第一部 第六章「感応の修行」
翌朝、朝食を終えると、リアナはさっそく修行の場所を探し始めた。
「静かで、落ち着ける場所がいいわね」
道中の景色を見渡しながら、リアナは真剣な顔で場所を選んでいく。セフィはその後ろをついて歩きながら、少し緊張した面持ちで、これから始まる"本当の修行"に胸を高鳴らせていた。
二人が選んだのは、大きな古木の根元だった。木漏れ日が柔らかく差し込み、川のせせらぎがかすかに聞こえてくる、穏やかな場所だった。
「じゃあ、まずは座って。目を閉じて」
セフィは言われた通り、木の根に腰を下ろし、目を閉じた。
「深呼吸して。ゆっくり、吸って……吐いて」
リアナの落ち着いた声に合わせて、セフィは呼吸を整えた。最初は、周りの音ばかりが気になった。鳥の声、風が葉を揺らす音、遠くの川の音。
「頭の中を、静かにするの。色んな音を、遠くに追いやるように」
「難しい……」
「焦らなくていいわ。少しずつでいいの」
セフィは何度も深呼吸を繰り返した。次第に、周囲の音が、少しずつ意識の外側へと退いていくのを感じた。
「そうしたら、心の中で問いかけてみて。『そこにいますか?』って」
セフィは、心の中でそっと呟いた。
*そこに、いますか?*
何も起こらなかった。しばらく待ってみても、いつもの気配は感じられない。目を薄く開けて、リアナの様子を窺う。
「まだ、駄目?」
「集中が切れてるわよ。もう一回」
セフィは慌てて目を閉じ直した。けれど、一度気が逸れてしまうと、なかなか元の静けさには戻れない。何度も同じことを繰り返すうちに、次第に苛立ちが募ってきた。
「もう、全然できない」
セフィが唸るように言うと、リアナはくすりと笑った。
「そんなに簡単にできたら、修行なんて言わないわ」
「リアナお姉ちゃんは、意地悪」
「あら、褒め言葉として受け取っておくわね」
そんな軽口を挟みながらも、二人は根気強く、練習を続けた。
*
日が高くなるにつれ、木漏れ日の位置も、少しずつ移ろっていった。蝉の声が、遠くから途切れることなく響き、じっとりとした熱気が、木陰にまで忍び込んでくる。
その日は、何度挑戦しても、これといった手応えは得られなかった。セフィは少し落ち込んだ様子を見せたが、リアナは根気強く励まし続けた。
「今日は、これくらいにしましょう。無理は禁物よ」
「でも、全然できなかった」
「そんなことないわ。さっき、少しの間だけ、周りの音が静かになったでしょう? それだけでも、大きな一歩よ」
リアナに言われて、セフィは思い返した。確かに、ほんの数瞬だけ、頭の中が澄み渡るような感覚があった。あれが、正しい方向に近づいている証なのかもしれない。
「明日も、やっていい?」
「もちろん。毎日、少しずつ積み重ねていきましょう」
*
翌日は、朝から薄い霧が、谷間に立ち込めていた。湿った土の匂いが強く、木々の葉先からは、絶えず雫が滴り落ちている。二日目も、三日目の朝も、同じような練習が続いた。歩き疲れた体を休める合間に、木陰を見つけては座り込み、目を閉じる。最初のうちは、何も感じられない日々が続いた。
「今日も、駄目だった」
セフィが肩を落とすたび、リアナは決まって同じ言葉を返した。
「昨日よりは、集中できてる時間が長くなってるわ。ちゃんと、進んでいるのよ」
「本当に?」
「ええ、本当よ。わたしが、ちゃんと見てるもの」
そう言われると、セフィは不思議と、また頑張ろうという気になれた。誰かが自分の努力を見ていてくれる、それだけで、こんなにも心強いものかと、セフィは初めて知った気がした。
二日目の夜には、リアナも一緒になって、目を閉じて試してみることがあった。
「リアナお姉ちゃんも、練習するの?」
「ええ、わたしも半人前ですもの。一緒に頑張らないと」
二人並んで木陰に座り、同じように深呼吸を繰り返す様子は、傍から見れば、少し可笑しな光景だったかもしれない。けれど、二人にとっては、真剣そのものだった。
「リアナお姉ちゃんは、何か感じた?」
目を開けたセフィが尋ねると、リアナは苦笑いを浮かべた。
「ううん、まだ何も。セフィの方が、筋がいいのかもしれないわね」
「そんなことないと思うけど」
「いいえ、絶対そうよ。あなたの方が、才能があるわ」
そんな他愛のないやり取りをしながらも、二人の修行は、少しずつ、着実に積み重なっていった。
*
その後、旅を続けながら、二人は毎日、昼過ぎになると足を止めて修行の時間を設けるようになった。道端の木々は、日を追うごとに、少しずつ色を変えていく。乾いた風が、頬を撫でる回数も増えていた。歩きながらでも、休憩の合間でも、セフィは目を閉じて、心を静める練習を繰り返した。
三日目のことだった。いつものように木陰で座り、心を静めていたセフィは、ふと、かすかな気配を感じた。
「あ……」
セフィは目を開けずに、そのままじっと意識を集中させた。遠くの方に、何か寂しげな、けれど確かな存在感がある。
「リアナお姉ちゃん、何か、感じる。すごく遠くだけど」
「本当? どんな感じ?」
「寂しい……感じ。誰か、いる」
リアナは目を輝かせた。
「それだわ、セフィ! 自分から気づけたのよ、今!」
セフィは驚いて目を開けた。今までは、向こうから強く訴えかけられない限り、気づくことすらできなかった。それが今、自分から気配を探し当てることができたのだ。
「できた……! セフィ、できたよ!」
「すごいじゃない! よく頑張ったわね」
リアナはセフィを抱き上げて、くるくると回った。セフィも興奮した様子で、声を上げて笑った。
「これで、感応の修行、終わり?」
「ううん、まだまだこれからよ。今のは、ほんの入り口。もっと色んな気配に、気づけるようになりましょう」
「うん! 頑張る!」
セフィの声には、これまでにない自信が滲んでいた。自分の力が、少しずつ、確かなものになっていく実感――それは、両親を失ってから初めて感じる、前向きな高揚感だった。
「ねえ、もう一回やってみてもいい?」
セフィが意気込んで言うと、リアナは頷いた。
「ええ、いいわ。でも、無理はしないでね」
セフィは再び目を閉じ、同じように集中を試みた。今度は、先ほどよりも早く、あの寂しげな気配を感じ取ることができた。
「また、感じた!」
「素晴らしいわ。一度コツを掴むと、早いのね」
何度か繰り返すうちに、セフィは自分なりの感覚を掴み始めていた。心を静める呼吸のリズム、意識の向け方――そうしたものが、少しずつ体に馴染んでいくのが分かった。
*
その夜、焚き火を囲みながら、セフィはリアナに、今日の手応えを何度も語った。
「本当に、寂しそうな感じがしたの。誰なんだろう」
「今度、機会があったら、話しかけてみましょうか」
「うん、そうする」
「でも、今日はもう遅いから、休みましょう。明日からは、対話の練習に進めるかもしれないわね」
「本当? 楽しみ!」
セフィは興奮冷めやらぬ様子で、なかなか寝付けなかった。何度も寝返りを打つセフィに、リアナは苦笑した。
「そんなに興奮していたら、明日に響くわよ」
「だって、初めてできたんだもん」
「分かるわ、その気持ち。でも、ちゃんと寝ないと、明日の修行に差し支えるわよ」
「うん……分かった」
セフィはようやく目を閉じ、深呼吸を繰り返した。今度は眠るための呼吸だったが、それすらも、今日覚えたばかりの感覚と、どこか似ている気がした。
修行の成果を語り合う二人の声は、いつもより弾んでいた。小さな一歩ではあったけれど、それは確かに、セフィにとっての大きな前進だった。




