第一部 第三章「罠の日」
三日目の朝、リアナは川辺に座り込み、しばらく水の流れをじっと見つめていた。
「ねえ、セフィ。罠を作ってみましょう」
「罠?」
「ええ。追いかけて捕まえるんじゃなくて、魚の方から入ってきてくれるようなものを作るの」
セフィは首を傾げた。そんなことが、本当にできるのだろうか。
「どうやって?」
「柳の枝を編んで、籠のようなものを作るのよ。入り口は広くて、中は狭くなるように編めば、一度入った魚は出られなくなるの」
「リアナお姉ちゃん、そんなことも知ってるの?」
「なんとなく、ね。手が覚えているような、そんな感じがするの」
リアナ自身、不思議そうに自分の両手を見つめていた。里にいた頃、そんな技術を習った覚えはなかったはずなのに、なぜか編み方の手順だけは、はっきりと頭に浮かんでくる。けれど、その違和感を深く考える余裕は、今の二人にはなかった。
*
二人は川辺に自生していたしなやかな柳の枝を集め、リアナの指導のもと、籠を編み始めた。
「まず、こう。縦に何本か芯を立てて、そこに横向きに編み込んでいくの」
「こう?」
セフィが不器用な手つきで枝を通すと、リアナは横から手を添えて直してくれた。
「そう、上手よ。もう少しきつく編んだ方がいいわ」
慣れない作業に、セフィの指はあちこち擦り剥け、時折小さな悲鳴を上げた。
「痛い!」
「大丈夫? 無理しないでいいのよ」
「ううん、やる」
セフィは唇を噛みしめながら、根気強く枝を編み続けた。リアナはその様子を見て、目を細めた。
「セフィは、頑張り屋さんね」
「だって、お腹すいてるんだもん」
そう言うセフィの言葉に、リアナは思わず噴き出した。
「それもそうね」
編み進めるうちに、セフィの手つきは少しずつ様になっていった。最初は歪んでいた形も、次第に丸みを帯びた、籠らしい形になっていく。
「あ、見て! ちゃんと籠っぽくなってきた!」
「本当ね。筋がいいじゃない」
リアナに褒められて、セフィは得意げに胸を張った。
「もっと編める。見ててね」
「ふふ、頼もしいこと」
途中、何度か枝が折れてしまい、一から編み直すこともあった。そのたびにセフィは悔しそうな顔をしたが、リアナが「失敗しない人はいないわ」と励ますと、また気を取り直して手を動かした。
*
昼を過ぎる頃には、不格好ながらも、円錐形の籠が二つ完成した。入り口は広く、奥に進むほど狭くなる作りだ。
「これを、川の中に沈めるの。魚が餌を求めて入ってくれば、狭い出口を見つけられずに、閉じ込められる仕組みよ」
「餌、何にする?」
「木の実の欠片とか、虫とか。何でも試してみましょう」
二人は籠の中に、残り少ない木の実の欠片と、道中で見つけた小さな虫を入れ、川の緩やかな流れの中に、石で押さえつけるようにして沈めた。
「あとは、待つだけ?」
「そう。一晩、置いてみましょう」
*
その夜、二人は焚き火を囲みながら、期待と不安の入り混じった気持ちで過ごした。
「本当に、捕まるかな」
セフィが不安そうに呟くと、リアナは自信ありげに頷いた。
「大丈夫。きっと、うまくいくわ」
「もし駄目だったら?」
「その時は、また別の方法を考えましょう。一つのやり方に、こだわりすぎないことよ」
「リアナお姉ちゃんは、いつも前向きだね」
セフィが感心したように言うと、リアナは少し困ったように笑った。
「そう見える? 実は、わたしも不安なことばかりよ」
「そうなの?」
「ええ。でも、不安なままじっとしていても、何も変わらないでしょう。だったら、できることをやってみるしかないの」
その言葉は、まだ幼いセフィには少し難しかったが、なんとなく、大切なことを言われている気がした。
「セフィも、そう思う」
「そう。じゃあ、二人とも前向きね」
そんな会話を交わしながら、二人は乏しい食料を分け合い、いつものように他愛のない話をして、夜を過ごした。空腹は相変わらずだったが、明日への期待が、その辛さを少しだけ和らげてくれていた。
夜が更けるにつれ、川のせせらぎの音だけが、静かに辺りを包んでいた。セフィは何度も、明日の朝が待ちきれない様子で寝返りを打った。
「早く眠らないと、朝が来ないわよ」
リアナがくすくす笑いながらそう言うと、セフィは慌てて目を閉じた。
「寝る。おやすみなさい」
「おやすみ、セフィ」
*
翌朝、日が昇るとすぐ、二人は川へと駆けつけた。セフィは逸る気持ちを抑えられず、リアナより先に川の中へと入っていく。
「あった! 入ってる!」
籠の中を覗き込んだセフィが、興奮した声を上げた。小さいながらも、確かに二匹の魚が、籠の中で跳ねている。
「本当? やったわ!」
リアナも駆け寄り、二人で顔を見合わせて、歓声を上げた。
「やった、やった!」
セフィは飛び跳ねながら喜びを表した。リアナも、珍しく子どものようにはしゃいで、セフィと手を取り合って、その場でくるくると回った。
「これで、ちゃんと食べられる!」
「ええ、二人で頑張った成果ね」
二人はもう一つの籠も確かめに行った。そちらには魚は入っていなかったが、それでも十分すぎる収穫だった。
「一つは駄目だったけど、まあいいか」
「贅沢は言えないわね。でも、次はもっと増やせるかもしれない」
セフィは籠を大事そうに抱えながら、焚き火の場所まで駆け戻った。その足取りは、昨日までとは比べ物にならないほど、軽やかだった。
籠から取り出した魚を、二人は慎重に、焚き火の上で炙った。香ばしい匂いが、久しぶりに二人の腹の虫を大きく鳴らせた。
「いい匂い……」
「もう少し我慢して。まだ中まで火が通ってないわ」
待ちきれない様子のセフィを、リアナがなだめる。セフィは魚が焼ける様子をじっと見つめながら、何度も生唾を飲み込んだ。
「まだ?」
「あと少し」
「まだ?」
「もう、待ちきれないのね」
リアナは笑いながら、焼き加減を確かめた。皮がぱりっと色づき、香ばしい匂いが最高潮に達したところで、ようやく火から下ろす。
「はい、どうぞ」
焼き上がった魚にかぶりつくと、素朴だけれど、これまで食べたどんな味よりも、美味しく感じられた。
「美味しい……!」
「本当に。自分たちで捕まえたからかしらね」
セフィは夢中で魚を頬張り、頬を膨らませながら、幸せそうな顔をした。その様子を見て、リアナも自分の分に口をつける。
「リアナお姉ちゃん、ちゃんと食べてる?」
セフィが心配そうに尋ねると、リアナは頷いた。
「ええ、ちゃんと食べてるわ。今日は、あなたと同じだけね」
その言葉に、セフィは少しほっとした様子で、また魚にかぶりついた。
二人は骨まで丁寧にしゃぶり、久しぶりに満ち足りた気持ちで、笑い合った。
「明日も、罠、仕掛けよう」
「ええ、そうしましょう」
「もっと大きい魚、捕まえたい」
「欲張りね。でも、その意気よ」
食後、満たされたお腹をさすりながら、セフィは焚き火の傍らに寝転んだ。
「今日は、いい日だった」
セフィがぽつりと呟くと、リアナは優しく微笑んだ。
「そうね。こういう日が、これからも増えるといいわね」
「うん」
小さな成功体験が、二人の間に、確かな自信を芽生えさせていた。この調子でいけば、ケルヴィンまでの道のりも、きっと乗り越えられる――そんな希望が、二人の心に静かに宿り始めていた。
星空の下、満たされたお腹と、隣にいる誰かの温もりを感じながら、セフィはその日、久しぶりに穏やかな眠りについた。




