第44話 観察と心配
学院にいると、セリアは近寄りがたい存在に見える。
銀髪の貴族令嬢。
測定で特位を出す天才。
術式を見抜き、結界を操る少女。
けれど今、肉入りのパンを小さくかじっているセリアは、少しだけ年相応に見えた。
「何?」
セリアが視線に気づいて、ユリスを見る。
「いや。セリアも普通に食べ歩きするんだなと思って」
「私を何だと思っているの」
「ずっと術式紙だけ食べて生きてるのかと」
「食べないわ」
即答だった。
リナが吹き出す。
「でもセリア、放っておくとご飯忘れるよね」
「忘れてはいないわ。優先順位が下がるだけ」
「それを忘れるって言うんだよ」
セリアは不服そうに眉を寄せた。
その顔が少しだけ幼く見えて、ユリスはまた笑いそうになった。
三人は中心街をゆっくり歩いた。
リナは店を見つけるたびに立ち止まった。
焼き果実の串。
薄焼きの菓子。
小さな紙杯に入った香草茶。
淡い金色に光る飴玉。
ユリスは、王都の食べ物が思ったよりずっと華やかなことに驚いた。
村にも祭りの日には屋台が出た。
けれど王都の屋台は、味だけでなく見せ方まで魔法で飾られている。
果実の飴には、温度を保つ小さな加熱の術式が刻まれた箱が使われていた。
冷たい飲み物の瓶には、水属性の冷却符が巻かれていた。
香草茶の湯気は、微風で客の方へやわらかく流されている。
派手ではない。
でも、どこにでも魔法がある。
ユリスは紙杯の香草茶を両手で持ちながら、通りの魔術灯を見上げた。
昼の光の中で、淡金色の小さな光が揺れている。
「これ、灯火じゃないんだよな」
「ええ。あれは灯光を応用した魔術灯ね」
セリアが答えた。
「火を灯す灯火とは違うのか?」
「違うわ。灯火は火属性寄りの基礎魔法。小さな火を作る。灯光は光・補助系統の魔法で、熱よりも光を安定して保つものよ」
「へえ……」
「火は熱を持つから、屋内や店先の常用には向かないことがあるの。灯光なら淡い光を長く保てる。魔術灯に使うならこちらの方が安全ね」
「セリア、説明になると元気になるね」
リナが横から言うと、セリアは口を閉じた。
「聞かれたから答えただけよ」
「うんうん」
「その顔は何?」
「なんでもないよ」
リナは笑っている。
ユリスは魔術灯を見つめた。
火ではない光。
熱を持たず、人の生活を照らす魔法。
「リナは、こういうのも得意なのか?」
「うーん、灯光は少しなら。私が得意なのは、もうちょっと人に直接使う補助とか治癒寄りかな」
リナは自分の手を見た。
「怪我を塞いだり、魔力の流れを整えたり、疲れた体を少し楽にしたり。大きな攻撃魔法は全然だけどね」
「でも、リナらしいな」
「え?」
「人を助ける魔法って感じがする」
ユリスが言うと、リナは少しだけ目を丸くした。
それから、照れたように笑う。
「そう言われると、ちょっと嬉しい」
「事実でしょう」
セリアが静かに言った。
「あなたの魔力は、人に触れるときに乱れにくい。治癒や補助に向いているわ」
「セリアに褒められると、なんか測定結果みたい」
「褒めているわ」
「うん、分かってる。ありがと」
リナはにこっと笑った。
その笑顔を見て、ユリスは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
魔法が誰かを支える。
魔法で誰かを安心させる。
そんなことが、自分にもできるのだろうか。
白環が指に触れている。
昨日の灯火を思い出す。
小さな火。
何も壊さずに灯った火。
あれは、本当に自分の魔法だったのか。
それとも、白環が肩代わりしただけなのか。
考えかけたところで、セリアの声がした。
「痛みはない?」
ユリスは顔を上げた。
「え?」
「白環よ」
セリアの視線は、ユリスの左手に向いている。
「熱は? 違和感は? 光が濁るような感覚は?」
「今は何もない」
「本当に?」
「本当に」
「指先に痺れは?」
「ない」
「魔力を吸われる感覚は?」
「ないと思う」
「思う、では困るのだけれど」
セリアの眉がわずかに寄る。
ユリスは少し困って笑った。
「心配してるのか?」
「観察しているの」
「出た」
リナが横から言った。
「セリアの“観察しているだけ”」
「リナ」
「はいはい、心配してるんだよね」
「違うわ」
「違わないよ。心配じゃなかったら、休日の中心街で指輪の状態をそんな真剣に確認しないって」
セリアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……危険な補助具かもしれないものを確認するのは当然でしょう」
「それを心配って言うんだよ」
リナは楽しそうだった。
ユリスは白環を軽く撫でる。
「今のところ、本当に何もないよ。昨日の灯火のあとも、痛みはなかった」
「そう」
セリアは短く答えた。
それでも視線は、しばらく白環から離れなかった。
ユリスはその横顔を見て、昨日の言葉を思い出した。
綺麗すぎる。
セリアは、何を見ているのだろう。
白環の中に何を感じているのだろう。
聞こうとしたが、リナが次の屋台を見つけて声を上げた。
「あ、あれ! 白蜜焼き!」
「白蜜焼き?」
「王都の甘いやつ。薄い生地に白蜜を塗って焼くの。絶対食べる」
「まだ食べるのか」
「食べ歩きだからね」
「リナ、あなた朝食も普通に食べていたわよね」
「別腹」
「その理屈は魔術理論より不可解ね」
「セリアも食べたら分かるよ」
「分かりたくないわ」
そう言いながらも、セリアはリナに引っ張られて屋台へ向かった。
白蜜焼きは、薄い生地を鉄板で焼き、上から白い蜜を塗った菓子だった。
焼けると甘い香りが広がり、蜜の表面が淡く光る。
店主が小さな術式を指で弾くと、生地の端が花のように丸まり、紙皿の上に収まった。
「すごいな」
ユリスが思わず言うと、店主は笑った。
「見せるための小技さ。味は魔法じゃごまかせないけどな」
リナが三人分を受け取り、今度はユリスが代金を払った。
白蜜焼きは、外側が少しだけぱりっとしていて、中は柔らかかった。
甘い。
けれど重すぎない。
「うまい」
「でしょ?」
「ユリス、それ今日何回目?」
「何が?」
「うまい、って言うの」
「仕方ないだろ。本当にうまいんだから」
リナは満足そうに笑った。
セリアも白蜜焼きを一口かじる。
しばらく無言だった。
「……これは」
「これは?」
「悪くないわ」
「出ました。セリアの最高評価」
「だから勝手に訳さないで」
セリアはそう言いながら、もう一口食べた。
ユリスはその様子を見て、少しだけ笑った。
そのとき、通りの向こうで小さな子供が火花を浮かべていた。
親らしき女性が慌てて手を添える。
「違うわよ。火を大きくしないの。ほら、小さく」
子供の杖先で、赤い光が揺れる。
火球になる前の、小さな火の粒。
それは一瞬だけ膨らみ、すぐにぱちんと消えた。
子供は悔しそうに唇を尖らせる。
「できない」
「大丈夫。最初はみんなそうよ」
母親が笑って言った。
セリアの足が、そこで止まった。
ユリスは彼女を見る。
セリアは、子供の消えた火花を見つめていた。
その青い瞳に、普段の鋭さとは違うものが宿っている。




