↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まだ、続いていく  作者: たべられて候
第二部
PR
60/74

第二部 第十五章「難題その一」

翌日、セフィとキーラは、指定された時間に、黒猫亭を訪れた。


フィンは、いつもの席で、二人を待っていた。テーブルの上には、既に、一枚の古びた地図が広げられている。


「来たか」


「はい。試練の内容を、教えてください」


セフィが、緊張した面持ちで尋ねると、フィンは、その地図を、セフィの方へと滑らせた。


「街の北にある、廃教会に行け。そこに、長年、成仏できずにいる霊がいる」


「霊、ですか」


「ああ。今まで、何人もの霊媒師や祓魔師が、あの教会に挑んできた。だが、誰一人として、その霊を鎮めることはできなかった」


フィンの言葉に、セフィは、息を呑んだ。地図には、街の北の外れに、小さく、教会の印が描かれていた。


*


「なぜ、鎮められなかったんですか」


セフィが尋ねると、フィンは、少し考えるように、視線を宙にさまよわせた。


「その霊は、あまりにも強い後悔と怒りを抱えてる。並の対話じゃ、聞く耳を持たないし、無理に祓おうとすれば、逆に、術者の方が呑まれる」


「呑まれる……」


セフィの脳裏に、あの妻子を守れなかった男の霊との対峙が、蘇った。あの時も、危うく、自分を見失いかけた。


「お前の課題は、その霊と、真正面から向き合い、対話を成立させること。無理に祓う必要はない。ただ、心を通わせられるかどうか、それを見る」


「分かりました」


セフィは、覚悟を決めて頷いた。


*


「一つ、忠告しておく」


フィンが、真剣な声で続けた。


「その霊は、これまで挑んだ誰よりも、お前の性質と、相性が悪いかもしれない」


「どういう、意味ですか」


「お前は、共感しやすい性質だろう。相手の悲しみに、深く入り込んでしまう」


「はい」


「その霊の抱える怒りと後悔は、生半可な共感じゃ、受け止めきれないほど、重い。下手をすれば、お前自身が、その怒りに呑まれて、二度と戻ってこられなくなるかもしれない」


フィンの警告に、セフィの背筋に、冷たいものが走った。


「それでも、やるか」


「やります」


セフィは、迷わず、そう答えた。


*


「わたしも、同行する」


キーラが、静かに、しかし断固とした声で言った。


「戦闘向きの霊じゃない。お前が行っても、あまり意味はないぞ」


フィンが、そっけなく指摘すると、キーラは、首を振った。


「戦うためじゃない。セフィが、危険な状態になった時、引き戻すためだ」


その言葉に、フィンは、少し驚いたように、キーラを見つめた。


「なるほど。悪くない考えだ」


フィンは、そう言うと、地図を、セフィに手渡した。


「今夜、日が沈んでから、その教会に行け。準備ができたら、始めるといい」


*


夕暮れ時、セフィとキーラは、教えられた廃教会へと向かった。


街の北の外れ、うち捨てられた区画に、その教会はあった。崩れかけた尖塔、蔦に覆われた壁、割れた窓――長年、放置されてきたことが、一目で分かる、荒れ果てた佇まいだった。夕闇が、その輪郭を、一層不気味に浮かび上がらせている。


「本当に、ここに?」


セフィが、扉の前で、深呼吸をした。


「ああ。感じるか」


キーラが、緊張した声で尋ねた。


「うん……すごく、重い気配がする」


セフィは、目を閉じ、意識を集中させた。教会の奥から、途方もない密度の、悲しみと怒りが入り混じった気配が、確かに伝わってくる。


「行こう」


セフィは、震える手で、扉を押し開けた。


*


教会の中は、埃と黴の匂いが、重く立ち込めていた。壊れた長椅子が、あちこちに倒れ、天井の一部は崩落し、そこから、夕暮れの薄明かりが、斜めに差し込んでいる。祭壇の前、その気配は、最も色濃く漂っていた。


「……誰だ」


低く、地の底から響くような声が、セフィの耳に届いた。祭壇の前に、輪郭の朧げな、男の姿が、ゆっくりと浮かび上がる。


「セフィといいます。話を、聞かせてもらえますか」


セフィが、震える声を必死に抑えて言うと、男の霊は、怒りに満ちた目で、こちらを睨みつけた。


「話す? 今更、何を話せというんだ。誰も、俺の言葉になど、耳を貸さなかったというのに」


男の声には、二百年近く積み重ねてきたであろう、深い怒りと絶望が、滲んでいた。


*


「わたしは、聞きます。どんな話でも」


セフィは、一歩、前に進み出た。感応の力を、慎重に、けれど確かに、男の気配へと重ねていく。


伝わってきたのは、断片的な記憶だった。かつて、この教会の司祭だった男。信徒たちを守ろうとして、けれど、力及ばず、皆を失った、あの日のこと。誰からも責められ、誰からも見捨てられた、その後の孤独な日々。


「そんな……あなたのせいじゃない」


セフィは、思わず、そう口にしていた。


「俺のせいだ! 俺が、もっと強ければ、もっと賢ければ、皆、死なずに済んだ!」


男の慟哭が、教会中に、鈍く反響した。その悲しみと怒りの奔流が、セフィの意識に、津波のように押し寄せてくる。


*


「うっ……」


セフィは、思わず、頭を抱えた。押し寄せる感情の濁流に、自分自身の輪郭が、少しずつ、曖昧になっていくのが分かる。視界が歪み、目の前の光景が、司祭の見た、あの惨劇の記憶と、混ざり合っていく。


「セフィ!」


キーラが、駆け寄ろうとした。けれど、セフィは、片手を上げて、それを制した。


*負けない。ここで、逃げたら、この人はずっと、一人のままだ。*


セフィは、必死に、自分の名前を、心の中で繰り返した。*わたしは、セフィ。セローズで生まれて、キーラと旅をしてる、セフィだ。*


その一念が、押し寄せる濁流の中、確かな錨となった。爪が、掌に食い込むほど強く、拳を握りしめる。その痛みだけを頼りに、セフィは、自分自身の輪郭を、必死に取り戻していった。


「あなたのせいじゃない」


セフィは、もう一度、はっきりと、そう告げた。


「あなたは、最後まで、皆を守ろうとした。それは、誰にも、否定できないことです」


「だが、結果は――」


「結果が全てじゃない。あなたの想いは、本物だった。それを、誰かが、ちゃんと知っている。それだけで、いいじゃないですか」


セフィの言葉に、男の霊は、初めて、動きを止めた。


*


長い、長い沈黙が流れた。


「……そう、なのか」


男の声から、少しずつ、あの激しい怒りが、抜け落ちていくようだった。


「二百年、ずっと、誰かに、そう言ってほしかった」


その呟きを最後に、男の輪郭が、淡い光へと変わっていった。


「ありがとう、嬢ちゃん」


その言葉を残し、光は、天井の崩れた穴から、夜空へと、静かに昇っていった。


*


「セフィ、大丈夫か!」


キーラが、駆け寄り、崩れ落ちそうになったセフィの体を、支えた。


「うん……なんとか」


セフィは、荒い息をつきながら、答えた。全身から、どっと力が抜けていく。


「よく、やった」


キーラの声には、確かな誇らしさが滲んでいた。


*


翌日、黒猫亭で、二人は、フィンに、昨夜の顛末を報告した。


「へえ……あの頑固な司祭を、鎮めたのか」


フィンは、意外そうに、目を見開いた。


「呑まれかけましたけど、なんとか」


セフィが、正直にそう答えると、フィンは、しばらく黙り込み、それから、ふっと笑った。


「上出来だ。一つ目の試練は、合格としてやる」


その言葉に、セフィとキーラは、思わず、顔を見合わせて微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。