第二部 第七章「希少素材」
翌朝、セフィは、小鳥のさえずりで目を覚ました。
体のあちこちに、昨日の激闘の名残が、鈍い痛みとなって残っている。それでも、一晩眠ったおかげで、頭の重さは、大分軽くなっていた。テントの代わりに張った布の隙間から、朝の光が、斜めに差し込んでいる。焚き火の残り香と、湿った土の匂いが、混じり合っていた。
「おはよう、キーラ」
身を起こすと、キーラは、既に起きていて、昨日採取した結晶を、布の上に並べているところだった。朝の柔らかな光の中、大小様々な結晶が、鈍く、あるいは鮮やかに、それぞれの輝きを放っている。
「おはよう。よく眠れたか」
「うん。体、まだ少し痛いけど」
「無理もない。あれだけの力を使ったんだ」
キーラは、そう言いながら、結晶の一つを、指先でつまみ上げた。陽光を受けて、結晶の内側に、細かな亀裂のような模様が、幾筋も浮かび上がって見えた。
「体、伸ばしてみろ。少しは、楽になるはずだ」
キーラに言われるまま、セフィは、両腕を高く伸ばし、体をひねった。ぎしぎしと、体のあちこちが軋む感覚があったが、確かに、少しずつ、強張りが解けていくのが分かった。
「ちょっと、楽になった」
「無理はするなよ。今日は、ゆっくり進もう」
「うん、ありがとう」
*
「これ、全部で、いくつあるの?」
セフィが、興味津々に覗き込むと、キーラは、数え上げるように、結晶を一つずつ、指差していった。
「大きめのが三つ、小ぶりなのが五つ。それと、この核」
キーラは、最後に、あの赤く輝く核を、大切そうに手のひらに乗せた。朝日を受けて、その内側で、何かが、ゆっくりと明滅しているように見える。
「これだけあれば、当分の資金には、困らないはずだ」
「すごいね。昨日は、あんなに怖かったのに、今はこうして、綺麗な結晶として、目の前にあるんだね」
セフィが、しみじみとそう言うと、キーラも、結晶を見つめながら頷いた。
「命がけの戦いの証だ。粗末には、扱えないな」
「バルドウィックに着いたら、これ、どこで売るの?」
セフィが尋ねると、キーラは、少し考えてから答えた。
「大きな街なら、専門の買取商がいるはずだ。素材の質を見極める、鑑定士も、大抵、そういう店には常駐してる」
「鑑定士……」
「ああ。あの魔物の正体が、何だったのか、そこで初めて、はっきりするかもしれないな」
キーラの言葉に、セフィは、胸が高鳴るのを感じた。あれほどの脅威を放っていた存在の正体を、まだ二人は、正確には知らないままだった。
「なんだか、ドキドキするね。名前が分かるの、楽しみ」
「ああ。もしかしたら、聞いたこともないような、珍しい名前かもしれないぞ」
「もし、すごく有名な魔物だったら、どうしよう」
「その時は、それこそ、いい値がつくだろうな」
キーラが、にやりと笑いながら言うと、セフィも、期待に胸を膨らませた。
「早く、バルドウィックに着きたいね」
「気持ちは分かるが、焦って怪我でもしたら、元も子もない。今日も、着実に進むぞ」
「はーい」
*
荷造りを済ませ、二人は、再び街道を歩き始めた。朝露に濡れた草を踏むたび、ひんやりとした感触が、素足に伝わってくる。
「セフィ、体調は、本当に大丈夫か」
キーラが、歩きながら、何度も確認するように尋ねた。
「うん、平気。少し休んだら、大分楽になった」
「無理してないか」
「してないよ。むしろ、キーラの方が心配。肩、まだ痛むでしょう」
セフィが指摘すると、キーラは、少しばつが悪そうに、肩をさすった。
「大した傷じゃない。動くのに、支障はない」
「本当に? もう一回、包帯、見せて」
セフィが立ち止まって手を差し出すと、キーラは、渋々といった様子で、袖をまくり上げた。
「ほら、この通り、平気だ」
「うーん……昨日よりは、腫れが引いてる、かな」
セフィは、傷口を確かめるように、そっと指で触れた。
「痛かったら、言ってね」
「分かってる。お前は、心配しすぎだ」
「キーラが、無茶するからだよ」
軽口を叩き合いながらも、二人の間には、互いを気遣う、確かな温かさが流れていた。セフィは、包帯を巻き直しながら、ふと思い出したように付け加えた。
「そういえば、薬草のおばあさんに、傷薬の作り方も教わったんだった。今度、時間があったら、作ってみる」
「それは、助かる。市販の薬より、効くかもしれないな」
「期待しないで待っててね」
「期待するなと言われると、余計に期待したくなるものだが」
キーラが、からかうようにそう言うと、セフィは、頬を膨らませた。
「もう、意地悪」
「褒め言葉として、受け取っておく」
そんなやり取りを交わしながら、二人は、再び歩みを進めた。
*
「なあ、セフィ」
しばらく歩いたところで、キーラが、ふと口を開いた。
「昨日の戦いで、少し分かったことがある」
「なに?」
「お前の力は、思っていたより、ずっと応用が利く。今まで、対話や同調は、死者と穏やかに接するためのものだと思ってたが、ああいう風に、戦いの場でも、十分に武器になる」
キーラの評価に、セフィは、嬉しさと同時に、少し複雑な気持ちを覚えた。
「武器、か……」
「気に食わないか」
「ううん、そうじゃなくて。死者の力を、戦いに使うことに、まだ少し、抵抗があるだけ。彼らの想いを、借りてるわけだから」
セフィの言葉に、キーラは、なるほど、というように頷いた。
「その気持ちは、分からなくもない。だが、彼らも、お前を助けたいと思ってるんじゃないか。同調してくれる相手を、選んでいるのは、お前自身なんだろう」
「うん……そうかも」
セフィは、考え込むように、視線を落とした。今まで出会ってきた死者たちの顔が、次々と脳裏に浮かぶ。行商人、戦士、薬草のおばあさん、旅の踊り子――皆、それぞれの想いを、セフィに託してくれた。
「彼らの力を、大切に使いたい。無駄にしたくない」
「それでいい。それが、お前らしいやり方だ」
キーラの言葉に、セフィは、少しだけ、心が軽くなった気がした。
「キーラは、わたしの力のこと、どう思ってるの? 正直に言って」
セフィが、改まった調子で尋ねると、キーラは、少し考えてから答えた。
「最初は、正直、頼りないと思ってた。霊が見えるとか、話せるとか言われても、実感が湧かなかったからな」
「今は?」
「今は、違う。お前の力は、確かに、命を救う力だ。あの砦でも、この前の盗賊の時も、今回の魔物との戦いでも、お前がいなければ、もっと苦戦していた」
キーラの率直な言葉に、セフィは、頬が熱くなるのを感じた。
「そんな風に、言ってもらえると思わなかった」
「事実を言っただけだ。お前は、もっと、自分の力に自信を持っていい」
「うん……ありがとう、キーラ」
その言葉を、セフィは、大切に胸の中にしまい込んだ。両親を失い、里を追われるようにして旅を始めた頃には、想像もできなかった言葉だった。
*
昼過ぎ、二人は、小さな泉のほとりで、休憩を取ることにした。澄んだ水面に、木々の緑と、青い空が、鏡のように映り込んでいる。水底の小石まで見通せるほどの透明度に、セフィは、思わず声を上げた。
「わあ、綺麗な水」
「ああ。ここらは、まだ、あの魔物の影響を受けてない土地なんだろう」
キーラは、水面を覗き込みながら、そう言った。セフィも、隣にしゃがみ込み、水を掬って、顔を洗った。冷たい水の感触が、疲れた体に、心地よく染み渡る。
「生き返る……」
セフィが、しみじみと呟くと、キーラも、同じように顔を洗い、水滴を払った。
「少し、休んでいくか。急ぐ旅でもない」
「うん、賛成」
二人は、泉のほとりの、平たい岩に腰掛けた。水面を渡る風が、心地よく頬を撫でていく。
「なあ、キーラ」
セフィが、水面を見つめながら、尋ねた。
「バルドウィックに着いたら、まず、何がしたい?」
キーラは、少し考えてから、答えた。
「まずは、この素材を売って、資金を確保する。それから、宿を取って、ちゃんとした飯を食う」
「わたしと同じこと考えてる」
セフィが笑うと、キーラも、釣られるように、微かに口元を緩めた。
「あとは、お前の目的――フィンとやらを探すことだな」
「うん。頑張って、見つける」
「ああ、一緒に探そう」
「もし、フィンさんが見つからなかったら、どうする?」
セフィが、ふと不安げに尋ねると、キーラは、しばらく考え込んだ。
「その時は、また、別の手がかりを探せばいい。手詰まりになったわけじゃない」
「そうだよね」
「それに、お前には、もう一つの支えがあるだろう」
「もう一つ?」
「わたしだ」
キーラが、当然のようにそう言い放つと、セフィは、驚いたように目を見開き、それから、じんわりと嬉しさが広がるのを感じた。
「うん……そうだね。キーラがいるもんね」
泉の水面に映る二人の姿が、微かに揺れた。旅の終わりが、少しずつ、近づいてきていることを、セフィは、その揺らぎの中に、感じ取っていた。
休憩を終え、二人は、再び荷物を背負い直した。手に入れた素材への期待と、これから出会うだろう師匠への希望を胸に、二人は、バルドウィックへと続く道を、力強く歩き続けた。
歩きながら、セフィは、懐に収めた木彫りの鳥と、リアナの首飾りに、そっと触れた。旅の中で増えていく荷物は、単なる物ではなく、これまで出会った人々や、乗り越えてきた出来事の証だった。魔物の結晶もまた、その一つに加わったのだと思うと、不思議な感慨が、胸の内に広がった。
「よし、次の街まで、一気に行くぞ」
キーラの声に、セフィは、大きく頷いた。
「うん!」
太陽が、二人の影を、長く前方に伸ばしていた。その影を追うようにして、二人は、バルドウィックへの道を、着実に進んでいった。旅の終わりと、新しい始まりが、すぐそこまで近づいていることを、セフィは、静かな胸の高鳴りと共に感じていた。




