第4章 Jardin secret ~秘密の花園~ 第二十四話
「この後お兄様やヴィーと落ち合うのね」
「えぇ、それまでこちらでご休憩ください」
「ありがとう神父様」
古めかしい小さな馬車からバードリー神父にエスコートされて、脚を踏み出すたびにギシギシ…と木の軋む音が鳴るタラップを降りてシャルロット様は降りて来られました。
雨脚はいつのまにか霧状へと弱まっていきましたが、湿気を含んだどこか重苦しい空気が辺りをまとわりつきます。石畳の道にある水たまりを避けながらお二人は両側に色とりどりの花が植えられてあるエントランスを進んで行きます。
「たくさんお花が植えられているのね。素敵だわ。ねぇ、これは神父様が植えられたの?」
「お褒めに預かり光栄です。えぇ…土いじりが趣味なので暇があるとしょっちゅう土をいじって植物の世話をしております。最近この地は嫌なニュースばかりばかり聞こえてきますので、この花がお祈りに来た街の人たちの憩いになればと思い花を植えております…」
「そう…。でもこのとても丁寧に育てられた美しい花を見たらきっと皆そう思ってくれているハズよ」
「そうだと嬉しいのですが…」
「きっとそうよ!だって…神父様が愛情込めて育てているんだもの…。その思いは皆にも伝わっているハズよ」
「…ありがとうございます」
シャルロット様の輝くような満面の笑みにバードリー神父は頬を赤く染め、照れたお顔で微笑み返されました。そしてさぁ…とシャルロット様を教会の中へとご案内しました。
白い石造りの教会の中は少し薄暗く、両側のステンドグラスの影がぼんやりと白い地面に映し出されておりました。誰も居ないし静かな教会を抜けて、バードリー神父は奥にある応接間の方へと進んで行かれます。
ブラウンを基調としたこじんまりとした応接室には、どこか嗅いだことのあるような甘い香りが微かに広がっておりました。ふと部屋中を見回すと、奥の棚の上にどこかで見たことがあるような赤いバラが飾ってありました。
「このバラの香り…」
「お嫌いですか」
「あ、違うの…。知り合いがこのバラの香りと同じ香水を付けていたからつい…」
「そうですか…。とても重厚で痺れるように甘い香りのするバラですよね。私もとある方から苗をいただいて教会の庭にも植えているんです」
「まぁ!是非見たいわ!」
「では後程ご案内させていただきましょう。まずはシャルロット様…お茶でもいかがですか?」
「そうね、いただくわ」
バードリー神父は準備してきます、と応接室を出て行かれました。一人取り残されたシャルロット様は黒い革張りのソファーにスッと腰掛けてかざりっけの無い無機質な部屋の中をぐるっと見渡しました。しかし手持無沙汰だったのか、スッと立ち上がり窓の近くへと近づいてそっと外の様子を覗き込みました。
教会の裏側の庭に面するこの窓からもたくさんの花々が飾られているのが良く見えました。シャルロット様はどこまでも広がる花畑のようなお庭を見て、嬉しそうな笑みを浮かべておりました。
「気に入っていただけましたか?」
後ろからいきなり声を掛けられてシャルロット様は驚いて後ろを振り返りました。そこにはお茶の準備を終えたバードリー神父がすぐ後ろに立ってにっこりと微笑まれておりました。
「キャッ!って神父様!気配が無くて全然気が付かなかったわ…!」
「夢中なご様子だったので…驚かせてしまって申し訳ございません」
「ううん、大丈夫よ」
「さぁシャルロット様、暖かい紅茶をご用意いたしました。どうぞお召し上がりください」
「ありがとう神父様」
再びソファーに着席されてシャルロット様はバードリー神父の入れてくれた紅茶を一口飲まれました。
「バラの花びらの砂糖漬け…?が入っているのね」
「えぇ、お口に合うといいのですが」
「美味しいわ」
「よかったです」
ニコッとシャルロット様が笑顔を送られると、バードリー神父も微笑み返してお二人はほのぼのとお茶を楽しまれておりました。
他愛もない談笑を交わし、渇いた喉を潤そうと一口クイッと飲まれたところでシャルロット様は紅茶を置いて一息つかれました。
「ねぇ神父様、お兄様たちはいつごろ来られるの?」
「おそらくもう少ししたらこちらに来られると思いますよ」
「でもビックリしちゃったわ。いきなり『吸血鬼から保護するために匿うから一緒に来てくれ』だなんて。それにジョージ陛下にもきちんとご挨拶しないで来ちゃったんだもの。大丈夫かしら」
「申し訳ございません。どうしても秘密裡に行わなければならないことでしたので…。ジョージ陛下には我々の仲間からご連絡が言っておりますので安心してください」
「そう?ならいいんだけれど…」
「…シャルロット様、お茶菓子にマドレーヌはいかがですか?」
「まぁ!」
「もうすぐ焼き上がるところなんです。ちょっと見て参りますね」
「あ、ねぇ神父様!少しお庭に出てもいいかしら」
「えぇ構いませんよ」
「まぁ嬉しい!」
「ではどうぞ…」
バードリー神父はシャルロット様をお庭へと案内されました。植え込みにたくさん植えられたバラや色々な花を見てシャルロット様はわぁ…と嬉しそうに声をあげられました。真っ赤に咲いているバラの方へと近づきその香りを堪能されております。
「せっかくですからあちらのテラスのベンチでお茶にしましょうか。幸い雨も上がりましたし」
「そうね!」
「では準備いたします」
「ねぇ、奥の方のお花も見に行ってもいい?」
「えぇ。ですがあちらは整備がきちんと出来ていないので水はけが悪く足元が悪いかと。…危ないのであまり奥まで行かれないでくださいね」
「分かったわ!」
バードリー神父は仕方ないなぁ…と言った様子でお庭の奥の方へと進んで行かれるシャルロット様を見守っておりましたが、お茶の準備のため再び建物の中へと入って行かれました。
シャルロット様は甘い花の蜜に誘われる蝶のように、お庭の花々の中へと吸い込まれていくように進んで行かれました。どんどん遠くへと進んで行き、応接室にも飾ってあった赤いバラの花が植えてある場所に来ると、深呼吸をしてその甘くて重厚な香りを胸いっぱいに吸い込まれました。
「…カルロ様の香水と同じ香りだわ」
少し頬を赤く染め、シャルロット様はバラの香りを堪能されております。ふぅ…と溜息にも似た少し甘い吐息を吐かれると、ふとバードリー神父の注意を思い出したのか足元を見つめられました。
「確かに…少し地面がぬかるんでいるわね。ブーツも泥だらけだわ」
シャルロット様はしょぼくれるのかと思いきや、エイッとぬかるみを飛び跳ねるように歩き進み、さらに奥へ奥へと進んで行かれます。そうやって遊んでいると、気が付くと森の中に迷い込んでおられました。
「いけない…戻らなきゃ!」
さすがにまずいと思われたのか、シャルロット様は来た道を戻ろうとふとお顔を上げると、少し離れたところに小さい納屋が建っているのを見つめました。
「何かしら…あれ…」
好奇心に駆られたシャルロット様はゆっくりとその鉄製の扉まで近づいて行きます。そしてゆっくりと納屋の扉を開けると、そこの中にはお庭を剪定するためのガーデニング用品がきちんと整理されてずらっと並んでおりました。
「なんだ…用具入れの小屋ね」
壁には針金やロープが掛けられ、鋏や鍬と言った刃物が棚の上に置かれて入りました。これと言って特に何の変哲もないと思われたシャルロット様は納屋から出ようとされた時、ふと足元の土落とし用の小さい絨毯に躓いて思わずよろけてしまいました。
「きゃ…っ!」
絨毯が思いきりずれてしまったのでシャルロット様が元の位置に戻そうとした時、絨毯の下に地下室の扉があるのを見つけました。まだ真新しく頑丈な鉄の扉を隠すかのように敷かれていた絨毯に少し疑問を持たれたのか、シャルロット様は絨毯をそっと動かしてその扉をジィっと見つめておりました。
するとその時、ポンッと何かがシャルロット様の肩を叩く様に手が置かれました。
・・・・・・・・
コンコンコンっと激しいノック音が聞こえてくるやいなや応接室のドアが勢いよく開き、栗毛色をした愛らしいカルロ伯爵の従者の少年・ロイが血相を変えて応接室に走り込んできました。
「カ…カルロ様っ!大変ですっ!!」
「どうしたんですがルイ、まだ来客中ですよ」
「申し訳ございません…っ!ですが…」
「…何かあったのですか?」
ハァハァと弾む息を押さえようとして余計に息がしづらくなったのかロイは言葉に詰まり胸を押さえて膝に手をついております。カルロ伯爵はロイに近寄り、そっと背中をさすり心配そうに青白いロイの顔を覗き込みます。
「…すみませんカルロ様…」
「君は身体が弱いんだから…。それで?どうしたのですか、そんなに慌てて」
「それが…その…例の…」
ロイは言いにくそうに、ウィリアム様とヴィンセントの方を気にしながらチラチラと横目で見て言葉を詰まらせました。
「大丈夫です、陛下たちには全てをお話ししておりますから」
「…あの…教会の総本山から白い伝書鳩が入りまして…シャルロット様が…その…行方不明になられたと…」
「…何ですって!?」
先ほどまで穏やかに微笑まれていたカルロ伯爵のお顔が一瞬で険しいものとなり、背中を撫でていた手が止まってロイの細い肩をガシッと掴み顔を覗き込むように聞き直しました。
傍で聞いていたウィリアム様も驚いてパッとカルロ伯爵の方を無言で見つめ、ヴィンセントも顔を上げて目を見開いてピタッと動きが止まり、険しいお顔でカルロ伯爵を強く見つめます。
「…どういうことですか伯爵殿…。姫様を保護するってさっき貴方仰っていましたよね…?」
「ロイ、教会の総本山の者が迎えに行ったのではないのですか?」
「それが…先ほど教会の総本山の馬車がお城にお迎えに上がったそうなんですが…、シャルロット様の従者の方が仰るには、その前にグララスの教会からバードリー神父と言う方がお迎えが来たのでその方と一緒に行ったと…」
「…教会から…?」
「はい。そして…そのバードリー神父とも連絡が取れないらしいんです…」
「どういうことだ…」
「…カルロ殿?教会からの迎えでれば…問題はないのではないか…?」
「いえ…いえ、今回のこの件はグララスの教会はノータッチです」
「なに?」
「分かりません。どうしてグララスの教会のバードリー神父がシャルロット様をお迎えに行ったのか…そしてなぜ彼がこのことを知っているのか…」
「…」
「とにかく早急にシャルロット様の居場所を確かめなくてはなりません!まずはグララスの教会に確認を…」
カルロ伯爵が応接室のドアを開けて出ようとしたところ、ヌッと大柄な人影が姿を現しました。カルロ伯爵はその勢いに押されて応接室に押し戻され、入り口はその人影に塞がれてしまいました。
「どちらへ?…カルロ伯爵殿」
「…ワトソン署長殿…っ!」
猛禽類が獲物を狙うかのような鋭い瞳で、ワトソン署長はカルロ伯爵を始め部屋にいるウィリアム様、ヴィンセント、ロイをゆっくりぐるっと見回します。何やら計り知れぬ異様な威圧感にカルロ伯爵はたじろぎそうになりましたが、再び進もうと一歩踏み出しました。
「署長殿…シャルロット様に危険が迫っているかも知れません。我々に行動の許可を」
「…まだ伯爵殿が事件の重要参考人であることは変わりませんにで…それは致しかねます」
「署長殿、私が許可する」
ウィリアム様が後ろからそう強く仰りましたが、ワトソン署長は鼻で笑ってそのお言葉を一蹴し、キッとカルロ伯爵を睨みつけております。
「なりません陛下…っ!この男をここから出しては危険です。全ては虚言かも知れません!!陛下は…本当にこの男の言っていることが真実だとお考えですか?」
「…聞いていたのか?」
「申し訳ございません陛下…」
「ですが署長殿、姫様の身に危険が起きているかもしれません…。下手したら外交問題に発展しかねませんよ?」
「…っ!」
「ナルキッス大国の皇太子フランツ殿下の婚約者でもあるローザタニアの姫君がナルキッス大国で失踪…。これは一大事ですよ…?」
「…っ!仕方ありませんなぁっ!許可いたします…ですが、私も同行させてもらいますよ!」
ヴィンセントの脅しに近いような鋭い睨みつけにワトソン署長はウッとたじろぎ顔面蒼白で一歩引いた様子で頭を掻きむしり何やら葛藤をしておりましたが、ついに折れたのかチッと舌打ちをして吐き捨てるように許可しました。
「恩に着る、ワトソン署長!では出発だ!急ごう!」
ウィリアム様はサッと立ち上がり、マントを翻して颯爽と応接室を出て行かれました。その後に続いてワトソン署長、カルロ伯爵、そしてヴィンセントが足早に部屋を出て行きます。
あ、とヴィンセントは部屋に取り残されているロイに声を掛けました。小動物のように怯えながらロイはヴィンセントの近くに近寄りますが、取って食われそうな恐怖からか明らかに腰が引けており、またヴィンセントと極力視線を合さないように警戒している様子が丸わかりで近寄っていきます。
「…別に鬼じゃないんだから取って食ったりしませんよ」
「は…はい…」
「君は…その教会の総本山と連絡は取れますか?」
「で…伝書鳩がまだ手元に居ますので…可能です…」
「よかったです。ここでは他国なので通信機も使えずに困っていたんですよ。では少し調べていただきたいことがあるのですが…お願いしても?」
「な…なんでしょうか…」
ヴィンセントは懐からペンを取出し、机の上に置かれている紙を取ると何やらサラサラと書きなぐっております。ササっと手早く折り畳み、棚の上の燭台から蝋を垂らして封をすると、カフスボタンにあるのローザタニアの印を押し付けて書簡を一瞬で作り上げるとロイの手にしっかりと押しつけるように持たせました。
「…我々が出発してから鳩を飛ばしてください。頼みましたよ、少年」
キッと強い視線で、顔を逸らせないようにおでこをくっ付けるくらいの至近距離でロイの顔を見つめてヴィンセントは低い声でそう告げました。先程までヴィンセントと視線を合さないようにとヘーゼルナッツ色のくりくりした瞳を泳がせて逸らしていたロイでしたが、がっつりと瞳を捉えられてしまい、否応なしにはい…と小さい声で返事を返しました。
その返事を聴いてヴィンセントはニコッと強く微笑み、もう一度グッと肩を強く握ってからその手を離し、颯爽とマントを翻してウィリアム様たちのあとを追って部屋を出て行きました。
ウィリアム様たちは警察の馬を借りて雨上がりのぬかるんだ道を走り出しました。薄らと辺りを覆っていた霧は段々と濃くなっていき、見通しが悪い道をウィリアム様たちはグララスの教会目指して駆け抜けていきます。
一方、カルロ伯爵のお屋敷では、ワトソン署長の指示によりお城からこの屋敷の道中にシャルロット様を捜索に行く者達が多数お屋敷を出発しました。まだ少し残された数人の警察官が屋敷の入り口や門などを見張っておりますが、ロイは警察官たちの目の網を潜り屋敷の屋根裏へと駆け足でと登ると、そっと教会の総本山へと白い伝書鳩を放ちました。
灰色の雲が立ち込める空の間を、白い鳩は光のようにスッと飛び抜けて行きます。ロイはカルロ様の無事を祈るかのようにギュッと拳を握りしめて、大きな窓の縁に腰掛けて鳩の姿が小さくなくなるで空を見ているのでした―――…。




