第二部 第二十一章「不穏な噂」
その日、セフィは、市場で買い物をしている最中、ふと、周囲の話し声が、いつもと違う様子であることに気づいた。市場の喧騒の中、いつもの威勢の良い呼び込みに混じって、ひそひそとした、緊張した声が、あちこちから聞こえてくる。
「聞いたか、また、役人が来てるらしいぞ」
「今度は、何を調べてるんだ」
「さあな。だが、やけに、獣人絡みの噂を、聞き回ってるらしい」
その言葉に、セフィは、思わず、足を止めた。買い物袋を抱えたまま、その会話に、そっと耳を澄ませる。周りの人々の表情にも、どこか、落ち着かない色が浮かんでいるように見えた。
*
「獣人絡み、ですか」
セフィが、こっそり近づいて尋ねると、話していた商人の一人が、少し驚いた顔をした。
「ああ、嬢ちゃんも、気になるかい。なんでも、ケルヴィンとかいう辺境の村で、獣人の子どもを助けた奴がいるとかで、その話を、詳しく聞いて回ってるらしい」
その言葉に、セフィの心臓が、大きく跳ねた。ケルヴィンでの、あの事件のことに、間違いなかった。
「なんで、そんなことを、今更……」
セフィが、思わず呟くと、商人は、肩をすくめた。
「知らんよ。だが、帝国ってのは、時々、妙なことに執着するもんだ」
*
その夜、セフィは、キーラに、今日聞いた話を伝えた。
「役人が、ケルヴィンの事件を、調べてる……?」
キーラの表情が、みるみる険しくなった。
「うん。なんで、今頃になって」
「分からない。だが、嫌な予感がするな」
キーラは、腕を組んで、考え込んだ。
「もし、あの事件の関係者が、セフィだと知られたら」
「危ない、よね」
セフィの声が、微かに震えた。
*
「フィンに、相談してみるか」
キーラの提案に、セフィは、頷いた。
「うん、そうしよう」
翌日、二人は、黒猫亭で、フィンに、この件を相談した。
「帝国の調査、か」
フィンは、腕を組んで、しばらく考え込んだ。
「厄介だな。帝国は、昔から、異人の力に、妙な執着を持ってる」
「執着、ですか」
「ああ。詳しくは、まだ話せないが……お前の血筋や、力に、目をつけられると、面倒なことになる」
フィンの警告に、セフィは、緊張を隠せなかった。
「なぜ、帝国は、そこまで異人の力に、こだわるんですか」
セフィが、思い切って尋ねると、フィンは、少し口を噤んだ。
「それも、いずれ話す。今は、まだ、時じゃない」
その返答に、セフィは、もどかしさを感じながらも、それ以上は、追及しなかった。フィンの目に浮かぶ、慎重さの色に、何か、重大な理由があるのだろうと、察したからだった。
*
「当面、目立つ行動は、控えた方がいいだろうな」
フィンが、そう提案した。
「修行は、続けられますか」
「ああ、それは、問題ない。ただ、街中での派手な力の使用は、避けろ」
「分かりました」
セフィは、神妙に頷いた。
「それと」
フィンが、真剣な声で続けた。
「もし、役人に声をかけられても、下手に隠そうとするな。堂々と、何でもない風を装え。怪しい態度が、一番、目をつけられる」
フィンの助言に、セフィとキーラは、互いに顔を見合わせ、頷いた。
*
その夜、宿に戻ったセフィは、窓の外を見つめながら、静かに、不安を噛みしめていた。
*どうして、今頃になって、あの事件のことが……*
考えれば考えるほど、答えは、見えてこなかった。ただ、確かなことは、この街にも、帝国という大きな影が、少しずつ、忍び寄ってきているということだった。
「大丈夫か、セフィ」
キーラが、隣の部屋から、声をかけてきた。
「うん……なんとか」
「何かあったら、すぐに、わたしを呼べ。一人で、抱え込むな」
キーラの言葉に、セフィは、少しだけ、心が軽くなった。
「うん、ありがとう」
夜が更けていく中、セフィは、これから待ち受けるかもしれない困難を思いながら、それでも、隣にいてくれる仲間たちの存在に、確かな安心を覚えていた。




