第一部 第十七章「波紋」
あの日以来、村の空気は、明らかに変わっていた。
「見て、あの子……」
井戸端を通りかかると、女たちが、声を潜めて囁き合っているのが分かった。あからさまに指を差されることはなかったが、視線だけは、はっきりとセフィに向けられていた。
「幽霊と、暮らしてるんだって」
「怖いわねえ……」
そんな声が、風に乗って、途切れ途切れに届いてくる。セフィは、俯きがちに歩を進めた。
昨日までは、挨拶を交わしてくれていた大人たちも、今日は、どこかよそよそしい態度を見せていた。露骨な悪意ではない。ただ、どう接していいか分からない、という戸惑いが、その態度の端々に滲んでいた。
「おはようございます」
セフィが挨拶をしても、返ってくる言葉は、以前より短く、そっけないものになっていた。それでも無視されるわけではないだけ、まだましなのかもしれない――セフィは、そう自分に言い聞かせながら、歩き続けた。
*
広場には、乾いた砂埃の匂いが漂い、いつもより人の出が少なかった。広場に差し掛かったところで、ミナの姿を見つけた。以前なら、真っ先に駆け寄ってきたはずのミナが、今日は、少し離れた場所で、気まずそうに立っていた。
「ミナ」
セフィが声をかけると、ミナは、びくりと肩を震わせた。
「あ……セフィ」
気まずい沈黙が、二人の間に流れた。周りにいた他の子どもたちも、遠巻きにこちらの様子を窺っている。
「あの、この前は、ごめんね。急に、驚かせちゃって」
セフィが謝ると、ミナは首を振った。
「ううん……セフィが謝ることじゃないよ。ただ、その……」
ミナは、言葉を選ぶように、視線を彷徨わせた。
「ちょっと、びっくりしちゃっただけ。セフィのこと、嫌いになったわけじゃないよ」
その言葉に、セフィは少しだけ、救われた気がした。けれど、ミナの目には、以前のような屈託のなさは、もう見られなかった。どこか、遠慮がちで、探るような色が、確かにそこにあった。
「今も、その……一緒にいるの? リアナお姉ちゃんって人と」
ミナが、恐る恐る尋ねてきた。
「うん、いるよ」
セフィが素直に答えると、ミナは、思わず周囲を見回した。何もない空間を見つめるその様子に、セフィは、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
「また、遊べるかな」
セフィが小さく尋ねると、ミナは、少し困ったように微笑んだ。
「うん……そのうちね」
その「そのうち」が、以前と同じ意味を持たないことを、セフィは敏感に感じ取っていた。約束の重さが、以前とは違うものになってしまった――それが、何よりも寂しかった。
*
その夜、家に戻ったセフィは、リアナの隣に、黙って座り込んだ。
「今日も、色々あったみたいね」
リアナが、静かにそう切り出した。セフィは、こくりと頷いた。
「ミナ、前みたいに、話してくれなかった」
「そう……」
「リアナお姉ちゃんのせいじゃないよ! セフィが、悪いわけでもないし……でも」
セフィの声が、次第に震え始めた。
「でも、なんか、悲しい」
リアナは、セフィの体を、そっと抱き寄せた。
「ごめんね、セフィ。わたしのせいで、辛い思いをさせてしまって」
「リアナお姉ちゃんのせいじゃない!」
セフィは、強く首を振った。
「リアナお姉ちゃんは、何も悪くない。ただ……みんなに、見えないだけで」
「ええ、そうね」
リアナは、静かに微笑んだ。その微笑みには、隠しきれない寂しさが滲んでいた。
しばらくの間、二人は無言のまま、寄り添っていた。竈の火が、ぱちぱちと小さく爆ぜる音だけが、部屋の中に響いていた。セフィは、リアナの肩に頭を預けながら、今日一日の出来事を、少しずつ心の中で整理していった。
*
「ねえ、セフィ」
しばらくの沈黙のあと、リアナが、改まった声で切り出した。
「わたしのこと、怖くない? 本当は、幽霊なのに」
その問いに、セフィは、迷わず首を振った。
「怖くない。だって、リアナお姉ちゃんは、リアナお姉ちゃんだもん」
「でも……」
「セフィと一緒に、旅してきたじゃない。泣いた夜も、笑った日も、修行を頑張った日も、全部、本物だったよ」
セフィの言葉に、リアナは、目を潤ませた。
「そう……そうね。あなたにとっては、本物なのね」
「これからも、一緒にいてくれる?」
セフィが不安そうに尋ねると、リアナは、迷わず頷いた。
「ええ、もちろん。何があっても、あなたのそばにいるわ」
その言葉に、セフィは、ようやく安堵の息を吐いた。
「でも、リアナお姉ちゃんは、大丈夫? 自分が、その……」
セフィが言い淀むと、リアナは、静かに首を振った。
「正直に言うと、まだ、よく分からないの。怖いのか、悲しいのか、それとも、何も感じないのか」
「そっか……」
「ただ、一つだけ、はっきりしていることがあるわ」
リアナは、セフィの両手を、そっと包み込むように握った。
「あなたと一緒に過ごした時間だけは、幽霊だろうとなんだろうと、絶対に、嘘じゃない。それだけは、確かなことよ」
その言葉に、セフィは、声を上げて泣き出した。悲しいからではなく、その言葉が、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも温かかったからだった。
「セフィも、同じ気持ち」
「ええ、分かってるわ」
リアナは、泣きじゃくるセフィの背中を、優しく撫で続けた。周りの目がどう変わろうと、この絆だけは、揺るがないのだと、二人は改めて確かめ合っていた。
「みんなが分かってくれなくても、セフィだけは、ちゃんと分かってるから」
「ありがとう、セフィ」
リアナは、セフィの頭を、優しく撫でた。窓の外では、村の明かりが、いつもと変わらず、ぽつぽつと灯っていた。けれどセフィの心の中には、以前とは違う、確かな決意が芽生え始めていた。周りにどう見られようと、リアナとの絆だけは、絶対に手放さない――その想いだけは、揺るがなかった。




