第二部 第十四章「弟子入り志願」
翌日も、その翌日も、セフィは、黒猫亭に通い続けた。
薄暗い店内の空気にも、噎せ返るような酒の匂いにも、次第に慣れていく自分がいた。いつしか、店の主人も、セフィとキーラの顔を覚え、軽い会釈をしてくれるようになっていた。
「また来たのか」
三日目の夜、フィンは、うんざりしたような声で、そう言った。けれど、以前ほどの拒絶の色は、その声から、薄れているようにも感じられた。
「はい。今日も、お願いに来ました」
セフィは、いつもの席――フィンの向かいに、堂々と腰を下ろした。木の椅子は、既に、セフィの体に馴染み始めているようだった。
「懲りない奴だな」
「諦めが悪いのが、取り柄なので」
セフィが胸を張って答えると、フィンは、呆れたように、ため息をついた。
*
「なあ、嬢ちゃん」
四日目の夜、フィンが、珍しく自分から口を開いた。
「なんですか」
「お前、暇じゃないのか。毎日、こんなところに通い詰めて」
「暇じゃないです。ちゃんと、他のこともしてます」
セフィは、そう答えながら、この数日の出来事を、思い返した。昼間は、キーラと共に、街の様子を探ったり、修行を続けたりしていた。夜になると、こうして、黒猫亭に足を運ぶ――それが、いつしか、二人の日課になっていた。
「へえ、例えば?」
「街の様子を見て回ったり、修行したり」
「修行ねえ。何をしてるんだ」
フィンが、少し興味を示すように、身を乗り出した。
「感応とか、対話とか、同調とか。死者の声を使う力の、基礎を練習してます」
「独学か?」
「最初は、リアナお姉ちゃんに教わりました。今は、独学と、キーラのおかげです」
セフィが答えると、フィンは、意外そうな顔をした。
「誰かに教わったにしては、随分と、まともな体系立て方をしてるな」
「え……」
「今のお前から、ほんの少しだけ、感応の気配が漏れてる。素人にしちゃ、悪くない制御だ」
フィンの評価に、セフィは、思わず、嬉しさが顔に出そうになった。
「本当ですか? 嬉しいです」
「素直に喜ぶな、調子が狂う」
フィンは、そう言って、顔をしかめたが、その口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
「そのリアナって奴は、今、どうしてる」
フィンが、ふと尋ねた。その質問に、セフィの表情が、一瞬、曇った。
「成仏、しました。この街に来る前に」
「そうか」
フィンは、それ以上、深くは聞かなかった。ただ、その静かな声に、微かな労わりが滲んでいるのを、セフィは感じ取った。
*
「なあ、キーラとやら」
その夜、フィンは、初めて、キーラにも話を振った。
「なんだ」
「お前は、なんで、この嬢ちゃんについてきてる。恩義か何かか」
キーラは、少し考えてから答えた。
「最初は、そうだった。だが、今は、違う。こいつと一緒にいることに、意味を見出してる」
「意味、ねえ」
フィンは、面白そうに、キーラを見つめた。
「随分と、真剣な顔で言うじゃないか」
「茶化すな」
「茶化してない、褒めてるんだよ」
フィンは、そう言って、くつくつと笑った。その笑い方には、これまでの、突き放すような響きとは、少し違う、柔らかさが混じっていた。
「お前らみたいな組み合わせ、久しぶりに見たな」
「組み合わせ?」
「一人は、死者の声を聞く力。もう一人は、生粋の戦士。噛み合わせが、いいんだろう。うまく補い合ってる」
フィンの評価に、セフィとキーラは、思わず顔を見合わせた。褒められることに慣れていない二人にとって、それは、少しくすぐったい瞬間だった。
*
五日目の夜、セフィが黒猫亭に入ると、フィンは、既に、いつもの席で待っていた。
「今日は、早いな」
セフィが驚いて言うと、フィンは、素っ気なく答えた。
「別に、待ってたわけじゃない。たまたま、早く来ただけだ」
「そうですか」
セフィは、内心、少し嬉しくなりながらも、それを顔に出さないよう、努めた。
「なあ、嬢ちゃん」
フィンが、ジョッキを弄びながら、切り出した。
「そんなに、俺に教わりたいのか」
「はい」
「理由を、もう一回、聞かせろ」
セフィは、深く息を吸い込んでから、答えた。
「両親を、天変地異で亡くしました。その裏に、何か大きな真実が隠れてる気がしてます。それを、突き止めたいんです。それに」
セフィは、一度言葉を切り、続けた。
「もう、大切な人を、目の前で失いたくない。そのために、もっと、力を正しく使えるようになりたいんです」
セフィの真剣な言葉に、フィンは、しばらくの間、黙り込んでいた。
*
「……分かった」
やがて、フィンが、静かに口を開いた。
「本当ですか!?」
セフィが、思わず身を乗り出すと、フィンは、片手を上げて、それを制した。
「まだ、弟子にするとは言ってない。だが、機会を、一つだけやる」
「機会?」
「試練だ。俺が出す課題を、こなしてみせろ。それができたら、少しは、考えてやってもいい」
フィンの言葉に、セフィは、拳を握りしめた。
「やります。何でも、やってみせます」
「威勢がいいのは、結構なことだ」
フィンは、そう言って、意味ありげに、笑みを浮かべた。
「だが、簡単だとは思うなよ。俺は、優しい教師じゃないんでな」
「望むところです」
「そのキーラとやらは、どうする。手伝わせるのか」
フィンが、横目でキーラを見ながら尋ねると、キーラは、静かに頷いた。
「必要なら、いつでも力を貸す」
「まあ、それも、お前たち次第だ。詳しい話は、また明日にでもしてやる」
フィンは、そう言って、残っていた酒を、一気に飲み干した。
「今日のところは、もう帰れ。俺も、そろそろ寝る」
「はい、ありがとうございます!」
セフィは、深く頭を下げてから、キーラと共に、席を立った。店を出る間際、振り返ると、フィンは、既に、興味なさそうに、窓の外を眺めていた。けれど、その横顔には、何かを楽しみにしているような、微かな色が、確かに浮かんでいるように、セフィには見えた。
その言葉の裏に潜む、底知れない何かを感じ取りながらも、セフィの胸には、確かな希望の光が、灯り始めていた。




