第40話 その魔法の名は
医務室は、外周区のざわめきが嘘のように静かだった。
白いカーテンが揺れている。
薬草と消毒液の匂いが、薄く空気に混じっていた。
セリアはベッドに横になっていた。
銀色の髪が枕の上に広がり、いつも背筋を伸ばして立っている彼女が、今は少しだけ小さく見えた。
ミレーヌ・ルクレールは、セリアの手首に指を添えたまま、淡金色の魔力を静かに流していた。
「魔力循環に乱れがありますね。外傷は軽い。でも、結界維持の反動が内側に残っています」
「……申し訳ありません」
「謝るところではありません。倒れる前に結界を閉じた判断は正しいわ」
ミレーヌはそう言ってから、そばに立っていたリナへ視線を向けた。
「それから、リナ」
「は、はい」
「あなたの応急処置も適切でした。無理に治癒で押し切らず、呼吸と魔力循環を先に整えた。あれは良い判断です」
リナは一瞬ぽかんとして、それから目を潤ませた。
「よ、よかった……。私、ちゃんとできてたんですね」
「ええ。焦って治そうとすれば、セリアの魔力回路に余計な負荷をかけていたでしょう。あなたは、痛みより先に乱れを見た。補助術師として、とても大事な目よ」
リナは胸元で両手を握った。
「セリアが倒れたから、もう、何をしたらいいか分からなくなって……でも、呼吸が浅かったから、まずそこだけでもって」
「十分です」
ミレーヌの声は柔らかかった。
けれど、その奥には教師としての厳しさもあった。
「ただし、次からは自分の魔力残量も見なさい。助けたい気持ちだけで魔力を流すと、今度はあなたが倒れます」
「……はい」
リナが小さく頷く。
ミレーヌはセリアの額に手を当て、淡金色の光をもう一度だけ流した。
「少し休めば動けます。ただし、今日は魔法禁止。結界も、解析も、もちろん白塔三界も駄目です」
「……分かりました」
「本当に分かっていますか?」
「……努力します」
「分かっていませんね」
ミレーヌは小さくため息をついた。
そのやり取りに、リナが少しだけ笑う。
ユリスは笑えなかった。
セリアが倒れた理由を、知っていたからだ。
自分の力だ。
自分が、あの結末を願った。
子供を助けたいと願った。
その願いは叶った。
けれど、叶ったあとに残ったものを、セリアが受け止めた。
ミレーヌは立ち上がる。
「薬を取ってきます。リナ、あなたも少し水を飲みなさい。顔色が悪いわ」
「え、でも」
「命令です」
「……はい」
リナは名残惜しそうにセリアを見てから、医務室の奥へ向かった。
カーテンが揺れる。
医務室に、ユリスとセリアだけが残された。
しばらく、何も言えなかった。
セリアは天井を見ていた。
青い瞳は、少し疲れている。
けれど、ぼんやりしてはいなかった。
「ユリス」
「……なんだ」
「あなたの魔法は、結果補完なんていう呼び方では似つかわしくないわね」
ユリスは息を詰めた。
その言葉は、責めているようには聞こえなかった。
ただ、ひどく正確だった。
「今度はどんな名前を付ける気だ?」
わざと軽く言ったつもりだった。
けれど、自分の声は少し掠れていた。
セリアは、ゆっくりとこちらを見た。
「結末到達」
短い言葉だった。
けれど、その瞬間、医務室の空気が少し変わった気がした。
俺はただ、どう返答していいか、わからなかった。
「あなたは、足りない過程を補っているだけじゃない」
セリアは、少しだけ眉を寄せる。
言葉を選んでいるようだった。
「あなたは願った通りの事象を引き起こすことができる。子供を助けたいと願えば、その結末へ届く。障害物を退けたいと願えば、その結末へ届く。けれど、それは使い方次第で良い結果も、そして悪い結果も生むことができてしまうことを意味する」
「……俺は、そんなつもりじゃ」
「分かっているわ」
セリアの声は、思ったより穏やかだった。
「あなたが悪意で使ったとは思っていない。むしろ逆よ。あなたは誰かを助けるために動いた。だから、子供は助かった」
「なら……」
「でも、代償は消えていない」
ユリスは言葉を失った。
セリアはゆっくりと、自分の胸元へ視線を落とした。
「白塔三界は崩れていなかった。第一界も、第二界も、第三界も、成立していた。私の結界が弱かったわけではない」
「……じゃあ、なんで倒れたんだよ」
「あなたの反動が、想定より大きすぎたのよ」
その言葉は、刃のようではなかった。
けれど、深く刺さった。
ユリスは拳を握る。
「俺のせいで」
「違う」
セリアはすぐに否定した。
声は弱いのに、そこだけははっきりしていた。
「あなた一人のせいではない。私も選んだ。リナも支えた。あの場にいた全員が、それぞれできることをした」
「でも、俺が願わなければ」
「子供は助からなかったかもしれない」
ユリスは顔を上げた。
セリアはまっすぐに見ていた。
「だから、間違えないで。あなたの力は、ただ危険なだけのものではない。でも、安全なものでもない」
医務室の外から、遠く人の足音が聞こえた。
セリアは小さく息を吸う。
「結末到達は、願いを叶える魔法ではないわ。願った結末へ、世界を無理やり届かせる魔法よ」
「……怖い名前だな」
「怖い力だから」
セリアは少しだけ目を細めた。
「でも、名前を付けないと向き合えないものもある」
その言葉に、ユリスは何も返せなかった。
結果補完。
そう呼んでいたときは、まだどこかで逃げていたのかもしれない。
勝手に補われる。
自分では分からない。
だから、自分のせいではない。
けれど、結末到達。
その名は、違った。
どこへ届こうとしているのか。
何を願ったのか。
何を代わりに壊したのか。
そこから逃げるなと、言われているようだった。
「セリア」
「何?」
「俺は……この力を、使っていいのか」
セリアはすぐには答えなかった。
白い天井を見上げ、少し考える。
やがて、静かに言った。
「使っていいかどうかを、私が決めることではないわ」
「……」
「でも、使うなら見なさい。結末だけじゃなくて、そこへ至るまでに何が壊れるのかを」
ユリスの喉が詰まる。
セリアは続けた。
「私も見る。あなたが見えない過程を、私が見る。リナは、あなたや私が壊れすぎないように支える。だから――」
そこで、セリアは少しだけ息を切らした。
ユリスが慌てて身を乗り出す。
「無理して喋るな」
「今、いいところなのに」
「医務室で何言ってるんだよ」
「大事なところよ」
セリアは、ほんの少しだけ笑った。
疲れた顔だった。
けれど、いつものセリアらしい、勝ち気な目だった。
「だから、ひとりで結末へ届こうとしないで」
その言葉だけで、ユリスの胸の奥が強く揺れた。




