第二部 第十二章「冒険者フィンを探して」
冒険者組合は、市場からほど近い場所にあった。
大きな両開きの扉を押し開けると、中は、これまで見てきたどの建物とも違う、独特の喧騒に満ちていた。壁一面に貼られた依頼書、酒瓶を片手に談笑する屈強な男たち、鎧を鳴らしながら歩く戦士――様々な冒険者たちが、思い思いに時間を過ごしている。木の床には、長年の使用でできた傷が、無数に刻まれていた。土や、革、そして僅かに血の匂いすら混じったような、独特の空気が、あたりに漂っている。
「なんだか、独特な雰囲気だね」
セフィが、周囲を見回しながら、小声で呟いた。
「ああ。ここでは、下手に目立たない方がいいかもしれないな」
キーラも、警戒するように、あたりを窺っていた。壁に貼られた依頼書には、「魔物討伐」「護衛依頼」「素材採取」など、様々な文字が躍っている。中には、セフィたちが遭遇した紅晶狼のような、危険な魔物の討伐依頼も、混じっているようだった。
「あんな依頼、本当に受ける人がいるんだね」
セフィが、感心したように呟くと、キーラも、頷いた。
「命がけの仕事だ。だが、それだけの見返りもあるんだろう」
*
受付らしきカウンターに向かうと、若い女性の職員が、笑顔で迎えてくれた。
「ご用件は?」
「フィンという名前の冒険者を、探しています。ご存知ですか」
セフィが尋ねると、職員は、名簿を確認するように、視線を落とした。
「フィン……フィン、ですか。少々、お待ちください」
しばらく資料をめくった後、職員は、困ったような表情を浮かべた。
「申し訳ございません。組合の正式な登録者名簿には、その名前は見当たりません」
「そんな……」
セフィは、思わず、肩を落とした。てっきり、簡単に見つかるものだと思っていた。
「見た目が、少年みたいな感じの人なんですけど、心当たりありませんか」
セフィが、粘るように尋ねると、職員は、しばらく考え込んだ。
「少年、ですか……申し訳ありません、ちょっと分かりかねます」
「そう、ですか……」
「ただ」
職員が、少し声を落として続けた。
「非公式に活動している冒険者の中には、組合に登録していない者も、少なくありません。もしかしたら、そういった類の方かもしれませんね」
「非公式の冒険者について、何か知る方法はありますか」
キーラが、横から尋ねると、職員は、申し訳なさそうに首を振った。
「組合としては、そういった方々の情報は、把握しておりません。お力になれず、申し訳ございません」
「いえ、ありがとうございました」
セフィは、丁寧に礼を言って、カウンターを後にした。
*
「非公式、か」
冒険者組合を出た後、キーラが、腕を組んで考え込んだ。
「そうなると、正攻法じゃ、見つからないかもしれないな」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「噂を集めるしかないだろう。酒場あたりで、聞き込みをしてみるか」
キーラの提案に、セフィは、頷いた。
「うん、行ってみよう」
*
夕方になり、二人は、冒険者たちが集まるという酒場を訪れた。
薄暗い店内には、既に多くの客が集まっており、笑い声や、グラスを合わせる音が、絶え間なく響いていた。煙草の煙と、酒の匂いが、独特の空気を作り出している。天井から吊るされたランプの明かりが、揺れる炎と共に、店内に、ゆらゆらとした陰影を作っていた。
「すみません」
セフィが、比較的落ち着いた様子の、年配の冒険者に声をかけた。白髪交じりの髭を蓄え、鍛え上げられた体つきをした男だった。
「フィンという名前の人、ご存知ないですか。冒険者で、見た目は、少年みたいな感じの人なんですけど」
その言葉に、年配の冒険者は、驚いたように目を見開いた。手にしていたジョッキを、思わずテーブルに置く。
「フィン、だと? まさか、あの噂の……」
「知ってるんですか!?」
セフィが、身を乗り出すと、男は、少し声を潜めて答えた。
「詳しくは知らんが、腕利きの助っ人として、時々、名前を耳にすることがある。ただし、気まぐれで、依頼を選り好みするとかで、普通の手続きじゃ、まず頼めないと聞くぞ」
「見た目も、聞いた通りなんですね」
「ああ。何百年も生きてるくせに、外見は、いつまで経っても子どものままだとか。真偽のほどは知らんが」
男の証言に、セフィとキーラは、顔を見合わせた。間違いなく、リアナの祖母が語っていた人物の特徴と、一致している。
「その人、どんな性格なんですか」
セフィが、さらに尋ねると、男は、思い出すように、宙を見つめた。
「気まぐれで、掴みどころがないと聞くな。だが、実力は本物らしい。俺の知り合いが、一度だけ、共闘したことがあるらしいが、絶賛してたよ。ただし、性格については、散々こき下ろしてたがな」
「こき下ろす、って」
「人をからかうのが、趣味みたいな奴らしい。真剣な話も、はぐらかされるとか」
その説明に、セフィは、少し不安になった。果たして、そんな人物を相手に、弟子入りを認めさせることなど、できるのだろうか。
*
「どこに行けば、会えるか、分かりますか」
セフィが、なおも尋ねると、男は、少し考え込んだ。
「噂じゃ、街の南にある、古びた酒場に、よく出入りしてるらしい。『黒猫亭』とかいう名前だったか」
「黒猫亭……」
セフィは、その名を、しっかりと胸に刻み込んだ。
「ありがとうございます!」
「礼はいらん。だが、会えたとしても、あまり期待しすぎるなよ。気まぐれで有名な奴だ」
男の忠告に、セフィは、神妙に頷いた。
「弟子入りを、頼みたいんですが、うまくいくと思いますか」
セフィが、思い切って尋ねると、男は、豪快に笑った。
「そいつは、俺には分からんな。だが、諦めずに食い下がる根性があれば、案外、なんとかなるかもしれん。ああいう気まぐれな奴は、飽きっぽい反面、面白いと思ったものには、存外、興味を示すこともあるらしいからな」
その言葉に、セフィは、少し勇気づけられた。
「頑張ってみます」
「おう、頑張れ。嬢ちゃんたちみたいな若いのが、頑張ってる姿は、見てて気持ちがいいもんだ」
男は、そう言って、再びジョッキを傾けた。セフィとキーラは、丁寧に礼を述べ、その場を後にした。
*
酒場を出た二人は、教えられた「黒猫亭」を目指して、夜の街を歩き始めた。
「本当に、そこにいるかな」
セフィが、少し不安げに呟くと、キーラは、静かに答えた。
「行ってみないと、分からない。だが、これまでで、一番具体的な手がかりだ」
「うん、そうだね」
「それに、あの人の話だと、気まぐれで、面白いものには興味を示すらしいじゃないか。お前なら、案外、うまくいくかもしれないぞ」
キーラの励ましに、セフィは、少しだけ、心が軽くなった。
「そうだといいな」
「弱気になるな。ここまで来たら、あとは、ぶつかるだけだ」
キーラの力強い言葉に、セフィは、大きく頷いた。
「うん、そうだね。頑張る」
夜の街並みは、昼間とは、また違った表情を見せていた。通りに灯る、オレンジ色のランプの明かりが、石畳を柔らかく照らしている。時折、酔客の陽気な歌声が、遠くから聞こえてきた。人通りも、昼間ほど多くはなく、代わりに、夜特有の、どこか秘密めいた空気が、街全体を包んでいた。
「なんだか、緊張してきた」
セフィが、胸に手を当てて呟くと、キーラも、頷いた。
「わたしもだ。だが、ここまで来て、引き返すわけにはいかない」
「うん」
歩きながら、セフィは、これまでの旅路を、ふと思い返した。セローズを失い、リアナと出会い、そして見送り、キーラと共に、この街まで辿り着いた。その全ての道のりが、この瞬間へと繋がっているのだと思うと、不思議な感慨が、胸の内に広がった。
「リアナお姉ちゃんの言ってた通りの人が、本当に、この街にいるんだね」
セフィが、ぽつりと呟くと、キーラは、静かに頷いた。
「ああ。あとは、実際に会って、確かめるだけだ」
「うまく、話せるかな」
「不安なら、練習するか? わたしが、フィン役をやってやる」
キーラの提案に、セフィは、思わず笑ってしまった。
「キーラが、子どもの真似するの、想像つかない」
「馬鹿にしてるな」
「してないよ、ただ、想像したら面白くて」
軽口を交わしながら、二人の緊張は、少しずつ、和らいでいった。
南へと向かう道は、次第に、寂れた雰囲気を帯び始めていた。建物も、心なしか古びたものが多くなり、看板の文字も、色褪せているものが目立つ。
「この辺りか」
キーラが、周囲を見回しながら呟いた。古びた木造の建物の中に、小さく「黒猫亭」と書かれた看板が、揺れているのが見えた。
二人は、互いに頷き合い、南へと続く道を、しっかりとした足取りで、歩き続けた。この先に、ようやく巡り会えるかもしれない師匠の姿を、セフィは、胸の高鳴りと共に、思い描いていた。




