第一部 第二章「木の実と魚」
二日目の朝は、鳥のさえずりで目が覚めた。体のあちこちが、慣れない野宿のせいで軋むように痛む。
「おはよう、セフィ。よく眠れた?」
リアナが先に起きていて、焚き火の跡をならしながら微笑みかけてくる。セフィは寝ぼけ眼をこすりながら、身を起こした。
「うん……お腹すいた」
「そうよね。今日は、何か採れるものを探しましょう」
朝食代わりに、昨日の残りのパンをほんの少しだけかじり、二人は森の中へと足を踏み入れた。木々の合間から差し込む朝日が、湿った土の匂いと混じり合って、どこか懐かしい空気を作っていた。
*
「あ、あれ! 木の実じゃない?」
セフィが指差した先に、赤い小さな実をつけた低木があった。リアナは駆け寄り、実を一つ摘み取って、じっくりと観察する。
「うーん……どうかしら。食べられる実か、分からないわ」
「食べてみようよ」
「駄目よ、毒があるかもしれない」
リアナは慎重に実を割ってみたり、匂いを嗅いでみたりしたが、結局、確信が持てないまま、その場に置いていくことにした。
「もったいない」
セフィが唇を尖らせると、リアナは苦笑した。
「お腹を壊すよりは、ずっといいわ」
少し進んだ先で、今度はセフィが青紫色の実を見つけた。房になって垂れ下がるその実は、いかにも甘そうな匂いを漂わせている。
「これは、絶対美味しそう!」
セフィが手を伸ばそうとした瞬間、リアナが慌ててその手を止めた。
「待って! それ、多分駄目な実よ」
「え、なんで分かるの?」
「なんとなく……この模様の実は、良くないものが多い気がするの」
リアナ自身も、なぜそう確信できるのか分からない様子だったが、その勘は妙に的を射ているように思えた。セフィは名残惜しそうに手を引っ込めた。
「もったいないなあ」
「命には代えられないわ」
その後も、二人は森の中を歩き回りながら、食べられそうなものを探した。けれど、知識のない二人にとって、それは思った以上に難しい作業だった。見た目が美味しそうな実は大抵毒々しい色をしていないものだったり、逆に地味な色の実の中に、思わぬ甘さを持つものがあったりする。判断のつかないものは、結局すべて諦めるしかなかった。
「くるみみたいなの、見つけた!」
セフィが得意げに拾い上げたのは、確かに木の実のような形をしていた。けれど硬い殻を石で割ってみると、中身は空っぽで、虫に食われた跡だけが残っていた。
「あーあ」
「残念ね。次、探しましょう」
木の根元にしゃがみ込んで、二人で地面を掘り返すようにして探し続けた。土で汚れた手を見せ合って、どちらからともなく笑ってしまう場面もあった。
「セフィ、顔にも土がついてるよ」
「リアナお姉ちゃんもだよ」
お互いの顔を指差し合って、しばらく笑い合った。こんな些細なことで笑えるのが、セフィには少し不思議だった。両親を失ったばかりだというのに、こうして笑ってしまう自分がいることに、時折、罪悪感にも似た戸惑いを覚えることもあった。けれど、リアナの屈託のない笑顔を見ていると、それでいいのだと、そう思わせてくれるのだった。
そんな調子で、半日ほど歩き回っても、二人の手には結局、わずかな食べられそうな木の実が数個、集まっただけだった。
*
「川があるわ。魚がいるかもしれない」
昼過ぎ、二人は小さな川のほとりに出た。清らかな水が、日差しを受けてきらきらと輝いている。セフィは目を輝かせて、川岸に駆け寄った。
「魚、いる!」
浅瀬を泳ぐ小魚の影が、いくつも見える。セフィは勢い込んで、両手で水を掬うようにして魚を捕まえようとしたが、当然のように、魚たちはあっという間に逃げていってしまった。
「もう一回!」
セフィは何度も挑戦したが、結果は同じだった。水しぶきを上げるばかりで、指の間から魚はするりと逃げていく。
「なかなか、難しいわね」
リアナも裾をたくし上げて挑戦してみたが、こちらも空振りに終わった。二人で顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
「リアナお姉ちゃんも、下手だね」
「あら、失礼ね。あなたよりは、上手だったと思うけど」
「ううん、同じくらい」
「そんなことないわ」
そんな軽口を叩き合いながらも、二人の腹の虫は、正直に空腹を訴え続けていた。
「そうだ、こうやって、じっと待って、一気に掴んだら?」
セフィが提案し、川の中で微動だにせず構えてみせる。魚が近づいてくるのをじっと待ち、絶妙なタイミングで両手を突き出した。
「やった、捕まえ――」
けれど、その手の中にあったのは、ただの水だけだった。魚は既に、遠くへ逃げ去った後だった。
「あー、逃げられた!」
セフィが悔しそうに水面を叩くと、リアナは声を上げて笑った。
「その顔、傑作だったわ」
「笑わないでよ!」
何度目かの挑戦で、セフィはついに大きな石に足を滑らせ、水の中に尻もちをついてしまった。
「つ、冷たい……!」
「大丈夫? もう、慌てん坊なんだから」
リアナは笑いながら、ずぶ濡れのセフィを引き上げた。濡れた服を絞りながら、セフィは悔しそうに川を睨みつけた。
「魚なんて、絶対捕まえてやる」
「その意気よ。でも、今日はもう、無理はしないで」
夕暮れが近づく頃、結局、二人は魚を一匹も捕まえられないまま、その日の探索を終えることになった。手元にあるのは、朝に集めたわずかな木の実と、明日の分のパンの欠片だけ。
焚き火を囲みながら、リアナは濡れたセフィの服を、枝に掛けて乾かす準備をした。
「明日には乾くといいけど」
「寒くない?」
セフィが尋ねると、リアナは自分の上着を脱いで、セフィの肩にかけてやった。
「わたしは平気。あなたの方が心配よ」
「リアナお姉ちゃんも、着てないと風邪ひくよ」
「わたしは、そう簡単に風邪をひいたりしないの」
リアナはそう言って笑ったが、セフィはその言葉に、また小さな違和感を覚えた。今日一日、あれだけ水に浸かったり歩き回ったりしたのに、リアナは汗一つかいていないように見える。けれど、それを言葉にする術を、幼いセフィはまだ持たなかった。
「今日は、これで我慢しましょう」
リアナがそう言って、乏しい木の実を二つに分けた。セフィは肩からずり落ちそうになる上着を掴みながら、それを口に運んだ。渋みの強い、お世辞にも美味しいとは言えない味だったが、それでも、空腹には代えられなかった。
「美味しくない」
セフィが顔をしかめると、リアナはくすりと笑った。
「贅沢言わないの。それでも、立派なご馳走よ」
「リアナお姉ちゃんの分、多くない?」
「気のせいよ」
セフィはリアナの手元をじっと見つめたが、暗くてよく分からなかった。ただ、いつも自分の方に、少しでも多く分けようとしてくれている気がしてならなかった。
「明日は、もっとうまくいくよ、きっと」
セフィが自分に言い聞かせるようにそう言うと、リアナは優しく微笑んだ。
「ええ、きっとね。何か、いい方法を考えましょう」
「罠とか、作れないかな」
セフィがふと呟いた言葉に、リアナは目を見開いた。
「それ、いいかもしれない。明日、試してみましょうか」
「うん!」
空腹は、まだ消えていなかった。けれど、明日への小さな希望が生まれたことで、セフィの心は、少しだけ軽くなった気がした。
その夜、焚き火の傍らで体を丸めながら、セフィは空腹を感じつつも、リアナの温もりに包まれて、いつの間にか眠りに落ちていった。




