第一部 第十六章「紹介」
「今日、ミナたちに、リアナお姉ちゃんのこと、紹介する!」
朝食を終えたセフィが、意気込んでそう宣言した。数日前に交わした約束を、セフィはずっと楽しみにしていた。
「あら、本当に?」
リアナは、少し戸惑ったような顔をした。
「こんなお姉ちゃんが、みんなの輪に入っても、大丈夫かしら」
「大丈夫だよ! みんな、リアナお姉ちゃんのこと知りたいって言ってたもん」
セフィは迷いなく、そう言い切った。リアナのことを、友達に紹介したい。その気持ちに、一片の曇りもなかった。
「わたし、ちゃんと、うまく話せるかしら」
リアナが珍しく、不安げにそう呟いた。セフィは、そんなリアナの手を取った。
「大丈夫。セフィが、ちゃんと紹介するから」
「そう……なら、いいのだけれど」
リアナの声には、いつもとは違う、微かな緊張が滲んでいた。それが何によるものか、セフィには分からなかったが、深く気にも留めなかった。ただ、大好きなお姉ちゃんを、大好きな友達に紹介できる――その喜びだけで、胸がいっぱいだった。
しばらくの沈黙のあと、リアナは、小さく頷いた。
「分かったわ。それじゃあ、行きましょうか」
支度を整え、二人は連れ立って、家を出た。空はよく晴れていて、絶好の日和だった。歩きながら、セフィは何度も、今日の段取りを頭の中で確かめた。まずミナに紹介して、それから他のみんなにも――そんな些細なことを考えるだけで、自然と足取りが弾んだ。
*
広場には、乾いた土埃の匂いが立ち込め、昼下がりの日差しが、真上から容赦なく照りつけていた。既にミナたちが集まっていた。
「セフィ、遅い!」
「ごめんごめん!」
セフィは駆け寄りながら、隣を振り返った。リアナも、いつも通りの穏やかな足取りで、後ろをついてくる。
「みんな、聞いて! 今日、約束してた、リアナお姉ちゃんを紹介するね」
セフィは、満面の笑みを浮かべ、隣に立つリアナを手で示した。胸の高鳴りは、期待と誇らしさによるものだった。
「こちらが、リアナお姉ちゃんです!」
けれど、その瞬間――
ミナたちの表情が、揃って固まった。
「……え? 何?」
ミナが、困惑した声を漏らした。視線は、確かにリアナの立つ場所に向いている。それなのに、その目には、何も映っていないかのようだった。
「セフィ、そこ……誰もいないよ?」
別の子が、震える声でそう言った。
「え……」
セフィの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
「なに言ってるの。ここにいるよ、リアナお姉ちゃん」
セフィは笑おうとしたが、うまく笑えなかった。喉の奥が、急速に乾いていく。もう一度、指差した先を、子どもたちの目に映してもらおうと、セフィは必死に言葉を重ねた。
「ほら、ここ。髪が長くて、優しい顔した……」
「セフィ……何言ってるの」
ミナの顔が、みるみる青ざめていった。他の子どもたちも、後ずさりを始める。誰かの唇が、わなわなと震え出した。
「うそ……幽霊、なの……?」
その一言が、広場に、冷たく響いた。
セフィの頭が、真っ白になった。心臓が、耳の奥で鳴り響くほど激しく脈打っている。全身から、血の気が引いていくのが分かった。何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
「ち、違う……違うよ、リアナお姉ちゃんは……」
セフィの声は、震えながら宙に消えた。子どもたちの怯えた視線が、今度はセフィ自身にも向けられ始めていた。まるで、セフィもまた、何か得体の知れないものであるかのように。
*
「……そう、なのね」
セフィの隣で、リアナが、ぽつりと呟いた。その声は、いつになく静かだった。
「リアナ、お姉ちゃん……?」
セフィが震える声で呼びかけると、リアナは、自分の両手を、じっと見つめていた。
「今まで、誰に会っても……挨拶を返してもらえたことが、なかった気がする」
リアナは、独り言のように、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
「ケルヴィンに来てから、ずっと。誰と目を合わせても、誰に話しかけても……誰も、こちらを見なかった」
「そんな……」
「グレタさんの家でも……市場でも……気づいていたはずなのに、気づかないふりを、していたのかもしれない」
リアナの声は、震えてはいなかった。むしろ、驚くほど落ち着いていた。まるで、ずっと前から、心のどこかで分かっていたことを、ようやく言葉にしただけであるかのように。
「服も、汚れなかった。怪我も、しなかった。お腹も……そういえば、いつからか、空かなくなっていた気がする」
リアナは、一つ一つ、これまでの違和感を、思い出すように数え上げていった。
「あの日……崩れごとの日、わたし、本当は……」
そこで、リアナは言葉を止めた。何かに気づきかけて、それでも、まだ全てを言い切ることはできないようだった。
「セフィ……ごめんなさい。もう、帰った方が、良さそうね」
ミナたちは、怯えた顔のまま、じりじりと後ずさっていた。
「ごめん、ミナ。今日は、もう帰って」
セフィが、震える声を絞り出すと、子どもたちは、逃げるようにその場を後にした。走り去る小さな背中を、セフィは呆然と見送った。
*
広場に、セフィとリアナだけが残された。静けさが、痛いほど二人を包んでいた。
「リアナお姉ちゃん……」
セフィは、何を言えばいいのか分からず、ただリアナの名前を呼んだ。
「大丈夫よ、セフィ」
リアナは、いつもと変わらない、優しい声でそう言った。けれどその表情には、隠しきれない、深い戸惑いが浮かんでいた。
「二人で、少し、話しましょうか」
リアナがそう言うと、セフィは、震える手で頷いた。まだ心臓は激しく鳴り続けていたが、リアナの静かな声だけが、その場に踏みとどまるための、唯一の拠り所だった。
二人は、広場の隅にある古い切り株に、並んで腰掛けた。
「わたし……本当に、幽霊、なのかな」
リアナが、ぽつりと呟いた。その声には、恐れよりも、静かな諦めに似た響きがあった。
「そんなこと、ない! リアナお姉ちゃんは、ちゃんとここにいるもん!」
セフィは、リアナの手を強く握った。その手は、いつも通り、柔らかく、温かかった。
「セフィには、見えるし、触れる。それは、本当のことだよ」
「ええ、そうね。あなたにとっては、そうなのでしょうね」
リアナは、静かにそう答えた。その声には、セフィを傷つけまいとする、精一杯の優しさが滲んでいた。
「でも、他の誰にも、わたしは見えていなかった。それは、多分……本当のことなんだと思う」
「……」
セフィは、何も言えなかった。ただ、リアナの手を、痛いくらいに握りしめていた。
「不思議ね。怖くないの。ただ、色んなことが、少しずつ、繋がっていくだけ」
リアナは、遠くを見つめながら、そう呟いた。その横顔は、いつもと変わらず穏やかで、けれどどこか、遠い場所を見ているようでもあった。
「セフィ、今日は、もう帰りましょう。ゆっくり、話をする時間が必要だと思うの」
「うん……」
セフィは、震える声で頷いた。二人は、手を繋いだまま、静まり返った広場を後にした。夕暮れの光が、二人の長い影を、地面に伸ばしていた。




