第一部 第十一章「二人の暮らし」
修行を重ねながらの旅は、当初想定していたよりも、ずっと長いものになっていた。ケルヴィンまで五日という当初の見込みは、修行の時間を挟んだこともあり、既に大きく過ぎていた。それでも、二人の足取りに、焦りはなかった。むしろ、この道中そのものが、かけがえのない時間になりつつあった。
朝の光が森を照らす頃、二人はいつものように、その日一日の予定を、なんとなく相談しながら決めていた。修行をどこまで進めるか、どのあたりまで歩くか、何を探すか――そうした些細なことを話し合う時間さえ、今では二人にとって、大切な習慣になっていた。
「今日は、天気がいいから、洗濯日和ね」
朝、川辺でリアナがそう言うと、セフィも汚れた服を抱えて駆け寄った。
「セフィのも、洗って!」
「はいはい」
二人で川の水に服を浸し、石で叩くようにして汚れを落としていく。冷たい水に、セフィは何度も声を上げた。
「冷たい!」
「我慢して。綺麗になるためだもの」
セフィは震えながらも、真剣な顔で服を叩き続けた。泥まみれだった裾が、少しずつ元の色を取り戻していくのを見て、達成感を覚えているようだった。
「見て、こんなに綺麗になった!」
「本当ね。上手じゃない」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、洗濯物を岩の上に広げて乾かす。日差しの下で、二人は少しの間、のんびりと過ごした。
「乾くまで、何しよう」
「そうね……お昼寝でもする?」
「賛成!」
二人は岩の陰に並んで座り、日向ぼっこをしながら、うとうとと微睡んだ。こんな穏やかな時間を過ごせることが、少し前までは想像もできなかった。
微睡みの中、セフィはふと、リアナの寝顔を横目に見た。安らかなその顔を見ていると、なぜだか無性に、このままずっと一緒にいたいという気持ちが込み上げてきた。理由は、自分でもうまく説明できなかったけれど。
*
「ねえ、リアナお姉ちゃん」
洗濯物を眺めながら、セフィがふと口を開いた。
「なあに?」
「お腹すいたら、教えてね。今日は、罠の魚と、木の実と、あと……」
「あら、随分と豊かな献立ね」
「うん! だって、色々分かるようになったから」
セフィは得意げに、指を折って数え上げた。ここ数日で覚えた知識のおかげで、食事の内容は、旅の初めとは比べ物にならないほど、豊かになっていた。
「今日は、木の実を炒って、香ばしくしてみましょうか」
「それ、美味しそう!」
二人は焚き火を起こし、拾い集めた木の実を、平たい石の上で炒った。パチパチと弾ける音とともに、香ばしい匂いが漂ってくる。
「いい匂い」
「そうね。こんな風に、少し工夫するだけで、随分違うものね」
*
日が高く昇り、木陰の輪郭が、足元に短く縮んでいた。乾いた風が、時折、頬をかすめていく。昼下がり、修行の合間の休憩時間、セフィはふと、リアナに尋ねた。
「リアナお姉ちゃんは、里にいた頃、何が好きだったの?」
「そうね……刺繍が好きだったわ。母に教わって、よく布に花の模様を縫っていたの」
「見てみたい」
「今度、機会があったら、何か作ってあげる」
「本当? 楽しみ!」
そんな約束を交わしながら、二人は他愛のない話に花を咲かせた。互いの好きなもの、嫌いなもの、里での思い出――話す内容は尽きることがなかった。
「セフィは、里で仲良かった子、いた?」
リアナが尋ねると、セフィは少し考えてから答えた。
「トビ。猟師の家の子」
「そう、どんな子だったの?」
「優しくて、強くて……セフィのこと、変な目で見なかった」
セフィの声が、少しだけ沈んだ。トビのことを思い出すと、いつも胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「木彫りの人形で、よく遊んだの。あと、いつか二人で、里の外に出ようねって、約束した」
「素敵な約束ね」
「うん。木彫りの鳥も、もらった」
セフィは懐から、あの小さな木彫りの鳥を取り出して見せた。旅の間、ずっと大切に持ち歩いていたものだった。
「これ、今もセフィのお守りなの」
「大事にしているのね」
「うん。トビとの約束、忘れないように」
「今頃、どうしてるかな」
「きっと、どこかで、元気にしてると思うわ」
リアナはそう言って、セフィの頭を優しく撫でた。確証のない言葉だったが、その温もりだけで、セフィは少し救われた気がした。
*
夕方、二人は焚き火を囲んで、その日の夕食を楽しんだ。炒った木の実、焼いた魚、そして摘んできた香草を添えたスープ。質素だけれど、工夫を凝らした食事は、旅の当初とは、比べ物にならないほど豊かなものになっていた。
「今日のスープ、美味しい」
「香草の配分が、上手くいったみたいね」
「リアナお姉ちゃんの、味付けのおかげ」
「あら、セフィが薬草の知識を分けてくれたおかげよ」
二人は互いを称え合いながら、食事を楽しんだ。
「そういえば、最初の頃なんて、パンのかけらしかなかったのに」
セフィが懐かしむように言うと、リアナも頷いた。
「本当ね。あの頃は、明日どうなるかも、分からなかったのに」
「今は、ちゃんと、お腹いっぱいになれる」
「これも、二人で頑張ってきたからよ」
セフィは満足げにお腹をさすりながら、焚き火の炎を見つめた。空腹に苦しんだ最初の数日を思うと、今の暮らしが、どれほど恵まれているかを、改めて実感した。
食後、焚き火の傍らで、リアナは小枝を使って、地面に何かの模様を描き始めた。
「何、描いてるの?」
「昔、母に教わった刺繍の模様よ。花の形を、こうやって描くの」
セフィは興味津々にその手元を覗き込んだ。花びらが重なり合うような、繊細な模様が、地面に描かれていく。
「セフィにも、教えて」
「ええ、いいわよ」
リアナはセフィの手を取り、一緒に小枝を動かした。不器用な線が、少しずつ、花の形になっていく。
「できた!」
セフィが得意げに、自分の描いた模様を見せると、リアナは目を細めた。
「上手じゃない。筋がいいわ」
「本当に布に縫うのは、もっと難しいの?」
「ええ、ずっと難しいわ。糸が絡まったり、針を刺す場所を間違えたり」
「今度、教えて」
「布があったらね。今度、街に着いたら、探してみましょう」
二人は地面に、様々な模様を描きながら、しばらくの間、他愛のない時間を過ごした。
*
夜、寝床に横になりながら、セフィはぽつりと呟いた。
「リアナお姉ちゃんと一緒にいると、なんだか、毎日が楽しい」
「わたしも、同じ気持ちよ」
「辛いことも、悲しいことも、たくさんあったけど……こうして笑える日も、ちゃんとあるんだね」
「ええ。これからも、きっと、そうよ」
リアナはセフィを抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。
「明日も、頑張りましょうね」
「うん」
星空の下、二人は身を寄せ合い、静かな寝息を立て始めた。旅は、まだ半ばだったが、二人の間には、確かな絆と、日々を生き抜くための、小さな知恵と喜びが、着実に積み重なっていた。




