第二部 第二章「キーラの流儀」
翌朝、日が完全に昇りきる前に、セフィは、物音で目を覚ました。
小屋の外で、規則正しい金属音が、シャッ、シャッ、と繰り返し響いている。寝ぼけ眼をこすりながら外を覗くと、キーラが、二本の短剣を手に、素振りを繰り返していた。
朝靄がまだ薄く残る草地に、キーラの吐く息が、白く短く浮かんでは消えていく。踏み込みの音、刃が空を切る音、着地の音――一連の動きが、一つの流れるような旋律のように、繰り返されていた。左手の短剣を低く構えたまま、右手の短剣だけを鋭く振り下ろす。かと思えば、体をひねって、今度は左手を突き出す。同じ型を、何度も、何度も、繰り返している。
「おはよう、キーラ」
セフィが声をかけると、キーラは、動きを止めずに、短く答えた。
「起きたか。もう少し待ってろ」
セフィは、邪魔をしないよう、少し離れた切り株に腰掛けて、その様子を眺めた。日の光が、少しずつ強まるにつれ、キーラの動きも、鋭さを増していくように見えた。額に汗が浮かび、息遣いが、次第に荒くなっていく。それでも、キーラは、型を崩すことなく、最後まで振り続けた。
*かっこいいなあ。*
素直に、そう思った。自分にはない強さ、鍛え抜かれた体の使い方――それを目の当たりにするたび、セフィの中に、羨望と、それに似た憧れが、じわりと湧き上がってくる。
*
一通りの素振りを終えると、キーラは、額の汗を拭いながら、セフィの方を振り返った。
「見てたのか」
「うん。すごいね、キーラの動き」
「毎日の積み重ねだ。特別なことじゃない」
キーラは、そっけなくそう言ったが、まんざらでもなさそうな様子が、その口調の端々に滲んでいた。
「ねえ、キーラ」
セフィは、切り株から立ち上がり、キーラに近づいた。
「わたしにも、少し、教えてくれない? その、戦い方」
キーラは、意外そうな顔で、セフィを見た。
「お前、霊の力があるだろう。剣の技なんて、必要か?」
「必要だと思う。だって、力に呑まれかけたこと、あったでしょう。あの時、もし体の使い方をもっと知ってたら、違ったかもしれない」
「それとこれとは、話が別だと思うがな」
キーラが腕を組んで言うと、セフィは、なおも食い下がった。
「でも、この前の砦でも、キーラが戦ってる間、わたしはただ隠れて震えてるだけだった。もし、キーラに何かあったら、わたし、何もできない」
「わたしに何かあることなんて、そうそうない」
「絶対とは言えないでしょう。だから、少しでも、自分の身を守れるようになりたいの」
セフィの真剣な声に、キーラは、しばらく黙り込んだ。
「それに」
セフィは、続けた。
「キーラの強さの理由、知りたいの。ただ見てるだけじゃなくて、少しでも分かるようになりたい」
その言葉に、キーラは、ふっと息を吐いた。
「……いいだろう。だが、覚悟しておけ。楽な稽古はしない」
「望むところだよ」
セフィが胸を張ると、キーラは、初めて、少しだけ楽しそうな笑みを浮かべた。
「言っておくが、わたしは、優しい師匠じゃないぞ」
「知ってる。さっきの素振り見てたから」
「なら、話は早い」
*
「まず、構えからだ」
キーラは、セフィの前に立ち、自らの足の位置を示した。
「足は、肩幅くらいに開く。前足は、こう、少し内側に。重心は、前後どちらにも、素早く動けるように、真ん中に置く」
セフィは、見よう見まねで、足を開いた。
「こう?」
「もっと、腰を落とせ。棒立ちじゃ、すぐ倒れる」
キーラが、セフィの腰に、軽く手を添えて、姿勢を正した。
「これくらい?」
「まだ高い。……もっと」
何度か直されるうちに、セフィの太腿が、じわじわと熱を持ち始めた。
「これ、地味にきつい」
「これしきで音を上げるな。まだ、何もしてない」
キーラは、容赦なくそう言い放った。セフィは、唇を尖らせながらも、姿勢を保ち続けた。
「あとどれくらい、この体勢でいればいいの」
「わたしがいいと言うまでだ」
「厳しい……」
「厳しいくらいで、ちょうどいい。楽な稽古で、身につくものなんてない」
キーラは、腕を組んで、セフィの様子を見守っていた。時折、膝の角度や、背筋の伸び方を、細かく指摘してくる。
「膝、内側に入りすぎだ」
「あ、うん……」
「重心が右に寄ってる。真ん中に戻せ」
「これで、どう?」
「まだ甘い。でも、さっきよりはいい」
その一言に、セフィは、少しだけ、頬を緩めた。厳しい言葉の中にも、確かに、成長を認めてくれる響きがあった。
*
「次は、footwork――足の運びだ。前に出るときは、こうやって、前足からすり足で。後ろに下がるときは、逆」
キーラが、実際に足を動かしてみせる。すり足で前に出て、また下がる、その動きは、無駄がなく、流れるようだった。
「やってみろ」
セフィは、見よう見まねで、足を動かしてみた。けれど、慣れない動きに、途中でバランスを崩し、その場に尻もちをついてしまった。
「痛っ……」
「あのな、セフィ」
キーラは、手を差し伸べる代わりに、腕を組んで、セフィを見下ろした。
「力任せに動けば、それだけ隙も大きくなる。分かるか? 戦いってのは、力の強さだけで決まるもんじゃない。むしろ、力んでる奴ほど、あっさりやられる。兄さんも、よく言ってた。『強い奴ほど、力を抜く場所を知ってる』ってな。お前は今、全身に力が入りすぎてる。肩も、腕も、足も、全部だ。それじゃ、いざという時、素早く動けない。反応も遅れる。相手に一手先を読まれる。分かるか? これは、大袈裟な話じゃない。実戦じゃ、その一瞬の遅れが、命取りになる。だから、まず大事なのは、力の抜きどころを覚えることだ。全部に力を入れるんじゃなくて、必要な瞬間にだけ、必要な場所に、力を集める。それが、無駄のない動きに繋がる。分かったか?」
立て板に水のごとく続く説教に、セフィは、目を丸くしながらも、こくこくと頷き続けた。
「う、うん……分かった。力を抜くところと、入れるところを、ちゃんと分ける」
「そうだ。それが分かってるなら、いい」
キーラは、満足そうに頷き、ようやく手を差し伸べた。セフィは、その手を借りて立ち上がりながら、少し情けない顔をした。
「難しいね、これ」
「最初は、みんなそうだ。兄も、わたしが最初につまずいたとき、同じことを言ってた」
キーラの声に、ふと、懐かしむような響きが混じった。
「『力むな、流れに乗れ』ってな。当時は、意味が分からなかったが、今なら、少し分かる」
「流れに乗る、か」
セフィは、その言葉を、繰り返し呟いてみた。同調の力で死者の技を受け取るときの感覚と、どこか似ているような気がした。
「もう一回、やらせて」
セフィは、土を払いながら、立ち上がった。今度は、先ほどよりも、肩の力を意識的に抜いてみる。
「足の裏、地面から離しすぎるな。滑らせるように動かせ」
「こう?」
「まだ、跳ねてる。もっと、低く、滑らかに」
何度も繰り返すうちに、セフィの額にも、じんわりと汗が滲み始めた。それでも、動きが少しずつ、滑らかになっていくのが、自分でも分かった。
*
「もう一回、やってみる」
セフィは、気を取り直して、再び構えを取った。今度は、肩の力を抜き、重心を意識しながら、すり足で前に出てみる。
「……悪くない」
キーラが、意外そうに呟いた。
「本当?」
「ああ。筋は、悪くなさそうだ」
その一言に、セフィの胸に、じんわりと嬉しさが広がった。
「もっと、教えて」
「欲張りだな。今日はここまでだ。体、休めておけ。無理して、明日歩けなくなったら、意味がない」
「ええー」
セフィが不満そうな声を上げると、キーラは、呆れたように笑った。
「稽古は、毎日、少しずつ積み重ねるものだ。焦るな」
「……分かった」
セフィは、渋々ながらも頷いた。その様子を見て、キーラは、短剣を鞘に収めながら、付け加えた。
「それに、お前には、お前のやり方がある。わたしの真似をするだけじゃ、意味がない」
「わたしのやり方?」
「霊の力と、この動きを、どう組み合わせるか。それは、お前自身が、見つけることだ」
キーラの言葉に、セフィは、はっとした。今まで、感応や同調といった力と、体の動きは、別々のものだと思っていた。けれど、もしかしたら、それらは、もっと自然に繋がりうるものなのかもしれない。
*
その日の午後、二人は、再び歩き始めた。太陽が高く昇り、道端の草花が、風にそよいでいる。腿の筋肉が、まだ微かに張っているのを感じながら、セフィは、朝の稽古を思い返していた。
「今日教わったこと、忘れないようにする」
セフィが、意気込んでそう言うと、キーラは、横目でちらりとセフィを見た。
「言うだけなら、簡単だ」
「行動でも示すよ。見ててね」
「楽しみにしておく」
「あとさ、キーラ」
セフィが、ふと思い出したように尋ねた。
「明日も、朝の稽古、付き合ってくれる?」
「毎日はさすがに、旅の疲れも溜まるだろう。二日に一回くらいが、ちょうどいい」
「えー、毎日がいい」
「無理をして、体を壊されても困る。わたしの言うことを聞け」
「はーい」
セフィが渋々頷くと、キーラは、満足そうに頷いた。
「それに」
キーラが、少し声を落として続けた。
「お前には、お前のやり方がある。わたしの真似をするだけじゃ、意味がない。霊の力と、この動きを、どう組み合わせるか。それは、お前自身が、見つけることだ」
キーラの言葉に、セフィは、はっとした。今まで、感応や同調といった力と、体の動きは、別々のものだと思っていた。けれど、もしかしたら、それらは、もっと自然に繋がりうるものなのかもしれない。
「見つけてみせる。絶対に」
セフィが力強くそう言うと、キーラの口調は、相変わらずそっけなかったが、その横顔には、確かな期待が滲んでいるように、セフィには見えた。二人の間に流れる空気は、出会った頃よりも、ずっと柔らかいものになっていた。
道の先には、まだ見ぬバルドウィックへと続く、長い道のりが広がっている。けれど、その道を、一人ではなく、誰かと共に歩けるということが、セフィにとって、何よりの支えだった。




