第39話 失敗でも成功でもない
セリアの両手から、白い光が消える。
次の瞬間、彼女の体が傾いた。
「セリア!」
ユリスが駆け寄るより早く、リナが支えた。
「平気よ」
「平気な人は、そんな倒れ方しない!」
リナの声は震えていた。
彼女は子供へかけていた淡金色の光を弱め、今度はセリアの手首へ触れた。
「魔力循環、乱れてる。少し黙ってて」
「命令される覚えは――」
「黙ってて!」
リナが珍しく強く言った。
セリアは少しだけ目を見開いたあと、素直に口を閉じた。
淡金色の光が、セリアの腕から肩、胸元へゆっくり広がっていく。
治癒というより、乱れた魔力の流れを整えているように見えた。
ユリスはその場に立ち尽くしていた。
子供は助かった。
外周区の家々にも、濁った魔力は広がらなかった。
だが、古い排水路は壊れた。
石畳も割れた。水路結界には大きな負荷が走った。
成功した。
でも、何も壊れなかったわけではない。
そして、セリアが目の前で倒れている。
その事実が、胸の奥に重く残った。
蝋燭に火を灯したり、羽根を風で浮かせたりするのとはわけが違う。
子供とはいえ、人の体を浮かせ、離れた場所から引き寄せた。
その反動を考えれば、セリアへの負担が相当なものであったと容易に想像がつく。
ガルディアが近づいてくる。
黄色い瞳が、ユリスをまっすぐに見ていた。
「フォルク」
「……はい」
ユリスは身構えた。
怒られると思った。
勝手に動いた。
教師の制止を振り切った。
危険な力を使った。
外周区の設備を壊した。
責められて当然だった。
ガルディアはしばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「お前が動かなければ、あの子は落ちていた」
ユリスは顔を上げた。
「だが、お前が動いたことで、外周区の水路結界に反動が走った。それも事実だ」
「……はい」
「セリア・ノルフェインが白塔三界を使わなければ、反動は家々の導管へ広がっていた。リナ・クラウゼが循環補助をしなければ、ノルフェインは今より悪い状態になっていた。グランフィールが圧を殺さなければ、第三界は押し切られていた可能性がある」
ガルディアの声は厳しかった。
けれど、ただ責めている声ではなかった。
「今日のこれは、お前一人の成功ではない」
ユリスの胸に、その言葉が落ちた。
成功。
そう呼んでいいのか、まだ分からない。
けれど、あの子は生きている。
それだけは、間違いなかった。
「覚えておけ」
ガルディアは、割れた石畳へ視線を向けた。
「魔法は結果だけでは終わらん。誰が支え、どこが傷つき、何を壊して、何を守ったのか。そこまで見て、初めて魔法だ」
ユリスは黙って頷いた。
視線の先で、助かった子供が母親らしき女性に抱きしめられて泣いていた。
その姿を見て、ユリスの胸が少しだけ痛んだ。
ニナを助けた日、自分はそこまで見ていなかった。
助かった。
その結果だけに縋っていた。
けれど本当は、その裏で何が傷ついたのか見なければならなかった。
今日、初めて分かった気がした。
何も壊さないことだけが、成功ではない。
けれど、何が壊れてもいいわけでもない。
壊してはいけないものを守るために、壊れても直せる場所へ逃がす。
その選択を、誰か一人に押しつけない。
セリアの青い瞳がこちらへ向けられる。
「……何よ、その顔」
「いや」
ユリスは少しだけ笑おうとして、うまく笑えなかった。
「助かった。セリアがいなかったら、俺はまた間違えてた」
「違うわ」
セリアは即座に言った。
声は弱っていたが、目だけはいつも通り鋭かった。
「あなたが動かなかったら、あの子は助からなかった。私だけでは届かなかった」
「でも、反動は」
「私が引いた」
「危なかっただろ」
「危なかったわよ」
あっさりと言われて、ユリスは言葉に詰まった。
セリアは少しだけ息を整えてから、続けた。
「でも、危ないからやらない、では間に合わないこともある。だから、危なくても成立させるための線を引くの。あなたは結果を起こした。私は境界を引いた。リナが支えて、レオンが押さえた」
セリアは割れた石畳を見た。
「これは、あなた一人の失敗でも成功でもないわ」
その言葉に、ユリスは胸の奥を掴まれたような気がした。
一人の失敗でも。
一人の成功でもない。
そんな考え方を、今までしたことがなかった。
成功してしまうのは、自分のせい。
失敗できないのも、自分のせい。
壊れるものが出るなら、それも全部、自分が背負うべきだと思っていた。
けれど、今日の救助は違った。
ユリスだけでは周囲は無事ではすまなかった。
セリアだけでは子供を引き戻せなかった。
リナだけでは補助が届かなかった。
レオンだけでは力を使えなかった。
誰か一人では足りなかった。
だから、助かった。
「……そっか」
ユリスは小さく呟いた。
「俺一人じゃ、なかったのか」
「今さら?」
セリアが呆れたように言う。
その声が、ほんの少しだけ優しかった。
リナがセリアを抱えたまま、深く息を吐いた。
「ほんと、二人とも無茶しすぎ。見てるこっちの心臓が止まるかと思った」
「悪い」
「謝るなら、あとでちゃんと休んで。特にセリア。今日はもう術式禁止」
「それはあなたが決めることではないわ」
「決めます。補助担当として」
「いつから担当になったのよ」
「今から」
リナが真顔で言うと、セリアは小さく息を吐いた。
レオンは少し離れた場所で、割れた橋と水路を見ていた。
その赤い瞳が、一瞬だけユリスへ向く。
いつものような苛立ちではなかった。
認めた、とまではいかない。
けれど、ただ見下す目ではなかった。
「ユリス・フォルク」
レオンが言った。
ユリスは少し身構える。
「なんだ」
「次に同じことをするなら、先に言え」
「え?」
「俺が圧を殺す。セリア嬢だけに負わせるよりはましだ」
それだけ言って、レオンは顔を背けた。
ユリスは返事に困った。
セリアが小さく言う。
「素直じゃないわね」
「聞こえているぞ、セリア嬢」
「聞こえるように言ったのよ」
レオンは眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
外周区の空に、魔術灯の淡い光が揺れている。
中心街のように完璧ではない。
白くもない。
継ぎ接ぎだらけで、傷もある。
それでも、人はここで暮らしている。
壊れた橋の近くで、助かった子供が母親に抱きしめられながら、こちらを見ていた。
泣きながら、小さく頭を下げる。
ユリスは何も言えず、ただ同じように頭を下げた。
成功した。
けれど、成功の外側には、壊れた排水路と、割れた石畳と、倒れたセリアがいた。
それを見ないまま、胸を張ることはできない。
でも、見たからこそ。
次は、もう少しだけ正しく助けられるかもしれない。
ユリスは、水路の奥へ続く白い結界線を見つめた。
線は、閉じ込めるためだけにあるのではない。
守るためにある。
流すためにある。
広げないためにある。
その意味を、今日初めて、痛いほど知った。




