第45話 本音
「セリア?」
ユリスが呼ぶと、セリアはゆっくりと瞬きをした。
「……少し、昔を思い出しただけよ」
「昔?」
「私も、あのくらいのころは火球すらまともに作れなかった」
ユリスは驚いた。
「セリアが?」
「そんなに意外?」
「意外だろ。セリアは何でもできると思ってた」
「何でもはできないわ」
セリアは淡々と言った。
けれど、その声はいつもより少しだけ遠い。
「火球は特に苦手だった。魔力を集めても膨らまない。形を作る前に散る。周りの子供が小さな火を浮かべている横で、私の火はすぐに消えた」
リナは黙って聞いていた。
セリアは白蜜焼きの紙皿を手にしたまま、通りの子供を見る。
「ノルフェイン家の娘なのに、と何度も言われたわ。結界術師の家の子なら、基礎魔法くらい当然だろうと」
「……嫌だったか?」
「嫌、というより、不思議だった」
「不思議?」
「ええ。私は火が消えた理由の方が気になったの。なぜ火が膨らまなかったのか。消えたあとの魔力はどこへ流れたのか。火が出なかったことより、そのあとの線が気になった」
セリアらしい、とユリスは思った。
結果ではなく、過程を見る。
火が出たかどうかではなく、火が出なかった理由と、そのあとに残った流れを見る。
だから、セリアはセリアなのだ。
「結界魔法って、魔力量が少なくても使えるのか?」
ユリスが尋ねると、セリアは少しだけ顔をこちらに向けた。
「結界魔法は、魔力量より制御がものを言うの」
「制御?」
「ええ。大きな魔力で押し広げる魔法ではないわ。どこまでを守り、何を通し、何を止めるか。その境界を正確に定める魔法よ」
セリアは指先を軽く動かした。
空中に、ほんの一瞬だけ白銀の細い線が浮かぶ。
それはすぐに消えた。
「巨大な結界を長く維持するなら、もちろん魔力は必要になる。でも基本は量ではなく精度。雑に魔力を流せば、結界の線は歪む。必要なのは、必要な場所に、必要な量だけ魔力を置くこと」
「だからセリアは、結界が得意なのか」
「自分で言うのは癪だけれど、そうね」
セリアは少しだけ目を伏せた。
「私は大きな火球を作れなかった。でも、線を乱さずに引くことだけは、昔からできた」
ユリスは、白銀の線が消えた空間を見つめた。
火球を作れない子供。
けれど、魔力の流れを見て、線を引くことだけはできた少女。
今のセリアからは想像しにくい。
でも、その過去があったからこそ、セリアは結果ではなく過程を見るようになったのかもしれない。
そう思ったとき、セリアがぽつりと言った。
「だから、あなたの魔法を見たとき、少しだけ羨ましいと思ったことがあるわ」
ユリスは、すぐには意味が分からなかった。
「俺の魔法を?」
「ええ」
「冗談だろ」
思ったより強い声が出た。
リナが少しだけ目を伏せる。
セリアはユリスを責めるでもなく、静かに見ていた。
「冗談ではないわ」
「俺の魔法のどこが羨ましいんだよ」
「どれだけ術式が崩れても、どれだけ過程が間違っていても、結果に届いてしまうところ」
セリアの声は静かだった。
「火球ひとつ作れなかった子供から見れば、結果に届く力は、少しだけ眩しく見えるの」
ユリスの胸の奥が、ざらりとした。
眩しい。
その言葉が、どうしても自分の力に合っているとは思えなかった。
「いいものじゃない」
ユリスは低く言った。
「結果だけ届いても、途中で何が壊れたのか分からない。誰が傷ついたのかも、あとからじゃないと分からない。成功したって言われても、自分では失敗した感覚しか残らない」
セリアは黙って聞いていた。
通りのざわめきが、少し遠く聞こえる。
ユリスは左手を握った。
白環が指に触れる。
「火が灯った。箱が壊れた。誰かを助けた。結果だけ見れば、たぶん成功なんだろうな。でも俺には、何かを間違えた感覚だけが残るんだ」
言葉にすると、胸の奥に沈んでいたものが少しだけ形を持った。
「成功したのに、失敗したみたいに。いや、失敗したのに、成功したことにされるみたいに」
「……それが、あなたにとっての怖さなのね」
「そうだよ」
ユリスはセリアを見た。
「羨ましいなんて言われるようなものじゃない」
言ってから、ユリスは少しだけ息を止めた。
強く言いすぎたかもしれない。
セリアは責めるつもりで言ったわけではない。
それは分かっている。
けれど、自分の力を眩しいと言われた瞬間、どうしても胸の奥が痛んだ。
セリアは少しだけ目を伏せた。
「ごめんなさい」
素直な言葉だった。
ユリスは戸惑う。
「別に、謝れって言ったわけじゃない」
「分かっているわ。でも、今のは私の言い方が悪かった」
セリアは紙皿を両手で持ったまま、静かに続ける。
「私は、あなたの苦しさを軽く見たかったわけじゃない。ただ、自分にないものを見てしまったの」
「自分にないもの……」
「ええ。私は結果へ届かなかった。火球ひとつ、まともに作れなかった。だから、どれだけ歪でも結果に届いてしまうあなたを見て、少しだけ眩しいと思った」
セリアはそこで一度、言葉を切った。
「でも、それはきっと、私が外側から見ているからよ」
「外側?」
「火を作れない子供から見れば、火が生まれるだけで奇跡に見える。でも、その火が誰かを焼くかもしれないと知っている本人にとっては、奇跡ではないのでしょう」
ユリスは何も言えなかった。
その言葉は、不思議と胸の奥に落ちた。
完全に分かってもらえた、とは思わない。
けれど、セリアは見ようとしている。
ユリスが何を怖がっているのか。
結果だけではなく、その手前にある痛みを。
「……セリアはさ」
「何?」
「火球が作れなかったのに、今はすごい魔術師だろ」
「すごいかどうかはわからないわ」
「すごいよ」
ユリスは少しだけ迷ってから言った。
「俺から見れば、過程を見られる方がずっとすごい。俺は結果しか見えない。結果に引っ張られて、途中で何が起きたのか分からない。でもセリアは、そこを見てる」
セリアは黙った。
「だから、俺も少しだけ羨ましい」
その言葉に、セリアの青い瞳がわずかに揺れた。
リナが横で二人を見比べる。
「なんか、二人ともお互いにないものばっかり見てるね」
ユリスとセリアは、ほぼ同時にリナを見た。
リナは白蜜焼きをかじりながら、肩をすくめる。
「だってそうでしょ。セリアはユリスの“届く力”を見てる。ユリスはセリアの“見る力”を見てる。でも本人たちは、自分の力が嫌だったり、足りないって思ってたりする」
「……リナ、たまに妙に鋭いわね」
「たまにって何」
リナは不満そうに言った。
セリアは少しだけ視線を逸らす。
ユリスは白環を見下ろした。
自分の力が好きになったわけではない。
ありがたいと思えたわけでもない。
それでも、ほんの少しだけ違って見えた。
自分にとっては呪いのような力でも、誰かにとっては、届かなかった場所へ届く力に見えることがある。
そして、セリアにとって当たり前のように見えるその目も。
ユリスにとっては、どうしても欲しかったものだった。
「……じゃあ」
ユリスはぽつりと言った。
「俺が結果を見て、セリアが過程を見るなら」
セリアが顔を上げる。
「二人で見れば、少しはまともになるのかな」
セリアはすぐには答えなかった。
通りの向こうで、さっきの子供がもう一度小さな火を浮かべようとしている。
赤い光が揺れる。
今度はすぐには消えなかった。
小さな火が、ほんの一瞬だけ形になった。
子供が歓声を上げる。
母親が笑う。
その光を横目に見ながら、セリアは小さく息を吐いた。
「まともになるかは分からないわ」
「そこは嘘でも、なるって言えよ」
「嘘は嫌いなの」
セリアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「でも、ひとりで見るよりは、ずっとましになると思う」
ユリスはその言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「……それなら、いい」
「ええ」
セリアはユリスの左手へ視線を落とす。
「だから、勝手に結果だけへ行かないで。私に見せなさい。あなたがどこで間違えそうになるのか」
「命令か?」
「お願いよ」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
ユリスは返事に困って、目を逸らす。
「……分かったよ」
リナがにこっと笑った。
「うん。今のはちょっと良かった」
「リナ」
「何も言ってないよ?」
「顔が言っているわ」
セリアがそう言うと、リナはわざとらしく口元を押さえた。
ユリスはその様子を見て、少しだけ笑った。
重かった空気が、ゆっくりほどけていく。




