第二部 第十一章「街の匂い」
翌朝、二人は、朝食を済ませると、すぐに鑑定士組合へと向かった。
昨日とは打って変わって、扉は開け放たれ、中からは、活気のある声が漏れ聞こえてくる。石造りの重厚な建物の中は、ひんやりとした空気に包まれ、壁際には、様々な素材や鉱物が、ガラスケースに収められて陳列されていた。天井からは、丸い鉄製のランプが、いくつも吊り下げられ、店内を、まんべんなく照らしている。
「いらっしゃい。買取かい?」
カウンターの奥から、白髪交じりの、眼光鋭い老爺が、声をかけてきた。カウンターには、様々な鑑定道具――拡大鏡や、天秤、見慣れない金属製の器具が、几帳面に並べられている。
「はい。魔物の素材を、鑑定していただきたくて」
セフィが、布に包んだ結晶を差し出すと、老爺は、片眼鏡を装着し、興味深そうに、それを検分し始めた。カウンターに広げられた結晶の数々に、老爺の目つきが、次第に鋭さを増していく。
*
「ほう……これは」
老爺の表情が、みるみる変わっていった。片眼鏡越しの目が、大きく見開かれる。
「どこで、これを?」
「街道の外れの森で、遭遇して、討伐しました」
キーラが、簡潔に答えた。老爺は、結晶を光に翳しながら、感嘆したように唸った。
「間違いない。これは、紅晶狼の結晶だ」
「紅晶狼……」
セフィは、思わず、その名を繰り返した。ようやく、あの魔物の正体が、明らかになった瞬間だった。
「二千年前の大戦の残滓を取り込んだと言われる、伝説級の魔物だよ。生きた個体との遭遇報告は、ここ数十年で、片手で数えるほどしかない」
老爺の説明に、セフィとキーラは、思わず顔を見合わせた。
「そんなに、貴重なものだったんだ……」
「特に、この核。これほど純度の高いものは、私も、久しぶりに目にする」
老爺は、興奮を隠しきれない様子で、そう続けた。老眼鏡の奥の瞳が、まるで少年のように、きらきらと輝いている。
「二人で、これを討伐したのかね」
「はい」
セフィが頷くと、老爺は、感心したように、二人を見比べた。
「大したものだ。並の冒険者パーティーでも、命がけの相手だろうに」
その称賛に、セフィとキーラは、少し照れくさそうに、顔を見合わせた。
*
「それで、お代なんだが」
老爺は、算盤を弾きながら、慎重に金額を計算していった。
「結晶が八つ、それに、この核――全部で、金貨にして、三十枚といったところだろう」
「さ、三十枚……!」
セフィは、思わず、声を裏返らせた。金貨三十枚がどれほどの価値なのか、正確には分からなかったが、それが、途方もない大金であることだけは、はっきりと理解できた。
「妥当な金額だと思うが、不服かい?」
「い、いえ! 十分すぎます!」
セフィが慌てて答えると、老爺は、満足そうに頷いた。
「それでは、こちらをどうぞ」
差し出された革袋には、ずっしりとした重みの金貨が、詰まっていた。
「ありがとうございました」
セフィが、深々と頭を下げると、老爺は、片手をひらひらと振った。
「礼はいい。また、珍しい素材が手に入ったら、うちに持ってきてくれ」
「はい、必ず」
老爺の店を出る間際、キーラが、ふと足を止めて尋ねた。
「一つ、伺いたいのですが。この街に、フィンという名の冒険者を、ご存知ないですか」
「フィン? さて、聞かない名だな」
老爺は、首を傾げた。
「冒険者組合に行けば、名簿があるはずだ。そちらで、聞いてみるといい」
「分かりました、ありがとうございます」
*
鑑定士組合を後にした二人は、しばらくの間、興奮冷めやらぬ様子で、通りを歩いた。
「本当に、あんな大金、もらっちゃっていいのかな」
「正当な対価だ。遠慮する必要はない」
キーラの言葉に、セフィは、大きく頷いた。
「これで、当分の生活は、心配なさそうだね」
「ああ。それに、多少の装備も、揃えられるだろう」
「わたしにも、何か、武器みたいなの、必要かな」
セフィが、ふと思いついたように尋ねると、キーラは、少し考え込んだ。
「お前の場合、力の使い方次第だな。重い武器を持つより、身軽に動ける格好の方が、向いてるかもしれない」
「じゃあ、防具を探してみようか」
「ああ、それがいいだろう」
*
二人は、その足で、市場へと向かった。昨日、遠目に見た武器屋や道具屋を、今度は、じっくりと見て回るつもりだった。露店の並ぶ通りは、朝から多くの人で賑わい、あちこちから、威勢の良い呼び込みの声が響いていた。
「セフィ、これなんかどうだ」
キーラが手に取ったのは、頑丈そうな革製の胴着だった。丁寧になめされた革は、しなやかでありながら、しっかりとした厚みを持っている。
「軽い割に、防御力もありそうだ。今までの服だと、心許ない」
「うん、いいかも。着てみる」
セフィが試着してみると、思いのほか、体に馴染んだ。動きを妨げず、それでいて、しっかりとした守りを感じさせる作りだった。
「よく似合ってる」
「本当?」
「ああ。それに、色も、お前に合ってる」
キーラの素直な褒め言葉に、セフィは、少し照れながらも、嬉しそうに笑った。
「値段は、どれくらいするんだろう」
セフィが、値札を確かめようとすると、店主が、愛想よく声をかけてきた。
「お嬢さん、お目が高い。それは、南方産の上質な革を使っておりましてね」
店主の説明に、キーラが、値段交渉を買って出た。
「これと、あと、こっちの手甲も。まとめて、いくらになる」
しばらくの値切り交渉の末、二人は、当初の言い値より、幾分か安い金額で、装備一式を購入することができた。
「キーラ、交渉上手だね」
「兄と、よく市場に買い出しに行ってたからな。多少のコツは、心得てる」
キーラが、得意げにそう言うと、セフィは、感心したように頷いた。
*
道具屋では、旅に役立ちそうな品々を、次々と見つけていった。軽量で丈夫な水筒、火打ち石の予備、それに、傷薬の材料になりそうな薬草の数々。棚には、見たこともない道具も並んでおり、セフィは、興味津々に、一つ一つを覗き込んだ。
「これ、薬草のおばあさんに教わった配合と、似てる気がする」
セフィが、棚に並んだ薬草を見ながら呟くと、店主が、興味深そうに話しかけてきた。
「お嬢さん、薬草に詳しいのかい」
「少しだけ。同調で、教えてもらったので」
「同調? 珍しい力をお持ちだ」
店主は、感心したように、セフィの説明に耳を傾けた。
「よかったら、これも試してみるといい。乾燥させた薬草の束だ。傷薬を作るのに、重宝するはずだよ」
店主が勧めてくれた薬草の束を、セフィは、迷わず購入することにした。
「ありがとうございます」
「旅の無事を、祈っているよ」
店主の温かい言葉に、セフィは、笑顔で頷いた。
道具屋を出た後、キーラは、購入した品々を、手際よく荷物に詰め直した。
「これで、大分、装備が充実したな」
「うん! 心強いね」
セフィは、新しい胴着に袖を通した自分の姿を、水溜まりに映して確かめた。旅立った頃の、頼りなかった自分とは、少し違って見える気がした。
*
市場を巡るうちに、昼時になった。屋台から漂う、様々な料理の匂いが、二人の食欲を刺激した。
「あれ、串焼き、昨日見たやつだ」
セフィが指差すと、キーラも、頷いた。
「試してみるか」
二人は、屋台で串焼きを買い、道端のベンチに腰掛けて、頬張った。香ばしい匂いと、肉汁の旨味が、口いっぱいに広がる。
「美味しい……!」
「ああ、悪くない」
近くの屋台では、揚げ菓子を売っており、甘い匂いが、風に乗って漂ってきた。
「あれも、気になる」
セフィの視線に気づいたキーラが、苦笑した。
「昨日の今日で、随分と食い意地が張ってきたな」
「だって、美味しいものが、たくさんあるんだもん」
「まあ、いい。少しくらいは、付き合ってやる」
キーラに促され、セフィは、揚げ菓子も買ってもらい、幸せそうに頬張った。そんな他愛のない時間を過ごしながら、二人は、この街での生活に、少しずつ、馴染み始めていた。
「午後は、いよいよ、フィンさんの手がかりを探すんだね」
セフィが、串を咥えたまま呟くと、キーラは、頷いた。
「ああ。冒険者組合か、酒場あたりで、噂を集めよう」
「うん、頑張ろう」
「気を引き締めていくぞ。ここからが、本題だ」
キーラの言葉に、セフィも、表情を引き締めた。
太陽が高く昇る中、二人は、この街の喧騒と匂いに包まれながら、次なる目的地――冒険者組合へと、歩みを進めていった。新しい装備と、十分な資金、そして、確かな絆。これまでの旅で積み重ねてきたものが、これから始まる新しい局面への、確かな支えになっていた。




