第一部 第八章「同調の修行」
薬草のおばあさんとの対話を重ねるうちに、セフィは少しずつ、死者との接し方に慣れていった。もう、最初の頃のような緊張は薄れ、まるで親しい人と話すように、自然と言葉を交わせるようになっていた。
朝の空気は、まだひんやりと湿っていて、焚き火の残り香が、二人の衣に染みついている。ある日、リアナが新しい提案をした。
「そろそろ、同調の練習をしてみましょうか」
「どうちょうって、記憶とか、技を受け取るやつだよね」
「ええ。対話ができるようになったから、次の段階に進めると思うの」
「ちょっと、緊張する」
セフィが正直にそう言うと、リアナは頷いた。
「無理もないわ。今までとは、少し違う感覚になると思うから」
二人は森の奥、いつもの薬草のおばあさんのところへ向かった。目を閉じ、対話を始めると、いつものように、優しい気配が現れた。
「今日は、また会いに来てくれたのかい」
「はい。今日は、少し違うことを教えてほしくて」
セフィがそう切り出すと、老婆は興味深そうに首を傾げた。
「違うこと、とは?」
「わたし……おばあさんの記憶とか、感覚を、少し分けてもらうことって、できますか」
老婆は驚いた様子を見せたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「そんなことが、できるのかい。だが、あんたが望むなら、断る理由もないさ」
*
木々の隙間から差し込む光が、老婆の輪郭を、薄く縁取っていた。土と、乾いた薬草の匂いが、微かに漂う。
「じゃあ、目を閉じて。今度は、ただ話を聞くんじゃなくて、相手の気持ちに、そっと波長を合わせるように」
リアナの声に従い、セフィは再び目を閉じた。老婆の気配に、意識を近づけていく。今までは、一定の距離を保ちながら話していたが、今日は、その距離を、少しだけ縮めてみる。
「怖くなったら、すぐにやめていいからね」
リアナの声が、傍らから聞こえてくる。その声に安心しながら、セフィはゆっくりと、老婆の気配に寄り添っていった。
すると、不思議な感覚が訪れた。老婆が薬草を摘んでいた頃の記憶が、まるで自分自身の記憶であるかのように、頭の中に流れ込んでくる。朝露に濡れた葉の感触、土の匂い、どの草がどこに生えているかという、体に染み付いた知識――それらが、セフィの中に、そっと重なっていくようだった。
「あ……」
セフィは、思わず声を漏らした。頭の中に、見たこともない景色が浮かんでは消えていく。若い頃の老婆が、籠を抱えて森を歩く姿。子どもたちに薬草の見分け方を教える、穏やかな午後。そうした情景の断片が、次々と流れていった。
「どう? 何か、感じる?」
リアナが心配そうに尋ねると、セフィは興奮した様子で頷いた。
「なんか……葉っぱの見分け方が、体で分かる気がする。おばあさんが、そうやって覚えたみたいに」
老婆の声が、優しく響いた。
「そうかい。それが、わたしの持っていた、ささやかな知恵だよ。あんたに、受け継いでもらえるなら、これほど嬉しいことはない」
「痛くない? 苦しくない?」
セフィが心配そうに尋ねると、老婆は柔らかく笑った。
「なんともないよ。むしろ、誰かの中で、わたしの知恵が生き続けるなら、それは幸せなことさ」
*
同調を終え、目を開けたセフィは、少しぼんやりとした表情をしていた。
「セフィ、大丈夫?」
リアナが顔を覗き込むと、セフィはゆっくりと頷いた。
「うん、平気。ただ、なんか、頭の中に、知らないはずの記憶があるみたいで、不思議な感じ」
「それが、同調の証よ。少しずつ、慣れていきましょう」
セフィは自分の手のひらを見つめた。まだ実感は薄いけれど、確かに何かが、自分の中に流れ込んできた感覚があった。
「試してみてもいい? 薬草の見分け方」
「ええ、やってみましょう」
二人は近くの茂みへと向かい、セフィは目についた葉を一つ、手に取った。
「これは……多分、大丈夫。おばあさんが言ってた、縁がギザギザの葉っぱだ」
「本当? すごいじゃない」
セフィは次々と、周囲の草木を確認していった。今までは、判断がつかずに諦めていたものも、なぜかすんなりと見分けがつく。まるで、長年その道を歩んできた者のような、確かな手応えがあった。
「これも分かる。根っこの方が、実は美味しいやつ」
「へえ、そうなの?」
「うん。おばあさんが、よく掘って食べてたんだって」
セフィは、まるで自分の記憶であるかのように、すらすらと説明していく。その様子を見て、リアナは、目を丸くしたまま、口元に手を当てた。
「わたし、こんなことまで分かるようになったんだ」
セフィは、驚きと嬉しさが入り混じった声で呟いた。
「それも、あなたが頑張って積み重ねてきたからよ」
リアナがそう言って、セフィの頭を撫でた。
「疲れてない? 同調は、体力も使うって聞いたことがあるけど」
「うーん、ちょっとだるいかも。でも、平気」
「無理は禁物よ。今日はもう、これくらいにしておきましょう」
リアナに促されて、セフィは頷いた。確かに、いつもより体が重く感じられる。同調という力の使い方には、それなりの代償もあるのだと、セフィは体感として理解し始めていた。
*
その夜、二人は同調によって得た知識を頼りに、これまでよりもずっと豊かな食事を用意することができた。木の実、食べられる根、香草――今までは手探りだったものが、はっきりとした確信を持って選べるようになっていた。
「今日のご飯、豪華だね」
セフィが満足げに言うと、リアナも笑顔で頷いた。
「本当に。おばあさんに、感謝しないとね」
「今度会ったら、お礼言う」
「ええ、そうしましょう」
香草を加えたスープを、セフィは満足そうに口に運んだ。
「これ、なんの香草?」
「多分、消化を助けるやつ。おばあさんの記憶にあった」
「セフィ、物知りになったね」
リアナがからかうように言うと、セフィは得意げに胸を張った。
「えへへ、そうでしょう」
焚き火を囲みながら、セフィはふと、自分の中に流れ込んできた老婆の記憶のことを思った。誰かの人生の一部を、こうして受け継いでいくということ――それは、思っていたよりも、ずっと温かく、そして少しだけ、重みのあることのように感じられた。
「リアナお姉ちゃん、同調って、なんだか不思議だね。その人が、まだ少し、生きてるみたいな感じがする」
セフィがぽつりと呟くと、リアナは優しく微笑んだ。
「そうね。きっと、それも、死者の声を継ぐっていうことの、大事な意味の一つなんだと思うわ」
「じゃあ、いろんな人と同調したら、セフィの中に、いろんな人が、少しずつ生きてることになるのかな」
セフィの問いに、リアナは少し考え込んだ。
「そうかもしれないわね。それって、素敵なことだと思わない? 誰かの想いや知恵が、あなたを通して、これからも続いていくんだもの」
「うん、素敵」
セフィは、そう答えながら、なんとなく、これから出会うだろう、たくさんの死者たちのことを思った。悲しい別れの先に、こんな風に何かを受け継げるのだとしたら、それは決して、無駄なことばかりではないのかもしれない。
星空の下、二人はその日の成果を確かめ合いながら、静かな夜を過ごした。




