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まだ、続いていく  作者: たべられて候
第一部
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第一部 第四章「夜に泣く」

その夜、セフィは夢を見ていた。


竈の匂い。木の匙が粥をかき混ぜる音。父の低い笑い声と、母の柔らかな声。何気ない、いつもの朝の光景だった。夢の中の自分は、まだ何も知らない、幸せなだけの六歳の少女だった。


「セフィ、ぼんやりしてると粥が冷めるよ」


父の声に、セフィは笑って頷く。窓から差し込む光の中を、埃がゆっくりと舞っている。何もかもが、あの日と同じだった。


「今日は、いい天気ね」


母が窓の外を見ながら、そう呟く。セフィはその横顔を、いつまでも見ていたいと思った。この時間が、ずっと続けばいいのにと。


けれど、夢の中の景色は、少しずつ形を失っていく。竈の火が、赤黒い光に変わり、父と母の声が、悲鳴に変わっていく。窓の外の穏やかな空も、いつの間にか、燃えるような朱色に染まっていた。


「父さま、母さま、逃げて!」


セフィは叫んだ。けれど、声は届かない。二人の姿は、瓦礫の向こうに、ゆっくりと沈んでいく。セフィは手を伸ばした。届かない。何度伸ばしても、指先は虚しく空を切るだけだった。


「父さま……母さま……」


*


「セフィ? セフィ、大丈夫?」


肩を優しく揺さぶられて、セフィは目を覚ました。頬が、濡れている。心臓が、まだ激しく鼓動していた。


「……リアナ、お姉ちゃん?」


「うなされていたわ。魘されて、泣いていたの。ずっと、名前を呼んでた」


リアナの声には、深い心配が滲んでいた。焚き火の残り火が、その心配そうな顔を、ぼんやりと照らしている。セフィは自分の頬に触れ、そこに確かに涙の跡があることに気づいた。眠っている間、自分でも気づかないうちに、泣いていたらしい。


「夢……見てた。父さまと、母さまの夢」


その言葉を口にした瞬間、堰を切ったように、涙が溢れ出した。


「うっ……ぐすっ……」


「セフィ」


リアナはすぐに、セフィの体を抱き寄せた。小さな体を包み込むようにして、その背中を優しく撫でる。


「痛いくらい、我慢してたのね」


「だって……だって、リアナお姉ちゃんに、心配かけたくなくて」


「そんなこと、気にしなくていいのよ。泣きたい時は、いつでも泣いていいの」


リアナの言葉に、セフィの涙は、さらに勢いを増した。


「父さまも、母さまも、もういない……もう、絶対に、会えない……」


「セフィ……」


「なんで……なんで、いなくなっちゃったの……」


答えの出ない問いを、セフィは何度も繰り返した。リアナはただ、その小さな体を抱きしめ続けた。何を言っても、この痛みを消してあげることはできない。それが分かっているからこそ、リアナはただ、寄り添うことしかできなかった。


*


しばらくして、セフィの嗚咽が少しずつ収まってきた頃、リアナの目にも、うっすらと涙が浮かんでいることに、セフィは気づいた。


「リアナお姉ちゃん……泣いてるの?」


「あら……本当ね」


リアナは自分の頬に触れ、そこが濡れていることに、少し驚いたような顔をした。


「わたしも、お父さんと、お母さんのこと、思い出しちゃって」


「リアナお姉ちゃんも、辛いんだね」


「ええ。あなたと同じくらい」


リアナはセフィを抱きしめたまま、静かに涙を流し始めた。


「お母さんが作ってくれた、干し肉のスープ。お父さんが編んでくれた、髪飾り。もう、二度と……」


言葉にするたび、リアナの声は震えていった。


「お父さんね、無口な人だったの。でも、不器用な手で、よくわたしのために、色んなものを作ってくれた。木の櫛とか、小さな人形とか」


「優しいお父さんだったんだね」


「ええ。お母さんは、逆に、よく喋る人だったわ。里の噂話から、昔話まで、何でも聞かせてくれた」


セフィは、今度は自分がリアナを支えるように、その背中に小さな手を回した。


「リアナお姉ちゃん、大丈夫だよ」


「ふふ、逆になっちゃったわね」


リアナは涙を流しながらも、小さく笑った。


「二人とも、同じくらい辛いのね」


「うん」


「だから、二人でいれば、少しは楽になれるのかもしれない」


その言葉に、セフィは強く頷いた。


「セフィも、父さまと母さまのこと、もっと話していい?」


「ええ、もちろん。聞かせて」


「父さまはね、木工職人だったの。手が、いつも傷だらけだった。でも、その手で、色んなものを作ってくれた」


「素敵な人だったのね」


「うん。母さまは、いつも優しくて、綺麗で……セフィのこと、一度も叱ったことなかった」


言葉にするたびに、また涙が溢れてきたが、それは先ほどまでとは、少し違う種類の涙のようだった。悲しみだけでなく、大切な記憶を確かめるような、そんな涙だった。


「忘れたくない」


セフィが、絞り出すようにそう言った。


「二人のこと、絶対に忘れたくない」


「大丈夫。忘れないわ。話せば話すほど、記憶は色濃く残っていくものだから」


リアナの言葉に、セフィは涙を拭いながら、小さく頷いた。忘れないために、これからも、こうして話していこう――そう心に決めた。


*


二人は、しばらくの間、抱き合ったまま、声を上げて泣き続けた。悲しみを我慢する必要はない、この夜だけは。そう互いに許し合っているかのようだった。


月明かりの下、二つの嗚咽が、静かな森の中に溶けていく。誰に憚ることもなく、ただ思い切り泣けるということが、どれほどの救いになるか、セフィは初めて知った気がした。


「明日は、また笑って歩こうね」


泣き疲れた頃、リアナがそう言って、セフィの涙を優しく拭った。


「うん。頑張る」


「今日は、たくさん泣いたから、きっと明日は、少し軽い気持ちで歩けるはずよ」


「リアナお姉ちゃんも」


「ええ、わたしも」


二人は互いの体温を確かめ合うように寄り添い、再び眠りについた。悲しみが消えたわけではない。けれど、一人で抱え込むよりも、少しだけ、その重さが軽くなった気がした。


星々が瞬く夜空の下、二つの小さな寝息が、静かに重なり合っていった。


*


翌朝、目を覚ましたセフィは、目元が少し腫れぼったいのを感じながら、体を起こした。既に起きていたリアナが、小さな焚き火の傍らで、何かを触っている。


「おはよう、セフィ。よく眠れた?」


「うん……昨日の夜のこと、覚えてる?」


「もちろん。二人とも、随分泣いたわね」


リアナは少し照れくさそうに笑った。目元には、まだ泣いた跡が微かに残っている。


「なんだか、恥ずかしい」


セフィがそう言うと、リアナは首を振った。


「恥ずかしいことなんて、何もないわ。むしろ、よく泣けたと思う」


「そうかな」


「そうよ。溜め込んでいたら、いつか爆発してしまうもの。少しずつでいいから、吐き出していきましょう」


その言葉に、セフィは頷いた。心なしか、体が軽い気がした。昨夜、あれだけ泣いたはずなのに、今朝の空気は、いつもより澄んで感じられる。


「今日の朝ごはん、何にする?」


リアナが明るい声でそう尋ねると、セフィも自然と笑顔になった。


「昨日の魚、残ってる?」


「ええ、少しだけ。それと、木の実も」


「じゃあ、それ食べる」


いつも通りの、何気ないやり取り。けれどその何気なさこそが、セフィにとって、何よりの支えになっていた。二人は焚き火の残り火で朝食を温め直し、これから始まる一日に向けて、静かに支度を始めた。


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