の言葉が期待の真逆だと察したヘンリエッタは、慌てて大声をあげた。
(バカわたし! さっきもクリスは帰れと言いそうになってたじゃない!)
「待ってよ。まだ決めないで! ブライアン! ちょっと来て」
ヘンリエッタは話を止めると、ブライアンを廊下に呼んだ。




