第一部 第二十九章「さよなら、お姉ちゃん」
家に戻ったセフィを、リアナが、飛びつくようにして迎えた。
「セフィ! 無事だったのね……!」
「リアナお姉ちゃん、ただいま」
リアナは、セフィの体を、隅々まで確かめるように、何度も抱きしめ直した。
「怪我は? どこか、痛いところは?」
「大丈夫、平気だよ」
セフィが笑って答えると、リアナは、ようやく安堵の息を吐いた。
「本当に、心配したのよ。姿が見えなくなってから、生きた心地がしなかった」
「ごめんね、心配かけて」
「ううん、無事に帰ってきてくれれば、それでいいの」
リアナは、何度も、セフィの頬に触れ、その温もりを確かめるようにしていた。まるで、目の前にいることが、まだ信じられないとでもいうように。
「お腹、空いてるでしょう。何か、温かいものを用意するわね」
「うん、ありがとう」
いつも通りの、何気ないやり取り。けれど、その何気なさが、セフィにとっては、何よりも尊いものに感じられた。
*
セフィは、リアナに、事件の顛末を、一つ一つ語って聞かせた。潜入したこと、キーラとの出会い、そして、彼女の抱えていた過去のこと。
「キーラって子、連れてきたの?」
「うん。今、村の空き家を、借りてもらってる。しばらく、ケルヴィンにいるみたい」
「そう……頼もしい仲間が、増えたのね」
リアナの声には、心からの安堵が滲んでいた。
「セフィが、一人じゃなくなって、本当によかった」
その言葉を口にした瞬間だった。
リアナの体が、ふと、微かに透けて見えた。
*
「……あら?」
リアナ自身も、驚いたように、自分の手を見つめた。
「リアナお姉ちゃん……?」
セフィが、震える声で呼びかけると、リアナは、戸惑ったような表情を浮かべた。
「なんでも、ないわ。きっと、気のせい」
けれど、その体は、また少し、輪郭を失っていくように、薄くなった。
「そんな、なんでもないわけ……!」
セフィが、慌ててリアナの手を掴もうとしたが、その手は、いつもより頼りなく、指の間を、すり抜けていくような感触があった。
「セフィ、落ち着いて」
リアナは、口角を上げてみせたが、その目は、セフィの手から一瞬も離れなかった。指先が、何かを確かめるように、宙を何度も掴み直している。
*
「もしかして……もう、いいって、思っちゃったから?」
セフィが、震える声で尋ねた。
「事件が解決して、キーラが来てくれて……セフィは、もう一人じゃないから、安心して」
リアナは、その言葉に、はっとしたような顔をした。
「そう、なのかしら……」
自分自身の心の内を、確かめるように、リアナは、しばらく黙り込んでいた。
「認めたく、ないの」
リアナが、絞り出すように、そう呟いた。
「まだ、セフィのそばにいたい。もっと、色んなことを、一緒にしたい。なのに……」
その体が、また一段と、薄くなっていく。
「嫌……! 消えないで、リアナお姉ちゃん!」
セフィが、泣き叫びながら、リアナの体にしがみついた。けれど、その腕は、もう、はっきりとした輪郭を掴むことができなかった。
*
「セフィ……聞いて」
リアナの声は、震えながらも、必死に、言葉を紡ぎ続けていた。
「わたしも、嫌よ。本当は、もっと、あなたと一緒にいたい。でも……体が、言うことを聞いてくれないの」
「いやだ、いやだよ! まだ、一緒にいるって、約束したじゃない!」
「ええ、約束したわ。破りたくなんて、ないのに」
リアナの目から、涙が零れ落ちた。それは、これまで見た、どんな涙よりも、深い悲しみを湛えていた。
「あなたが、幸せになっていくのを、見届けたかった。もっと、成長していく姿を、そばで見ていたかった」
「セフィも、見ててほしい! お願い、消えないで!」
セフィの叫びに、リアナは、精一杯の力で、セフィを抱きしめ返した。その腕は、もう、確かな重みを持たなくなっていた。
*
「セフィ、聞いて。大事なことを、伝えなきゃ」
薄れゆく意識の中で、リアナは、必死に言葉を続けた。
「バルドウィックに、行きなさい。祖母が言っていた、死者の声に詳しい人を、訪ねるの」
「そんなの、今、聞きたくない!」
「聞いて、セフィ。これは、大事なことなの」
リアナの声が、次第に、遠くから響くように、薄れていった。
「キーラと一緒に、行きなさい。あの子は、きっと、あなたの力になってくれる」
「リアナお姉ちゃん……」
「それから、もう一つ」
リアナの輪郭が、いよいよ淡く、頼りないものになっていく。それでも、その瞳だけは、最後まで、まっすぐにセフィを見つめ続けていた。
「あなたは、誰かの悲しみに寄り添える、優しい子。それは、あなたの何よりの強さよ。だから、これからも、その優しさを、失わないで」
「うん……うん……」
セフィは、嗚咽を堪えながら、必死に頷いた。
「ありがとう、セフィ。あなたと過ごした日々は、わたしにとって、何よりの宝物だった」
その言葉を最後に、リアナの体が、淡い光の粒子となって、静かに、しかし確かに、空へと溶けていった。
「いやだ……いやだよぉ……!」
セフィは、もう何も掴めなくなった両手を、虚しく宙に伸ばしたまま、声を上げて泣き続けた。
*
気づけば、部屋の中には、セフィ一人だけが残されていた。
窓の外には、変わらぬ夜空が広がっている。けれど、隣にあったはずの温もりは、もう、どこにもなかった。
「リアナ、お姉ちゃん……」
セフィは、崩れ落ちるように、その場に座り込んだ。声にならない嗚咽が、静かな部屋の中に、いつまでも響いていた。
望んでいたはずの、事件の解決。得られたはずの、新しい仲間。それら全てが、こんな形で、大切な人との別れに繋がるとは、セフィは、想像すらしていなかった。




